形式:単行本(ソフトカバー)
出版社:dZERO
レヴィ=ストロースの言葉に、たしか、「ミシンとコウモリ傘の奇跡的な出会い」みたいなのがあった。構造主義的理解では、ミシンは尖って、さすものであり。コウモリ傘もある意味、尖って、さすものという点で同一。一方、ミシンは縫って閉じるものであり、傘は開くものだという相違がある。似たような話でいえば、人は顔のパーツは異なるのに、顔という総合においては一致している。相違はあるが、魚にも哺乳類にも、顔はある。振り返ってみて、「はじめての構造主義」の影響は大きかったな。
著者も指摘しているところだが、資本主義社会では抽象の方に頭でっかちな人が、より仕事ができて、より稼いでいるかんじがする。
抽象化とは「特徴を抽出する」ということ。伝統は簡単に変えるべきでないという考え方は抽象度が高く、それを具体的に実現させる手段は臨機応変に変える必要がある(から言っていることがコロコロ変わっているわけではない)。意思決定は、多人数が関わるほど無難になっていく。「今日は時間がなかったために、このように長い手紙になってしまったことをお許しください(パスカル)」。一見遠い世界のものをいかに抽象レベルで結び付けられるか。抽象化された知識や法則は一見高尚に見える(から縛られがち)。数値目標には必ず目的や意図があるはず
徹底的に現実を観察し、活動を通して具体をつかみ、頭の中で抽象化。そこで過去の知識・経験をつなぎあわせ新しい知を生み出し、実行可能レベルまで具体化する。
子供向けの本としてこの著者の方の「具体と抽象」の本が本屋で売り出されていて、それをパラパラと立ち読み(すみません)したら、結構良さそうな内容だったので、もう少ししっかり目に書かれてる本はないかなと探してみて、本書に至りました。ありがとうございました。とても良い本でした。
抽象度の高い世界で生きたい。
【詳細】https://atsuo-relax-log.com/?p=1225
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