形式:単行本
出版社:河出書房新社
先代が世を去った後でしか書けず、絶対的な距離の深さには、時代の過酷な生き様が横たわり、それと不可分にあった幼い自分たちがいる。深い自省がないと、関係のあまりの密接さゆえに潜り込むことができない場所‥。村で単純な暮らしをするにも言語に絶する労働が必要とされた。氷点下の川に幼い姉妹が浸かり石を運ぶ。器械を担ぎ遠く村々へ靴下を編みに行く。出稼ぎの工場で落ちている材料袋は全くの端金に換金されるが、村の農作業の1日の手間賃と同じなのだ。70年代のお隣の話しである。引用【ある瞬間、私はついに理解した。
父の世代の生涯における苦労と努力、不幸と温情は、すべて生きるため、生きる糧を得るため、そして年老いて死ぬためにあったのだ。】文革時の黄土から作家は終にここへ来たのだ。最後に、本書では「孝」の一つの視座がある。【「孝」という文字は、いまの社会では明らかに古臭い。だが農村では依然として、人生における最大の慰めとなっている。】今の日本ではいかようなのか、どんな国でも人が最後まで背負いつづける「負債」がある。これが全く「慰め」でもあるという。絶え間なく骨身を削るなか、人が凌いで行ける自然を彼らは次に伝えたのだ。
わたくしたちはやがてまた わたくしたちのちちははのように 痩せほそったちいさなからだを かるく かるく 湖にすてにゆくだろう そしてわたくしたちのぬけがらを 蟹はあとかたもなく食いつくすだろう むかし わたくしたちのちちははのぬけがらを あとかたもなく食いつくしたように それはわたくしたちのねがいである こどもたちが寝いると わたくしたちは小屋をぬけだし 湖に舟をうかべる 湖の上はうすあかるく わたくしたちはふるえながら やさしく くるしく むつびあう ―会田綱雄の詩集『鹹湖』より―
そして突然知る。 「蟹を食う人」とは、僕自身だったのだ。
「若いうちは生活を大事にしなさい。年とって、病気や孤独に見舞われたら、死と仲良く付き合うことだ。死がいつも影のように寄り添っていることを忘れるな。だが、死が一緒にいることをつねに意識する必要はない。」
尊厳、孝行など身につまされるように読んだ。四半世紀以上前の中国農村部なのだが、そこに生きる人びとに既視感。というか、現代日本の都市ー地方と通ずるところも多々ある。このひとの随筆、もっと読みたい。
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