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2023年4月の読書メーターまとめ

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2023年4月に読んだ本
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2023年4月のお気に入られ登録
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  • paumi

2023年4月にナイスが最も多かった感想・レビュー

roughfractus02
非常識は常識がないことだが、反常識は常識を知りつつそれに反することを言う。一方、反常識を他者に向けて仲間を作る「モノマネ」人間を著者が批判するのは、仲間の中では反常識が常識に変わるからだ。反常識は自分に向けるべきである。安全より危険を選べと促す著者は、時間直線上に未来を作る自分に抗して未知の瞬間を選び、自分を維持するプライドと逆のバカな自分になる。未来は行きづまるから突破する力も出るという著者は「一度死んだ人間になれ」という。強い語調に反して、意識の力を弱め無意識を含む自己を見つめる姿勢はとても臨床的だ。
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2023年4月にナイスが最も多かったつぶやき

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先月は河合隼雄100冊超えから岡本太郎へ、、語調は違うのに、意識と無意識のバランスを取ろうとする主張は似ているように感じる2人だ。とはいえ、河合隼雄の読み過ぎで岡本太郎読書に影響しているのかも(写真は岡本太郎美術館の太陽の塔の背面にある「過去の顔」) 2023年3月の読書メーター 読んだ本の数:31冊 読んだページ数:7961ページ ナイス数:344ナイス ★先月に読んだ本一覧はこちら→ https://bookmeter.com/users/743402/summary/monthly/2023/3

先月は河合隼雄100冊超えから岡本太郎へ、、語調は違うのに、意識と無意識のバランスを取ろうとする主張は似ているように感じる2人だ。とはいえ、河合隼雄の読み過ぎで岡本太郎読書に影響しているのかも(写真は岡本太郎美術館の太陽の塔の背面にある「過去の顔」)
2023年3月の読書メーター 読んだ本の数:31冊 読んだページ数:7961ページ ナイス数:344ナイス  ★先月に読んだ本一覧はこちら→ https://bookmeter.com/users/743402/summary/monthly/2023/3
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2023年4月の感想・レビュー一覧
30

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コロナ禍の中で再編集された著者の言葉は「それでも生きていく」「他人の眼を気にするな」「生きることが芸術だ」という3章構成によって、過去から未来に続くかのような現在の捉え方を変え、困難を周りでなく自分の中に見出し、自らの「現在そのもの」を生きることに読者の意識の方向性を変えるかのようである。過去があるから現在があるのではなく現在があるから過去があり、矛盾に身を引き裂くことから生きる方法を探り、自らの孤独を現在の全体として肯定するという一見逆説的な言葉は、先行きが不透明な世界に生きる読者の生の価値転換を促す。
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世界が理性と合理のみでできているなら著者が生きたのは世界ではない。霊性や呪術性が息づく聖なる超越を含んだ多次元世界は「宇宙」と呼ばれる。プラトンのイデア以来、演繹的トップダウンで捉えられてきた美が、モースの人類学によって具体的なものから帰納的にボトムアップする姿勢で探求可能なことを知った著者は、コジェーヴのヘーゲル読解に参加し、ジンテーゼなき正反の弁証法を繰り広げるバタイユに共感する。一方、哲学的弁証法とは異なる瞬間における矛盾した生の力動性に重きを置く著者は、対極的な文体と語調を駆使して芸術の美と呼ぶ。
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日本の「伝統」を近代の官製トップダウンの急拵えであるとした著者は近代が作った「歴史」以前の呪術的な美の形成力を東北と沖縄を中心に探究した。『美の呪力』を中心に据えた本書はその探究を西洋に拡大し、氷河期以後東アジアから北米南米大陸に移動したモンゴロイドの先史文化の痕跡から、20世紀の前衛的美術が描く無意識を探り、整然とした西洋美術史の深層に潜在する呪術的な力を取り出そうとする。バタイユ的な弁証法の検討でもあるこの対極主義的方法は、秩序の中に矛盾を見出すだけでなく矛盾の中に生の美的価値を生み出す試みでもある。
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『神秘日本』と『沖縄文化論』の部分を収録した本書は、古代宮廷政治が地方に波及させた仏教文化に抑圧された神秘的「伝統」を、中心から離れた周縁としての東北と沖縄に見出すような編集が施されているように思える。著者は、文字や物から想起される意識の記憶ではなく、自然環境と対話する中で受け継がれ、繰り返されてきた行事や習俗の中に先史以来の野生の痕跡を、自らの五感と直感を通して無意識の深層から呼び覚まそうと試みる。これら「忘れられた」過去を探究する試みは、宮本常一『忘れられた日本人』から多くの刺激を受けているという。
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『日本の伝統』と『日本再発見』の一部を併せて収めた本書では、著者が前衛の立場から単に伝統を批判するのではなく、新たな伝統の創造を試みていたことがわかる構成だ。伝統概念が近代に作られた官製トップダウンの急拵えだと批判する著者は、一方で、伝統を過去として排除すれば同じ歴史時間上に自らを加えるだけになることにも批判の目を向けた。著者は、現存するモノを集めて作った近代の伝統作品の中に呪術的痕跡を見出し、儀式や建築空間に歴史を作る文字や物に現れない瞬間瞬間の生の痕跡を追求する。本書では著者の思想の概要が一望できる。
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著者はパリの画廊でピカソの作品に涙を流し、美術史を乗り越える契機とした。一方、戦後帰国して上野の国立博物館で縄文土器に「ひっくり返るような発見」をし、芸術全体を呪術から捉え直す契機とした。本書は、著者の死後数年で絶版になっていたエッセイを各テーマごとに1990年代後半に再編集したシリーズの一冊で、近代の「官製」の国家の歴史に押し込められつつも宇宙的ビジョンを吹き込もうとする呪術的空間、作品、儀式を見出す一冊である。本巻では前衛と伝統のような対極的な捉え方が時代と自らに挑むごとに激しい語調を生む様が辿れる。
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終わりに始まりが潜在していなければ大晦日が元旦に移り変わることはない。「歓喜・梵鐘」が鳴らす除夜の鐘は、線状に移り変わる時間に潜在する瞬間瞬間を、広がる腕とも見える多数の角状の突起が生えた鐘の音によって、終わりの静寂さの中に歓喜を湧き上がらせる。1936年から1994年までの66作品の写真版を収めた本書は、そのような特異な瞬間瞬間の塊が、長短様々な絶望、怒りの感情や抗い、挑みの姿勢を示す文を傍に配し、歓喜の感情が他の感情と絡まりながら湧き上がる様を、ページに広がる色彩と曲線を通して読者の感覚に訴えかける。
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アヴァンギャルド(関根弘、花田清輝、寺山修司、勅使河原蒼風)からポップス、ロック(松任谷由美、内田裕也)まで、祖父の弟子北大路魯山人や父一平、従兄弟の池部良ら近親者から亀井勝一郎のような論争相手まで、様々な専門域の34名の著名人に対して、著者は「職業、人間」として分け隔てなく対話を本書で繰り広げる。アヴァンギャルドを「挑む」ことと捉えた青年期以来晩年まで一貫するその姿勢は、対話相手の社会での専門性を剥ぎ取り、対話自体を剥き出しの生を巡る戦いの場に変えて、互いの素手で個を超えた何かを創造しようと試みている。
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デザイン性の高い本書が見開き2pで作品を見せる構成だからか、初見時にはノド(中央の綴じ目)部分が見づらいことを気にするが、「座ることを拒否する椅子」を思い出すと、見ることを拒否する意志がこの本にもあるような気がしてむしろ楽しめてしまう。消失して現存しない初期作品から核の脅威の中で「爆発」を描いた晩年までの作品を年代順に配した本書には、変わりゆく時代への批判と時代へ反応する自我に対する批判の両面攻撃によって生じる激しい火花のような生が、縄文の美から追いやられた神話イメージの姿となってゆらゆらと浮かび上がる。
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最近出版された著者の自己啓発的発言を選んだ本書は、20世紀を生きた著者の言葉を、「富と巨大な力を誇る大国だけが大きな顔をしている」「近代主義」を徹底したIT社会の現代と重ね、「挑む」対象がスマホやPCとオンラインし続ける自分であることを意識させる寓意的構成を採用したかのように読める。外と内の区別があった著者の時代と異なり、両者を媒介するデバイスがウェアラブルになる現代では、この区別がぼやけている。読者は、自分に「挑む」ことが外の世界に挑むと同義であることを、著者の言葉を通して示唆されるように思えてくる。
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『どきどきしちゃう』の続編であり、前著同様見開きに文字と文が配された構成の本書は、「配」するという言葉に抗うような色彩と曲線(面)の動きが感じられる。対象に美を感じるのは自分が美しいからであり、不自由と自由の間で生きることに自由を求めるというような文にも、言葉によって作られる対立的世界を受け入れ、対極を揺れ動きながらその動揺を肯定し、動/不動の矛盾を引き受ける著者の態度から、言葉に収まらない何かが伝わるかのようだ。文の中にユングの自己や禅の無を思い浮かべるが、文字を見るとそんなことはどうでもいい、と思う。
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字は絵である。が、西洋のカリグラフィーとも、一気に描かれながら書道の文字とも違う色彩豊かな文字=絵が左ページ、右ページに文が配されてページごと色が異なるカラフルな本書は、大判の美術書を期待する読者には文庫版サイズでは小さすぎるようだ。が、文字が収まる大きさの本に絵が描かれているギャップに戸惑い、文字に意味を読みかつ表情や感情を描いたようなカラフルな線とページをめくるうちに、文字に初めて出会う子供の記憶が呼び戻されてくる。男と女がテーマのページが黒いのは、文字に意味を探す大人の感覚記憶を呼び戻すからだろう。
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一気に引かれた力強く厚みのある円と曲線、原色が広がる具象と抽象の混ざった広がり、それらが身体になろうとし、手足になろうとし、顔や目になろうとして蠢きざわめく。そのどれもは横に広がろうとし、上へ伸びて行こうとする意志を感じる。意識の深層から表層へ、意味をなそうとしながら無意味に留まる可能体としての作品群が、訪れた者を自身の意識と無意識のはざまに誘い、観覧の順序もないランダムで傾斜のある空間を歩くごと彷徨わせる。作者の作品を網羅的に収めたという本書は、図録ながら、そんな特異な美術館の時空も体感させてくれる。
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1924年から70年代までの絵画の画像と文が共に、読者に「挑む」ような本書である。2021年の岡本太郎美術館「挑む 岡本太郎」展では少年期、パリ時代、戦時中、戦後、高度成長期に分けて外界に挑む著者を重点に、内界にも「挑む」著者の孤独が取り上げられた。が、本書の作品と文は内外問わず両面攻撃を続ける孤独な戦いが描かれる。「システム」から出ない戦後の美術界や日本社会に「挑む」一方で、「システム」に呑み込まれそうな自己にも「挑」み続ける作品や文には、自分の履いた靴の紐を引っ張って転ぶようなユーモアすら見て取れる。
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「木に上りそこなった」人間という著者の捉え方は、進化の頂点にある人間の対極にある。頂点にあるとは他との関係で測られる相対的尺度であり、線状の時間に終点(=目的)があると捉えるなら、今を軽視して死を目的とする考え方だと言える。著者は他者と関係して自我を固定する空間と生に終点を設定する時間を放棄する行為を「孤独」と呼ぶ。が、「孤独を抱」くとは、「木に上りそこなった」人間が生きる上で、上記の空間時間が排除できない。そこで著者は人間の未熟さの生きる「本能」である創造が未知に挑戦する「孤独」の時空を「抱け」と説く。
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著者はセザンヌとピカソの絵に出会い、感動して涙を流したという。が、著者にとって感動は他者との共感の機会ではなく、自己自身に出会う契機だった。著者はピカソへの感動からピカソを乗り越えようとするが、それは理性や意識では掴めない感動する自らの無意識の探求の出発点となる。共感を捨てて孤独を採る者は絶望から出発すると著者は言い、人間全体と出会う契機としての孤独は自らの個性を探求するが、それは他者と比較可能な個性ではない、と断言する。名言集である本書は、他者の存在に苦しむ読者に、臨床的な効果を与える言葉に満ちている。
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1980年代初頭に『週刊プレイボーイ』に連載した人生相談を再編集した本書は、意識と言語に特化したIT社会の中で、他者、孤独、生と死を「運命」と捉え、意識化や言語化可能なように取り扱われている能力や問題解決に否を突きつける言葉が選ばれている。他者に対する徹底した孤独は人間全体に対峙することだと言い、死への恐怖は生の喜びの契機だと著者が言う時、読者は意識中心のバーチャルな日常で退けられる生身の体を含む無意識の領域に誘われている。古来運命に盾を突く物語は「悲劇」とされたが、著者は「悲劇的」な生の清々しさを語る。
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意識は「もの」に分けて記憶し、無意識は分けられにくい「こと」を記憶する。「ものごと」を撮る写真は、被写体(もの)を見るか、出来事(こと)を見るかによって解釈も変わる。が、シャッター切る側が「こと」を撮ろうとする写真では、見る者は動きや表情、熱気、匂い、味も感じ取れる場合がある。先史の記憶を読み取るために祭りや儀式を撮影してきた著者のカメラは、街の風景でも被写体(看板、女性、子供、フレームに偶然写り込む人)と共にその場の雰囲気に包まれる撮影者の身体感覚もフィルムに定着させたようである(写真320点所収)。
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世界美術とは記録された歴史「世界」で収集された「美術」品が集まる領域ではない。行為として細々と受け継がれ記憶された先史の人身御供の儀式(インディオ)、自然崇拝(スキタイ)、石積み(イヌイット)、組紐文(ケルト)、長柱(朝鮮)をいう。石は人から一番遠いという著者は、石積みの行為自体に記憶された生と死の密接かつ循環する宇宙のビジョンを、文明以前の環太平洋を中心として散在する無意識の美として抽出する。人類学編である本書は、国立民族学博物館を作った人類学者泉靖一との文明とその外の関係を巡る興味深い対談を再録する。
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「アンチ」は反対でなく挑戦であり、挑戦は「自他に対する挑み」だと著者はいう。沖縄を「日本人の心のふるさと」という時、自らの立場を主張するために「沖縄」を擁護すると同時に自らの立場と戦う両面的な挑戦の過程が、著者を「沖縄」に出会わせる。自他を分けること自体に挑むその過程は、分けることを旨とする理性の論理と異なる論理を感性に見出す試みとして記される。力が現れないことが力が現すことの前提であるオシラの呪術や密教の両界曼荼羅に無時間の時間のような矛盾に出会わせるこの論理は、沖縄の地に無の中の有を著者に直観させる。
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伝統への批判的エッセイや対談を収録した本書は、「対決」の姿勢が二次的に派生する著者の感覚の論理を示唆してくれて興味深い。「法隆寺は焼けてけっこう」と言い放つ著者は、明治期に「伝統」なる語で歴史の中に美を封じ込めた官製美術史を超えて、「対立」を作る自己と対象という意識の範囲内に法隆寺の美が制限される点を問う。また、縄文の美は対象として讃えられるのではなく、対象としての制約を破棄し、無意識を触発する美の力を触発するゆえに讃えられる。民芸は制約としての対象に固執していると批判される。「自分が法隆寺になればいい」
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母子、父子という役割を超えて生命がぶつかることで感情が生まれ、感情が個々の生命を引き寄せる。子供のようにパリの息子を溺愛する母と童女のように母を叱る息子は、菩薩のように妻を信仰して妻の急死に抜け殻のようになる父にも一つの生命として対峙する。そんな父母との書簡のやり取りの中で芸術家となっていく著者は、一方でパリでの都市の虚無感を、戦争における異国の自然の崇高な虚無感にまで高め、異質な他者として戦後日本の焼け跡に立つ。この異質な生命は、定住化した社会と家畜化した人間への問いを、焼土から復興する日本にぶつける。
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メディアによって部分的なイメージに固定された著者の多岐にわたる活動の全体を探ろうとする選集の第1巻である本巻は、著者の思想面を打ち出したエッセイを6作品を収録する。著者は当初、ヘーゲルの正・反・合の弁証法を批判しつつ変形したバタイユの既成勢力・破壊者・侵犯と対立の合なき弁証法を「対極主義」と解釈し、合理主義と非合理主義が交互に現れる美術史に援用した。が、その後歴史から先史に目を向け、自身の中に既成の力と破壊の力がぶつかり合いを見出す著者は、創作を自らの無意識と意識の侵犯と対立が作り出す「爆発」と表現する。
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芸術家とそのパートナーの言葉が見開きに青と赤の文字で並ぶ。テーマは動詞「愛する」であり、一般名詞の「愛」ではない。男が「女は」と始め、女が「男は」と語り出すと、読者は「男」「女」が具体的な相手を指すのか、一般的な男性・女性を指すのかの択一を迫られる。一方芸術家は、「愛する」ことは人を複数にすると別の本で言っていた。すると本書には、意識と無意識に複数化した自己が、男のアニマ(女性像)と女のアニムス(男性像)を巡る対話に沿って愛を動詞化し、読者の心を一点に固定せず柔軟に動かす臨床的な役割があるようにも思える。
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破るべき壁はもちろん自分自身の中にある。外界から壁を自分の中に移した著者は、自分が味方であり敵であるという矛盾を読者に突きつける。言葉が矛盾でしか表現できないものは創造だ。「きみはあなた自身を創造していると思いなさい。」という言葉は、創造を自己の内側に移すと生と死の矛盾を創造に担わせることで、自身が生命であるという自覚を読者に促すからである。石から切り出されてきたように文が、広い余白の中にクッキリと記される本書には、読者の無意識の余白に矛盾する創造の杭を打ち込むような「!」や「。」で終わる強い文が連なる。
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他人に対して「強く生きる」のではない。自分に対して「強く生きる」のだと著者はいう。この時、外界に関わる自我意識は自己の無意識と対話を始める。が、著者が試みるのは、無意識との対話を通して自我意識自体を変えることだ。他人の認知を否定する無視の態度では自我意識は変わらない。そこで著者は、他者を基準とする自我の「プライド」から無意識の危険から身を守る生命的な防衛機能としての「ありのまま」の「本物のプライド」を取り出す。すると、他人に対する「コンプレックス」は、他人や外界を基準とした自己否定から自己の肯定に変わる。
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第二次大戦前の幼い日々と青春を描いた前著では、抒情詩(リリック)によって近代の自我意識の反映である自画像の表情を感情によって歪めるような記述だった。戦中から戦後を描く本書は、心と身体をまたぐ感情から身体自体の力によって疾走する。5年間の従軍で、著者は規制の中で群れる人間の未熟さに絶望し、動物になり、生命になろうと疾走する。空襲で自作を消失したことを知る帰国後の著者は、人間から疾走するように生命を求めて縄文の跡を旅し、平和と近代技術の発展を讃える万博では巨大な土偶(太陽の塔)をテクノロジー空間に屹立させる。
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自画像は、個人の視覚つまり自らの目で自分自身を見る自我意識優位の近代の産物である。一方、パリでの性愛を描き、母の崇拝者だった父をフィルタとするようにして社会通念の効かない純粋さを母に見る著者は、意識が記述する視覚的事実を集めた自画像をリリック(抒情詩)が彷彿させる感情によって塗りつぶすかのようだ。感情を文字に吹き込むように自画像を歪める著者のパリの孤独な生活に奔放な性を見、母の称揚を大袈裟だと感じる読者は、リリカルさを払いのけて自我意識側に留まろうする自らを見出すだろう。著者は自画像を描かなかったという。
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父母の記憶を何度も書いてきた著者は、最後の著作でも父母の関係に自らの芸術概念の契機を探ろうとする。結婚する資質がないと言われた母と流行漫画家の父は、結婚後互いの齟齬から大乗仏教に浸る。そこに著者は苦しみと喜びの矛盾を受け入れる理知を超えた関係を見る。母が愛人を家に入れると、矛盾は母を純粋に、父を崇拝に向かわせると記す。矛盾とは著者には芸術の別名だ。父と母の愛人が急死した母を土葬する場面は古代の祭式のようだ。本書は、その後愛人が村長として余生を送り、父が再婚して4人の娘を得ながら抜け殻のように死ぬ姿も描く。
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非常識は常識がないことだが、反常識は常識を知りつつそれに反することを言う。一方、反常識を他者に向けて仲間を作る「モノマネ」人間を著者が批判するのは、仲間の中では反常識が常識に変わるからだ。反常識は自分に向けるべきである。安全より危険を選べと促す著者は、時間直線上に未来を作る自分に抗して未知の瞬間を選び、自分を維持するプライドと逆のバカな自分になる。未来は行きづまるから突破する力も出るという著者は「一度死んだ人間になれ」という。強い語調に反して、意識の力を弱め無意識を含む自己を見つめる姿勢はとても臨床的だ。
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ユーザーデータ

読書データ

プロフィール

登録日
2017/02/06(2833日経過)
記録初日
2017/02/06(2833日経過)
読んだ本
3465冊(1日平均1.22冊)
読んだページ
1328375ページ(1日平均468ページ)
感想・レビュー
3465件(投稿率100.0%)
本棚
13棚
自己紹介

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