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2023年3月の読書メーターまとめ

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2023年3月にナイスが最も多かった感想・レビュー

roughfractus02
G・ブラックの作品は形式と内容が「完全にマッチしている」から「退屈」だという著者は、人間の論理を超えた矛盾の表現を芸術と見なす。自分の画に3人の音楽家がいると「理解」したG・スタインに対し、ピカソもそれは「静物」だと揶揄した。その共通性にもかかわらず、著者がピカソを超えるべき「障壁」と見なすのは、芸術が超克の力で進む歴史に則るだけではない。自己の芸術観を意図的に破壊して矛盾を作品に導入するピカソと異なり、創造が著者を通して矛盾を作品に吹き込む様を、本書は、創造に憑かれたような呪術的で詩的な文体で表現する。
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2023年3月にナイスが最も多かったつぶやき

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河合隼雄三昧も3ヶ月になるとだいぶ疲れ気味、、けれど、臨床の知についてはだいぶ実践的に知を扱う上で参考になることが多かった、、さて、次は岡本太郎三昧かな、、それとも禅やマインドフルネス関係を少し挟もうか、、雪に耐えて梅花麗し(写真は黄色い梅花、蝋梅) 2023年2月の読書メーター 読んだ本の数:28冊 読んだページ数:7097ページ ナイス数:311ナイス ★先月に読んだ本一覧はこちら→ https://bookmeter.com/users/743402/summary/monthly/2023/2

河合隼雄三昧も3ヶ月になるとだいぶ疲れ気味、、けれど、臨床の知についてはだいぶ実践的に知を扱う上で参考になることが多かった、、さて、次は岡本太郎三昧かな、、それとも禅やマインドフルネス関係を少し挟もうか、、雪に耐えて梅花麗し(写真は黄色い梅花、蝋梅)
2023年2月の読書メーター 読んだ本の数:28冊 読んだページ数:7097ページ ナイス数:311ナイス  ★先月に読んだ本一覧はこちら→ https://bookmeter.com/users/743402/summary/monthly/2023/2
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2023年3月の感想・レビュー一覧
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美は幾何学的な形や比率ではない。色彩から連想する寒暖差やそれに伴う匂いである。眼が位置する頭=脳から嗅覚を経て触覚の場である体全体が美の基準だ。著者はそんな美を感じる旅を、西洋から始まる美術史のような歴史時間を参照せず、インドからユーラシアの草原へ、ピカソのスペインを経由して、中南米を巡り、韓国に至る。そこで構成されるのは「宇宙」であり、各地に現存する美は宇宙を翔ぶ「眼」だという。インド=ヨーロッパの理性の論理に対し、先史時代モンゴロイドが移動した後を旅する著者は、彼らの感覚の論理にシンクロしようとする。
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瞬間を生きる姿勢から導出されるのは、直線的時間に乗って、目的や勝敗のような終わりの地点を設定すること、成熟のような経験の積み重ねを人生に求めること、運命のような時間を超越した考えから自由を考えること等を拒否することである。何よりそう考えさせる意識を持つ自分自身とその言葉に挑む必要がある。この姿勢は意識が作る個人の枠を追い詰める。すすんで自分を傷つけよ、と著者は若い読者に強く促す。ここから男性と女性のような区別が問われ、一人の中に人類や生命が見出される。恋愛は相手の中に自己を見て、個を複数にすることである。
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孤独が騒がしいのは、始終自分と対話するからだ。自分の中の矛盾に向き合うのは清々しい。これを悲劇と呼ぼう。不満がなくなったら生き甲斐も消える。だから幸せな状態は最も生き甲斐から遠い。若年層中心の雑誌の読者がそんな言葉をぶつけられると、既成の価値観が覆され、見えてなかったものが剥き出しになる感覚を覚える。対面で語るような本書を読むと、既成の価値観を覆し続ける著者の姿勢の徹底性が伝わる。言葉自体が意識の罠を仕掛け、考えを侵食する危険に対抗し続けるような強く緊張感のある語調には、芸術の普遍性へ純粋な信念を感じる。
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著者のいう「迷信」は、科学的に証明不能な前近代的な慣習だけでなく、科学によって証明可能な近代以後の常識にも及ぶ。本書は、それら意識と言葉が作り出す罠に対抗する様々な考え方を、自らの生き方を通した問いとして読者に投げかける。原題は「にらめっこ問答」だが、直接対面するような緊張感の漂う言葉遣いは、互いに時代を共有する雰囲気を生み出し、体の属する世界で他者と繋がりながら脳と意識に隠される無意識に読者を誘うように思える(本巻は1979-81年に『週刊プレイボーイ』に連載された人生相談を3分冊でまとめた最初の巻)。
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パリの画廊でのピカソ作品との出会いはナマのピカソに出会うの同じだと捉える著者は、作品が芸術家と共にあるというピカソの考えをその作品に直観する。一方、聞き手の宗左近にピカソを語る著者がピカソを通して自らを語ると、19世紀までの美術史を否定し、さらに自らの作品も否定しながら芸術家に留まったピカソに対して、複雑な20世紀に生きる自分は芸術家を逸脱して「人間」となる必要を説く姿が見えてくる。著者は、縄文のような時代を超えた芸術の普遍性への信念と誰もが芸術創造に関わる現代という一見矛盾するビジョンを掲げつつ進む。
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迷宮はフラットな空間と線上の時間でできた意識の世界から逸脱し、意識中心に生きる人間を迷わせる外的な世界ではない。意識の世界を異議を唱える著者は生命自身が迷宮であり、それゆえ人間自身が迷宮なのだという。意識を基点とする人間を迷宮と捉えるのは、意識的な現実を離れて幻想を見る時である。幻想は、期待と絶望が翻弄する矛盾を生み出し、線状の時間とフラットな空間を螺旋状に歪ませ、生きること自身を瞬間瞬間にぶつかってくる出来事に変える。著者は、ケルトの組紐文や縄文の結び目に相反する矛盾が絡み合う生の原イメージを幻想する。
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父と母の関係を生命のぶつかり合いと捉えた息子は、戦前フランスで人類学を学び、多数の著名人と知り合い、芸術家となり、恋愛して女性を生命と捉え、母の死に目に会えず、帰国して従軍し、戦後帰国して父の死顔を素描する経験を経ている。著者はその特異な父母との記憶に向き合い、意識と無意識が向き合う思春期の瞬間瞬間の苦悩を、表現を通して解釈し直しながら前進するようにも見える。が、彼の前に意識が仮想した死を終点とした「道」などない。生命自身になろうとする著者にとって、進むことは「いのちを捨てる」瞬間瞬間の行為になっている。
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先史のイヌイット文化が残したという人の形をした太古の石像イヌクシュクの考察に始まる本書は、ユーラシア大陸の東側から氷河で凍ったベーリング海峡を渡り、南米に至ったモンゴロイドの先史文化を世界各地に辿るように、石、火、水、血と太陽、仮面、夜に「透明な」呪力を求める著者の言葉を連ねる。その言葉は、血を流すキリストの身体の生々しさからキリスト教自体の古層へと呪力を届かせようとする。19世紀の実証主義的科学の根底に求心的なキリスト教の影を見る著者は「見えない世界を断ち切った」世界の背後にも「透明な」呪力を感じ取る。
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大阪万博に関わった芸術家と民博設立に尽力した人類学者の対話は、外来文化を「融通無碍」(岡本)で「よきをとり、悪しきを捨てる」(泉)基準で文化形成を今も続けるこの列島の地理・歴史・心性をテーマとする。両者は日本はキリスト教、朱子学(儒教)、仏教を宗教として受容したかと問い、中国、朝鮮、ベトナム等東アジア大陸での外来宗教との対立の歴史と比べ、この列島の「イデオロギー」構造に迫る。対話には、土着宗教の多元性が外来宗教の二元性を意識の表層で取り入れつつも深層まで届かないこの特異なシステムへの批判が随所に見られる。
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何かにぶつかり自分の無意識に触れ、自らの「影」に出会う青春を、著者は「運命」の「映像」に触れる「瞬間」と呼ぶ。この「瞬間」を探求する著者は前衛的アプローチで作品を作り、緊張した態度で意識と無意識の矛盾を掘り下げる「対極主義」を標榜する。近代への反抗と有史以前の人類の痕跡へ向かう思考は、批判対象である近代技術を用いたパブリックアートやインダストリアルデザインを作り、マスメディアを通した言葉で煽動する。1969年までの短いコラムやエッセイを収録した本書は、無矛盾を目指す人間言語の本質主義を、言語において暴く。
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本書は、東京五輪後高度経済成長期にあって産業社会が科学技術を普及させ、意識の表層世界を強固にする1965年の1-12月の間『週刊朝日』に連載したコラムを増補・集成したものである。そんな表層を射抜き深層を見据えようとする「眼」は、深層を含む身体を沸き立たせるような情熱的な言葉を著者に綴らせる。進化や発展に憑かれた時代を、物や魂や体を暴力を振るう意識でできた世界(半身だけの現実)と見なす著者は、正月から冬至へと死と再生の円環的生を織り交ぜつつ、太古から不変の深層と進化する表層の併存を提起する(オバケ都市論)。
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修験道や天台・真言の早駆けのような文体は、弥生以後の平地の文化によって山岳に追いやられた縄文の痕跡を求めるように、現代日本の意識の表層から深層に降りていく。その違いを、護摩の火を見つつ視覚に訴える夜の火と触覚に訴える昼の火に重ねる著者は、その跡を下北や出羽の山岳から広島、熊野を経て平地文化の中心京都の密教へと辿る。「ひらくべくして、ひらかなかった魂」とされる古層は五感を超えた「神秘」ではない。ものと自我に距離を作って固定する視聴覚的な世界の中で、瞬間瞬間に消える嗅・味・触覚的な世界である(1964刊)。
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1959年、米国領だった沖縄に赴いた著者は、17世紀に薩摩藩に支配され人頭税で激しい搾取と貧困に喘ぎ、20世紀の大戦で戦地となったこの地の文化を「何もない」ところに見出す。それは環境(海や森や石垣)、人間の行為(歌や踊りや風葬のような風習)に潜在し、物や言葉で残す征服者の文化に根ざした芸術に批判的な著者に深い驚きをもたらす。人間と自然の力(戦争と台風)に翻弄された沖縄の人々に対し、同情を超えて美を求めていく著者の態度は一見傲岸に見える。が、無意識のレベルでの交流が人々と交わされていることが伝わる文である。
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国家が庇護した文化財を訪れる批評家たちの「巡礼」を批判する著者は、手懐けられない異質さに出会うための「旅」をする。秋田のナマハゲや岩手の鹿踊りに環太平洋に分布する有史以前のモンゴロイドの生と文化創造の跡を見出す本書は、その一方で、徳島の「人形首」のような素朴な工芸にも近代の民芸運動によって芸術化される危険も指摘する。著者が熟読したエリアーデ『シャーマニズム』を思い起こさせる本書は、秋田、岩手、京都、大阪、出雲、四国、長崎の地名を、歴史遺産の所在地から、日本を超えて今も潜在する呪術的な古層の痕跡に変える。
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著名な両親のもとに生まれたことの重圧の中で否応なく「無限」に肥大する青春の「虚無」を、著者は芸術に集中することで対抗した。父一平が母かの子を信仰し、母かの子は芸術へと陶酔する家庭環境で、著者は、両親が疑わずにいた大正的芸術観を超克する姿勢を体得していく。青春の試行錯誤にから生まれる「虚無」は批判に変貌し、両親に留まらず近代日本社会が個人の内面に芸術を押し込め、歴史や社会に閉鎖的である点にその目を向ける。本書後半は、男性性や女性性も商業主義の個人への封じ込めだと批判し、開かれた社会に程遠い現状を暴いていく。
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G・ブラックの作品は形式と内容が「完全にマッチしている」から「退屈」だという著者は、人間の論理を超えた矛盾の表現を芸術と見なす。自分の画に3人の音楽家がいると「理解」したG・スタインに対し、ピカソもそれは「静物」だと揶揄した。その共通性にもかかわらず、著者がピカソを超えるべき「障壁」と見なすのは、芸術が超克の力で進む歴史に則るだけではない。自己の芸術観を意図的に破壊して矛盾を作品に導入するピカソと異なり、創造が著者を通して矛盾を作品に吹き込む様を、本書は、創造に憑かれたような呪術的で詩的な文体で表現する。
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著者は、巡礼という日常から非日常への移行という手順で古き良きものとして日本の伝統作品を鑑賞する批評家達の姿勢を批判し、前衛芸術の立場から、日本の伝統を日常的惰性の介入を許さない徹底した創造性の抽出を図る。本書は、縄文の非対称的で呪術的な「四次元性」、光琳の日常を排した「緊張」、銀閣の銀沙灘の生々しい抽象性等が鑑賞者に矛盾として訴えかけてくるという。日常の下に蠢く無意識の創造性から日本の伝統のモデルを作ってきた京都の再構成を試みる著者は、歴史の枠から伝統を外し、鑑賞者の日常を問うものに変える(1956刊)。
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ここちよさ、きれいさ、うまさとは他者の基準を含むゆえに芸術には不要だという著者は、芸術を「いやったらしい」ものという。未知に出会うと人は「わからない」と戸惑うからだ。本書は、王族の教養に合わせてカンバスを意味で満たす中世絵画から資本家が観るピカソらの無意味さを描く近現代絵画へシフトする美術史を概説しつつ、戦後民主主義の芸術は創作者が鑑賞者になると主張する。そこに垣間見えるのは美術史に抑圧された歴史以前の壁画や土偶にある芸術の復活だろう。無意識のように個々人にあって未知のものが芸術と呼ばれる(1954刊)。
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言語連想実験である言葉に対して遅れて応答するクライエントに恐れの感情を読み、その「間」にコンプレックスがコンステレート(群がり、配置)すると捉えたユングは、コンステレーションを個人から集合的無意識に拡大した。著者は、臨床家が無意識の入口となる「間」を見出すには、クライエントの話を客観的な説明より無意識が現れやすい主観な物語として捉えるために、その語りを聴くべく受け手の態度に徹しようとした。京大の最終講義を含む本書は、臨床事例と物語の読みを交錯させて、自らの長年の臨床経験とユング的自己の個性化を重ねて示す。
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「それ(es)が私に介入した」と言うクライエントの言葉から無意識を「エス」と表したフロイトの「自我とエス」を翻案し、「私とそれ」とタイトルした第1章から本書は始まる。読書で無意識と出会う場は物語であり、物語には無意識の悪い面(カフカ、ドストエフスキー等)、良い面(主に児童文学)、無意識とバランスをとる方法(O・ヘリゲル:主に禅関連)に3分類され、それら3種が繰り返される「深み」のある作品が臨床事例のように解釈される。後半には、著者も参加したエラノス会議の重鎮ユング、オットーや上田閑照等の著書の紹介もある。
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誕生からユング研究所で心理療法士の資格を取るまでの半生を72歳の著者が記した本書は、伝記作家の評伝に親しむ読者には日和見主義のよう見える。が、ユング研究所の諍いの中に身を置き、ニジンスキー夫人の日本語教師をした際、夫は自分と結婚して統合失調症になったのでは?という問いに答え、息子の自殺を契機に現存在分析を構想したビンスワンガーの逸話を解釈する著者の言葉を読むと,科学的因果推論は心理分析には非効果的とし、一回きりの今を見つめることを重視する姿勢がわかる。ここから自分の「影」に向き合うことの重要性が出てくる。
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著者の最後の著作は自らを題材とした児童文学であり、そのテーマは幼年期の終わりと思春期の始まりを画す10歳の壁である。第二次世界大戦前に幼年期を過ごす泣き虫の主人公は、男らしさを強要する軍国主義的風潮の中、家族に見守られながら自ら少しずつ成長を自覚していく。物語は、泣き虫という性向を感情移入しやすい個性として育み、後に相手の言葉を聴く臨床家として姿勢を少しずつ育てるかのように進む。強い輪郭線ではなく淡い滲みでその変容を表す水彩画の挿絵は、主人公と家族と時代の意識と無意識の相互浸透的な対話をイメージさせる。
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犬は人に飼われると従属的になりやすいが、猫は野生を保ち続けるという。この関係を意識に対する無意識の関係に重ねる著者は、古今東西の猫を扱う小説を読みつつ、意識と無意識の対話としての自己(著者は「たましい」と呼ぶ)の内なる対話と心理学的に解釈する。本書で扱う男性作家と猫の関係が親子や恋人との関係のように見えるのは、野生的な面を残す猫に対する親しさと異質さの混淆が反映され、空に投影された自我の影や男性が無意識に抱くアニマ的女性像が投影される、というユング的解釈が重ねられる。江戸期の鍋島化け猫騒動の解釈が面白い。
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「週刊朝日」掲載の最晩年の75編のエッセイを収める本書は、心とは間にあるということを社会(自己と他者)、個人(意識と無意識)、教育(大人と子ども)、臨床(カウンセラーとクライエント)の場を例として、ときに音楽の和音に喩えしながらそのつながりの困難を示していく。著者は人同士でも同調や同意が可能な意識の表層だけで繋がる傾向に見、その表層を科学技術が強化して人と人との間の異質さと対話しつつ育まれる心を個人の内部に封じる現代社会に対峙する。読者と対話する本書は読者を閉じ込めず、他の様々な領域につながるように促す。
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バブル崩壊からグローバル化へ進む20世紀末から21世紀初頭に産経新聞に掲載された時評を集めた本書は、悲惨な事件の周りに群がり、答えを安易に出して情報消費する社会をメディアの事件の取り上げ方や知識偏重の「教育」を取り上げる。この傾向はIT化とリンクして強化される点も実感する著者は、事件を解決すべき問題としてでなく徴候として捉え、答えが出てもさらに次の問いに向かう継続的思考力の必要を訴える。情報技術が科学を因果に還元する時代に、縦糸を人生に横糸を時代に例える著者は、相関的世界の織物の結び目として自らを捉える。
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子ども、脳、大人の3つの観点から笑いを語る3者の共通点は、虚構と現実の交流が笑いを引き起こすこと、論理性や真面目さがジョークや皮肉を生み出すこと、悲劇と喜劇は紙一重である文化の上で笑いは効力を存分に発揮することの3点である。劇場や教会が中心にある西洋古来の都市は現実生活の中に虚構空間を置いて唯一神を笑う文化を作ったが、現実に特化された現代都市は両者のバランスが歪んでいる。文化の要素から息抜きへ格下げされた笑いだが、意識重視のIT社会でも、脳は体を包む無意識とつながり、大人は子どものように笑うことはできる。
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著者の博士論文を書籍化した本書(1969刊)は、ロールシャッハ法を米国留学時に師事したクロッパーの個性記述的アプローチとその後師事したユングの分析心理学をベースに、ロジャース3原則を重視していた当時の日本の臨床現場の問題点を指摘しつつ、森田療法を施したクライエントらを通じて自らの現象学的接近法を推し進めた内容である。客観性を重視する法則記述的方法ではなく個性記述を重視する著者の臨床態度は、クライエントの心に問題を見出すより成長可能性を見出す点にある。後に箱庭療法を導入する著者のモチーフを想像しつつ読了。
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「幸福」概念を貨幣交換に置き換えて一般的レベルで扱う現代では、個別的な「幸福」は心理の問題となって個々人の交換不能な悩みを生み出している。そう現代社会を捉える著者は、エリクソンが有名にした一般市民として社会化する目標であるアイデンティティ概念に距離を取り、その個別的な実現をユングの個性化に重ねて、夢や物語にその事例を見出す。このように西洋の父性原理に抑圧される母性原理に注目する著者は、社会的に両者の統合を目指す理念を掲げつつ、両者のバランスを取る個別的な事例を自ら発見するまでの「待つ」姿勢の重要性を語る。
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9.11後を「戦争の時代」とする認識の下、臨床家とカトリック大司教は、アッシジで仏教とキリスト教の歴史の中で特異な生き方をした2人、フランチェスコと明恵について語り合う。2人は困難な状況下で他者に働きかけるより先に自分を変えようとした点で共通するという。この場合「自分を変える」とは、自分に働きかけるのではなく「待つ」態度を貫くことであるという。状況を変えようとすれば自分を変えない態度を徹底する、この矛盾の中で生きる時に「祈り」が生まれるという。他の著作より、河合隼雄の臨床態度が読者に迫ってくる本書だった。
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ユングの自己実現は、人が自我意識を超えた自己(意識と無意識の関係)に至る個性化の過程であり、近代以後の科学的合理主義の自己実現は、自我意識が他者の設定した目的に達する一般化の過程である。前者は生前と死後を含む円環的時間を巡るのに対し、後者は死を終点(目的)とした直線的時間を進む。後者は自分(意識)の体験できない生前や死後を含む前者の世界観を「おはなし」と見なす。が、著者は「おはなし」を重視する文化が、言葉より心を重視する点に注目し、「おはなし」が危機にある現代人を豊かにする効果がある点を繰り返し指摘する。
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カリキュラムをもとに「育てる」という戦後教育は、教育現場で起こる事象を問題として解決を目指す。一方臨床教育は、事象を個々の生徒が発する心理的危機の兆候として扱い、「育つ」側である生徒主体の立場を採る。臨床教育学の日本初の書籍化である本書は、臨床家の著者が思春期までの子どものカウンセリング事例を挙げ、事象を偶発的な問題として処理するよりも、偶発性を受け入れつつ咄嗟に判断して行動する必要があると語る。その際臨床家は、可謬主義的で試行錯誤する弱い論理(仮説)を用い、真理を目指す強い論理(演繹)から距離を取る。
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ユーザーデータ

読書データ

プロフィール

登録日
2017/02/06(3005日経過)
記録初日
2017/02/06(3005日経過)
読んだ本
3638冊(1日平均1.21冊)
読んだページ
1388491ページ(1日平均462ページ)
感想・レビュー
3638件(投稿率100.0%)
本棚
12棚
自己紹介

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