最後にディネセンの「アフリカの日々」ついても書いてある。どの作品もすごく興味がわくけど、尾崎翠という人の作品は特に気になった。目次をみても感じるけど、作者は男性作家と女性作家の作品を、その性の特質から、はっきり分けて考えているみたい。★(何一つ自分の力でつくりあげてきたことのない、前の世代の人々がつくりあげてきたものを要領よく利用するだけの人々 70) (生命感の充実とは、結局、価値観の充実ということに集約されるといっていいのではないでしょうか 90)
(私は、子供時代からの延長で、たとえば人間を、とりあえずロボットのようなメカニックな存在として想定し、どのスイッチを入れるとどこがどう動きだすか、という具合に解明できるものだと思っていました) (そしてどうすれば自分を肯定できるか、正当化できるか、ということを観念的にこじつける作業に夢中になりました。私はもともと肯定よりは否定に反射神経が働いてしまうタイプです。自分を正当化するためには、こじつけるという方法しか考えられませんでした。ですから無理が生じます。私の本心は否定したくてうずうずしているのですから)
この本で印象深いのは、七篇中、三篇が、独白形式だという事。②は友人への手紙。④は対話だけど、片方の言葉だけで書かれている。⑥は死んだ父への内的な語り。それから③と④は同じ年(1984)に書かれていて、人物は同じではないが、続き物みたいな内容。もっと飽きてくるまで?この作家の本を読む。まだ(好き)のほうが大きい。☆(家庭なんて、人間の大半が暮す珍しくもない生活の場所なのですよ。つまりごく普通のありふれた人々が、最も快適に過ごそうと努力しているうちに、自然に出来てしまう生活単位であり、生活形態なのだわ 71)
(男であるというだけで、殆ど何の努力もしたことのない、風に吹かれれば、そのままぐにゃりと倒れてしまいそうな秀夫が、それでも長と名のつく居場所を機械的に与えられ、周囲から盛り立てられる。由布子は姉としてひ弱で無能な弟のために、そういった社会のしくみをありがたいと思う一方、やはり、少しは割りきれないものが胸に残る···なぜ秀夫が一家の主人であるのか、「男だから」という以外に何の説明もない。それは、生まれた時から決まっている。当の秀夫が、何の疑問も持たない 162頁) 男尊女卑的社会システムに対する作者の思い
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