読書メーター KADOKAWA Group

2024年10月の読書メーターまとめ

フリウリ
読んだ本
23
読んだページ
8385ページ
感想・レビュー
23
ナイス
267ナイス

2024年10月に読んだ本
23

2024年10月のお気に入り登録
4

  • kero385
  • 禄
  • Gakio
  • ハッカ飴

2024年10月のお気に入られ登録
5

  • kero385
  • kazutox
  • 禄
  • Gakio
  • ハッカ飴

2024年10月にナイスが最も多かった感想・レビュー

フリウリ
コロナ禍をいろいろと思い出したりしながら、読みました。本書のなかで、医師らは血清の予防注射を打っていますが、その効果はきわめて疑わしく、また隔離の方法が適切かなど、細かいところが意外に気になるのは、現実のパンデミックがそれだけ生々しく、強烈だったからと思われます。アフターコロナならぬアフターペストの状況に馴染めず、コタールがおかしくなって銃を乱射するところは、ドラマとしてうまくできていて、いろいろな人間が多面的に描かれています。コロナ禍を忘れないうちに読んでおくといい作品と思います。1946年刊。8
が「ナイス!」と言っています。

2024年10月の感想・レビュー一覧
23

フリウリ
「五月のセヴァストーポリ」「二人の軽騎兵」「ルツェルン」「家庭の幸福」「コサック」所収。「戦争と平和」以前の中短編を収めています。何がきっかけかは忘れたのですが、手元に「トルストイ、ふたりの軽騎兵」というメモ書きがあり、いつか読もうと思っていました。「二人の軽騎兵」(1856)の「二人」とは「親子」で、世代が変わるなかで人間性もまた変わっていくところが、絶妙に書かれていると思いました。トルストイの後期小説に比して、現在入手できる前期小説がほとんどないことは、惜しいと思います。8
が「ナイス!」と言っています。
フリウリ
戦前から昭和30年初頭までの初期短篇集。「小銃」が27年、「吃音学院」「丹心寮教員宿舎」が28年、「星」「殉教」「微笑」「馬」「アメリカンスクール」が29年。「微笑」で文体が簡潔になる印象で、小島信夫が作家として飛躍したのが昭和28~29年であったことがわかります。「あとがき」によれば、ちょうどこの頃、森敦との交流が始まり、モリの「論理」とコジマの「象徴」がぶつかっていたようです。この頃の短篇はすべてよいのですが、守るべき壁の消失という謎めいたテーマの「城壁」(33年)は、素晴らしいと思いました。
が「ナイス!」と言っています。
フリウリ
おもしろく読みましたが、なにが「ヒューマン・ファクター」なのかが、最後までわかりませんでした。スパイ小説の背景にはほぼ帝国主義と植民地主義があるので、前世紀だったら「すんなり読めていた」ことが、そうでなくなっています。時代に即応した作品を書くことの宿命です。7
が「ナイス!」と言っています。
フリウリ
この本を読んで、別のグリーンの本をなんとなく続けて読んで、登録を忘れていましたが、本の内容についてもすっかり忘れてしまって、皆さんのレビューを見て、そうだったっけ、と思い出しました。掃除機の設計図が兵器の設計図になるところ、スコッチ対バーボンのミニボトルでチェスをするところ、などが印象に残っています。読む本を選ぶにあたっては、G1000も横目に見ていますが…、まあ軽くて、いいと思いました。6
が「ナイス!」と言っています。
フリウリ
「抱擁家族」「夜と昼の鎖」所収。「夜と昼の鎖」は明確なテーマがないので、読むのに苦労する。しかし、小島信夫は、テーマらしくないことをテーマとするので、これでいいのです。「解説をかねた<あとがき>」で少し種を明かし、昼(職場)は威勢がいいが、夜(家庭)はそれほどでもない人の不思議さ、を語っている。舞台は運河が縦横に走る町。読みながら霞ヶ浦と利根川を想起したが、はたして佐原でした(本書が出た時点で、運河は埋められて道路になっているとのこと)。江戸川区も昔は、水路が縦横に走っていたことを思い出しました。7
が「ナイス!」と言っています。
フリウリ
対談好きのわたしとしては、もう何年も前から読みたいと思っていて、買いたいリストに載せていた対談集ですが、国会図書館デジタルで読めました。昭和時代のオトナのオンナとオトコの会話なので、きわどかったり、また現在的にNGな発言も多々あるものの、各対談は数ページと非常に短く、とてもおもしろいドキュメントだとおもいます。「モモヒキをポトッと脱ぐとね、床にころがったモモヒキの格好がその人らしいってこと、あるじゃない」。唐十郎の発言です。1985年刊(元本は1981年)。7
が「ナイス!」と言っています。
フリウリ
「島」「裁判」収載。「裁判」は、主人公である野村孝一氏と家族、職場、取引先などとの交わりがつづられていますが、夢のようなシュールな世界で、辻褄があっていなさそうにみえるけれど、おそらく完全にあっているのではないか、と思います。やはり「島」同様に、カフカやゴーゴリの影響のもとで、現実世界を切り刻み、練り直し、その方向性で再び構築させているという感じがしました。1956年刊。なお、元々の版元の河出書房は、本書が「本になった途端、つぶれた」とのこと。7
が「ナイス!」と言っています。
フリウリ
テレーザとの間に生まれた子どもはみな孤児院に入れてしまったが、その理由はテレーザの家族の悪影響を恐れて、とのこと。高名への嫉妬から出たと思われる個人的情報の流布、また裏切りなどにより、周囲への疑心暗鬼が募るルソー。そのようなストレスフルななかでも、「新エロイーズ」「エミール」「社会契約論」を完成させるエネルギー。それらの一連の告白が、書簡体小説の「新エロイーズ」よりも、のちの小説に影響を与えたというところが、とてもおもしろい。本書のオリジナリティを堪能できたのではないか、と思います。1788年刊。8
が「ナイス!」と言っています。
フリウリ
第一部は1712~40年、第二部は1741~65年の出来事を回想し、中巻は第二部7~9巻(1742~57)を収載。30歳になったルソー(1712~78)から、性愛に関する話題はぐっと減り、グリム(グリム兄弟とは別人)、ドルバック、ディドロら、文人との破局が描かれます。ルソーは、記憶には不確かさが伴うが、自分にとって真実は1つといい、包み隠さず語るわけで、自ずと軋轢を生じます。生前から多くの反論があったというものの、並み外れた才気をもつ苦労人のルソー相手では、あまりに分が悪いと思いました。1788年刊。8
が「ナイス!」と言っています。
フリウリ
積読の山から発掘。上巻は子ども〜青年時代。なんだかんだ言っても、性的なエピソードが最もおもしろく、ルソー自身、そこをこそ「告白」したかったのだろうと思いました。そして、こんなのを読んだら、作家はみんな書きたくなるよね、と。ルソーの死後に発刊されています。1782年刊。8
が「ナイス!」と言っています。
フリウリ
「だれか、来る」は欧州ではとても評価され人気があるとのこと。「ゴドーを待ちながら」と似ていますが、「だれか」は(ゴドーの、漠然とした)「他者=神」ではなく「隣人」(元の家主)と、きわめて具体的。隣人を含めた男女の三角関係における、女の謎めいた行動と、男の嫉妬をからめた心理劇を通じて、「隣人」とは何者かに視線が向くようになっています。第三項としての隣人は、ゴドー的な「他者=神」の現れの一つのパターンでしょうが、別の読み方もできる間口の広さがあります。1992年刊。8
が「ナイス!」と言っています。
フリウリ
前半部分は、ベケットを読んだ人なら誰もがベケットを想起するはず。後半は先読みできるストーリー性があります。結末は、死後の世界の普遍的な表現も感じられものの、キリスト教的に下界を眺めて「ひどいもんだ」と言うのは、「ひどいもんだ」と思いました。訳者あとがきで、「しばしば「二十一世紀のベケット」と称されますが、間と繰り返しを多用し、言葉にならないものを表現するフォッセのミニマリズムは他と一線を画す独特のものです」とありますが、それが「ベケット的」なのだと思います。読んでよかったです。2000年刊。8
が「ナイス!」と言っています。
フリウリ
現代語は今の時代に応じた感覚が反映されていると感じられ、とても読みやすいです。一篇ごとに訳者解説的な文章が入るのは、解体しすぎという気もしますが、これはこれでいいと思いました。気軽に王朝物語が楽しめるいい試みなので、ぜひ他のマイナー作品もお願いしたいです。8
が「ナイス!」と言っています。
フリウリ
カミュ「ペスト」の余勢で読みました。同じ話の反復などの若干の混乱は、ペスト禍の1665年ロンドンを回顧する主人公(馬具商人)の直情的な切迫感を示すようで、読み物としての面白味を増していると思います(なおデフォーは1660年生まれ)。感染者とともに家を封鎖された家族、それを見張る監視人、狂乱する患者、避難者、街角の占い師、医師など、ペストとともに生きた人々を描きつつ、歴史的事実としてのペストの流行が克明に記録されています。避難者が巧みに家を立てる工作場面などは「ロビンソン」を彷彿とさせます。1722年刊。9
が「ナイス!」と言っています。
フリウリ
コロナ禍をいろいろと思い出したりしながら、読みました。本書のなかで、医師らは血清の予防注射を打っていますが、その効果はきわめて疑わしく、また隔離の方法が適切かなど、細かいところが意外に気になるのは、現実のパンデミックがそれだけ生々しく、強烈だったからと思われます。アフターコロナならぬアフターペストの状況に馴染めず、コタールがおかしくなって銃を乱射するところは、ドラマとしてうまくできていて、いろいろな人間が多面的に描かれています。コロナ禍を忘れないうちに読んでおくといい作品と思います。1946年刊。8
が「ナイス!」と言っています。
フリウリ
本書ではショーペンハウアーの哲学がポイントになっている、ということを読んだ記憶があったのですが、トーマスが「意志と表象としての世界」を読んで人生と死について考えたものの、わりとあっさり宗教に回帰したことにびっくり(わたしの記憶違い?)。男らがみな死に、おばあさんのゲルダが、財産と女の身内を置きざりにしてオランダの実家に帰ってしまい物語はおしまい、あとはあの世で会いましょう的な展開は、破壊的?破天荒?です。大河ドラマとしての面白みは、「楡家の人びと」と似ています。1901年刊。6
が「ナイス!」と言っています。
フリウリ
「ヴェーロチカ」「カシタンカ」「退屈な話」「グーセフ」「流刑地にて」「六号室」の6編所収。「六号室」(1892年)は正常と異常の境界認識のズレがテーマですが、「狂気」という「異常」を「正常」からの延長とみる19世紀精神医学の思潮(byフーコー)を背景におくと、医師の思考と行動、また一般民衆のそれらとのズレを、もう少し突っ込んで読めるように思いました。「退屈な話」の「ベルジーチェフ」の訳注で、「バルザック、ベルジーチェフにて死す」という形で何度かチェーホフが言及している、とあり、気になりました。8
が「ナイス!」と言っています。
フリウリ
本書は商人として成功を収めたブッテンブローグ家の盛衰記ですが、貴族ではないプチブルジョワのファミリーヒストリーを語ることは、当時としては新しかったのかも、と思いました。しかし、社会が変化するなかで、プチブルジョワとしての階級意識や作法さえ脅かされていくところが、克明に描かれています。そこをどう読むか、ですが…。1901年刊。6
が「ナイス!」と言っています。
フリウリ
「楡家の人びと」を読んだので、北杜夫が範と仰いだという「ブッテンブローグ」も読みました。淡々と進んでいきます。1901年刊。6
が「ナイス!」と言っています。
フリウリ
「狐はたくさんのことを知っているが、ハリねずみはでかいことを一つだけ知っている」というギリシアの詩人アルキロコスの断片を端緒に、ハリネズミ=一元論者(世界の法則は一つだけ)、狐=多元論者(法則は複数、またはない)のうち、トルストイはどちらのタイプかが検討されます。トルストイは世界を多元的に叙述したが、根底では一元性を求めていて、これがうまくいかないことに葛藤しつつ、容認もしていた。決してわかりえぬものに対して、生涯かけてわかるよう努力するトルストイの精神的度量を、バーリンは称えています。感動しました。9
が「ナイス!」と言っています。
フリウリ
マーク・タップリーとトム・ピンチ!老人と遺産問題を主軸に、詐欺に殺人と事件は続きますが、二人のおかげで収まるところに収まりました。例えば「我らが共通の友」に比べれば、エピソードを連ねる古い型の小説(ピクウィッククラブのような)に近いと思われますが、17世紀文化を引き継ぐような「バロック」的な世界観が、とてもよいと思います。なお、オリジナルの三笠書房版は誤字脱字が事故レベルですが、ちくま文庫版では「もちろん」修正されています。二人のような美しい魂(?)をもった人間になりたい…です。1844年刊。9
が「ナイス!」と言っています。
フリウリ
若いマーティンと、召使として雇われた後、同僚に昇格するマーク・タップリ―の二人組は、チャンスを求めてアメリカに渡ります。アメリカでの苦闘と脱出、イギリスでのペックスニフやティッグら悪人の暗躍といった物語が続くなか、若いマーティンがマークの人柄おかげで「改心」する、トム・ピンチがベックスニフの悪に気づいて自分の道を切り開こうとする、などのビルドゥングスロマン的な要素も含まれ、読み応え十分。とてもおもしろいと思います。1844年刊。9
が「ナイス!」と言っています。

ユーザーデータ

読書データ

プロフィール

登録日
2017/07/19(2690日経過)
記録初日
2017/07/19(2690日経過)
読んだ本
806冊(1日平均0.30冊)
読んだページ
272758ページ(1日平均101ページ)
感想・レビュー
798件(投稿率99.0%)
本棚
47棚
自己紹介

2022年夏~こまめにメモ。図書館、古書好き、詩を書く、本をつくる仕事

読書メーターの
読書管理アプリ
日々の読書量を簡単に記録・管理できるアプリ版読書メーターです。
新たな本との出会いや読書仲間とのつながりが、読書をもっと楽しくします。
App StoreからダウンロードGogle Playで手に入れよう