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しない。そうした状況で長年住民は泣き寝入りしていた。◆しかし2010年代後半から、管理費の大幅値上げを理事会が発表したのを契機に住民が立ち上がり、「有志の会」「より良くする会」等が結成され、中小企業社長、宅建士、営業マン、主婦など様々な区分所有者たちがその力を合わせ、時に反目し合いながらも理事会たちと闘っていく。それを描いたルポ。事態解決のキーパーソンとなった弁護士の桃井が、(組合側と住民側の)マンションの係争の勝敗を分けるのは委任状をいかに掌握するか、という内容の発言をしていたのが印象的。
まさに、総会に出てはこない層をいかに味方につけるかが鍵を握る戦いだった。◆本書は、吉野理事長(仮名)が極悪人として描かれ、まあ実際そうだったのかもしれないが、彼がなぜあそこまで理不尽な圧政を敷いたのかは結局よく分からなかった。◆ここまで酷くなくとも、今後こういう問題は増えていくかもしれない。高齢者ばかりになったり、外国人住民が増えたり、投資用で買われたり、そうした中でマンション自治が希薄になれば、こうした「独裁政権」が樹立されてもおかしくない。
馴染まない可能性があるということ。例えば、高卒の発達障害当事者が清掃の仕事に就いたとして、周囲や本人がそのキャリアに納得することは特段不自然には思えないが、仮に「高学歴発達障害」当事者が同じ仕事に就いたときに、周囲や本人が納得しないことがあるというのもまた想像に難くない。周囲の期待や当人のアイデンティティに沿った(就労)支援のあり方が求められる、という、ある意味では当然のことが求められる。では一般企業でホワイトカラーで(発達障害に配慮してもらった形で)働けばよいのでは?となるかもしれないが、障害者雇用で
あれば社会的地位や収入の面で健常者と比べ低位に置かれてしまう可能性があるという別の問題もある。◆本書を読んで、改めて発達障害について考えてみて思ったのが、「脳の特性」の問題というが、socially constructedな部分はないのだろうか?ということ。社会階層や人種、ジェンダー等で差異はないのか。勿論そういう研究はあるんだろうから、わかりやすい新書とかあれば読んでみたい。
崩れることは、それを契機として人々が出会い直す、新たな関係を構築する、新たな「重心」のもと均衡をもたらすことを可能とする。有馬温泉に行った4人が自己紹介するシーンに象徴的に示されている。◆筆者は、この映画における台詞の役割にも注目している。「台詞が演者をサポートする」。第二章で展開されるこの話は少々難解だが、登場人物に特有の言い回しを明示することで(例:純の「せやな」、拓也の「まじか」)、その言葉から示される登場人物のあり方を際立たせる、ということと理解した。これにより観客は世界を「まあたらしく」見ること
ができる。なぜか?それは「せやな」「まじか」「わからへん」といったなんてことない日常語が、この映画においては登場人物特有の世界との関わり方、実存を示す記号として示されるからである。当人の実存、身体のあり方と台詞が分かち難く結び付いた状態が示されており、それが観客には極めて新鮮に映るのだろうと思う。この映画を観たとき、なんてことない一般人が日常的な会話をしているだけなのに、まるで宇宙人同士が話しているような奇妙な感覚があったが、それもこのせいなんだろうと今となっては思われる。
わざとらしい演技というわけでは全くない。むしろ彼ら彼女らはその実存に偽ることなく「自然に」演じているように思えた。不思議な映画体験だったとしか言いようがない。◆そういう思いで本書を開いた。まず濱口の文章は読みづらい。それは決して悪い意味ではなく、単純に自分がこれまで読んできたような文章と構成なり言葉遣いが違うんだろうと思う。◆面白いのは、カメラで撮影されるというのは「未来の他者の無限の眼差し」を浴びることであるということ。確かに後世の無数の観客によって何度も眼差される。それは通常のコミュニケーションの様態
とは異なる。演者はそうしたカメラの前で、自分とは異なる人格を演じなければならない。彼女はキャラである「彼女」とは異なる。しかし「彼女」は彼女以外ではあり得ないという映像作品のパラドクスがある。彼女は「彼女」ではないから、脚本に書かれたある行為をすることは「恥」となる。理論的には逆に、彼女にとって普通のことでも「彼女」には「恥」ということもあるだろう。両者の「恥」を徹底的に意識し、というか実際には彼女が自らの「恥」の深部、「はらわた」に到達したとき、「『自分が自分のまま別の何かになる』」(53p)となる。
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しない。そうした状況で長年住民は泣き寝入りしていた。◆しかし2010年代後半から、管理費の大幅値上げを理事会が発表したのを契機に住民が立ち上がり、「有志の会」「より良くする会」等が結成され、中小企業社長、宅建士、営業マン、主婦など様々な区分所有者たちがその力を合わせ、時に反目し合いながらも理事会たちと闘っていく。それを描いたルポ。事態解決のキーパーソンとなった弁護士の桃井が、(組合側と住民側の)マンションの係争の勝敗を分けるのは委任状をいかに掌握するか、という内容の発言をしていたのが印象的。
まさに、総会に出てはこない層をいかに味方につけるかが鍵を握る戦いだった。◆本書は、吉野理事長(仮名)が極悪人として描かれ、まあ実際そうだったのかもしれないが、彼がなぜあそこまで理不尽な圧政を敷いたのかは結局よく分からなかった。◆ここまで酷くなくとも、今後こういう問題は増えていくかもしれない。高齢者ばかりになったり、外国人住民が増えたり、投資用で買われたり、そうした中でマンション自治が希薄になれば、こうした「独裁政権」が樹立されてもおかしくない。