境地にはどう対処すればよいのだろうか?ということ。そうした境地にある者からすれば、他者の存在は希薄なものであって、それは翻って自己の生の希薄さをも観念させるようになり、他者と共にあるような社会というものに積極的に意義を見出せなくなるような気がする。要するにどうすればそういう「賭け」に出られるような心境・状況になるのだろう?という疑問。◆上記の疑問はおいておいて、しかしそうした「賭け」のもと、規範的に作り上げられた社会においては、個々人の尊重こそが民主主義なのであるから、むしろ多数決原理はその意味で民主主義
的ではないという話は面白い。それはトクヴィル的な多数者の専制に容易に転化し得る。その意味で、ポピュリズムや独裁者の専制等民主主義の堕落とされているものは、むしろ極めて非民主主義的なものなんだと。確かに。◆ラストでは日本において社会が不在である点が論じられる。よく言われるように、日本では上からの近代化が図られ、民衆が個々人の権利を求めて闘いそれを勝ち取る、という経験がない。そこでは、先述のような民主主義はない。
また税制改正の最大の契機は戦争など国家を揺るがす有事の際である。軍費調達のために新税が導入されたりするのは万国共通なんだと。そういう時であれば国民の理解も得やすいという側面もあるのだろう。◆租税回避の話も触れられている。これについては著者の『グローバル・タックス』(岩波新書)が詳しいが、企業がグローバル化する中で、課税当局も国家の枠に縛られていてはだめなので、国際的に協力する体制が出来つつあるのだと(国際最低課税ルール、デジタル課税)。ただしこの問題点として、こうした国際枠組みを監督する主体はどうなるのか
ということがある。国際的な課税権力が、専制的に重税を課してきたら・・・?という問題。◆5章「税金を私たちの手に取り戻す」として、いかに財政民主主義の考えのもと、市民が主体的に税制の改革に携わるかが書かれている。一つには、EBPM的な視点がある。まあ税金を使って施策が打ち出される以上、それが効果をあげているのかどうかの検証は必要である。あまり進んでいない気がするが。◆いままさに総選挙で減税だ社会保険料の減免だという話になっており、
」が少なく不幸だ、ということには必ずしもならないだろうという話。「お金」を多くもらえることだけを是とすることの問題点。確かになあと思うし個々人の心構えとしてあってもいいような気がしつつ、しかしこういう考えって昨今のセルフケアだとか清貧を推奨するような流れの胡散臭さに繋がるような気がしていて、福祉国家の政策立案という視点ではやはり先述の前提は外せないのではないかと考える。◆レゴブロックの話に戻るが、みんなそれぞれの能力を活かして、というのも確かにそういう方向性で経営陣や管理職が考えていくことは大事と思う。
その上で疑問に思うのが、そうはいっても一定程度の事務処理能力や物事を理解する力は必要なのでは?ということ。その水準をクリアした上での「個性・特性」の発揮だろうから、そうなると言い方は悪いが「何をやってもダメな人」というのは出てき得る(その水準をクリアしていない)だろうし、そういった人にどう活躍してもらうのかという点について筆者はどう考えているんだろうか。まあ、そういう人でも少しは長所があるだろうから、そこを磨いてもらって、ということにはなるんだろうけれども。
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」が少なく不幸だ、ということには必ずしもならないだろうという話。「お金」を多くもらえることだけを是とすることの問題点。確かになあと思うし個々人の心構えとしてあってもいいような気がしつつ、しかしこういう考えって昨今のセルフケアだとか清貧を推奨するような流れの胡散臭さに繋がるような気がしていて、福祉国家の政策立案という視点ではやはり先述の前提は外せないのではないかと考える。◆レゴブロックの話に戻るが、みんなそれぞれの能力を活かして、というのも確かにそういう方向性で経営陣や管理職が考えていくことは大事と思う。
その上で疑問に思うのが、そうはいっても一定程度の事務処理能力や物事を理解する力は必要なのでは?ということ。その水準をクリアした上での「個性・特性」の発揮だろうから、そうなると言い方は悪いが「何をやってもダメな人」というのは出てき得る(その水準をクリアしていない)だろうし、そういった人にどう活躍してもらうのかという点について筆者はどう考えているんだろうか。まあ、そういう人でも少しは長所があるだろうから、そこを磨いてもらって、ということにはなるんだろうけれども。