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享徳の乱 中世東国の「三十年戦争」 (講談社選書メチエ 661)

感想・レビュー
70

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アイリッシュ
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⭐️⭐️⭐️
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ふじ
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ネタバレ享徳の乱命名者による解説本で、入門として最適だった。 享徳の乱を応仁の乱の原因と考える説には最高の余地がある(とゼミの先生が仰っていた)。 しかし足利義政がなぜ享徳の乱で積極的に指揮をとり関与していたのかは興味深いため、今後も深掘りしていきたいなと思う。
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オルレアンの聖たぬき
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戦国時代の始まりを『応仁の乱』と学んでいたけれど、実際は応仁の乱はこの享徳の乱から全ては始まっていた。この関東の騒乱から中世の全ては始まっていた。たぶん後々為政者はこの室町の在り方から学んだのだろうと思った。
0255文字
McLean
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ネタバレ足利尊氏、直義の築いた兄弟国家体制が観応の擾乱を生み出し、その兄弟国家対立の構造がずっと尾を引き、関東の争乱を引き起こして中世の支配体制を崩壊させ、それが飛び火して応仁の乱を引き起こし、戦国の世へと移って行ったということになろうか。中世史家の長老が「享徳の乱」という概念を長年主張し続けて漸く教科書に載るようになったがまだまだ知名度は低い。『南総里見八犬伝』によって江戸時代の人々の方がよっぽど知識を持っていたと著者は言う。「公方を欠きつ(嘉吉)元年」から応仁まで、知り始めると泥沼にはまりそうな面白さがある。
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しお
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知りたかった2点がこの本で分かった。 一点は享徳以降の年号を足利成氏陣営が使うかどうか。 もう一点は昔享徳の乱という言い方は無かったはずという所。 どちらも序盤で解決したが享徳の乱を防ぐにはその前に起きている永享の乱を防がなきゃどうにもならなくて、その永享の乱も役職からの鎌倉公方と関東管領の衝突を初期から防がないと…と足利幕府が出来た時点で騒乱の芽が最初から救いようがなく、足利義教や義政がいなくても結局享徳の乱や応仁の乱は起きただろうというのが分かった。
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SADIE
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狂言回し役(岩松氏)を設定するなど、呉座氏の「応仁の乱」をかなり意識して書かれている印象(著者は新田氏を主に研究してるのね)。いい悪いとかではなく、著者は執筆時80代であり内容的にも呉座氏と比べると世代が上なことを感じた。時系列が前後したり理解が難しいと感じる点もあった。表紙を里見八犬伝の錦絵としたのは親書ではできないことなのでいいと思った。
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餅屋
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関東の〈享徳の乱〉が〈応仁・文明の乱〉に波及し〈戦国時代〉が始まった■「上杉氏を支える京の幕府=足利義政VS古河公方」の中で、重層的であった〈職の体系〉が崩壊した。本家職、領家職が取っ払われ、現地の地頭職もしくは取って代わった在地領主に抑留されていく。散在所領ほどであり〈強入部〉として武力による一円化が進み、著者は〈戦国領主〉と名づけ〈戦国大名〉の前段階と見ている。関東御分国内には京都権門(公家・武家・寺社)の所領・所職が多く存在したが、ことごとく消滅し回復することはなく、京へ全国へ波及した(2017年)
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青雲空
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まるで知らなかった享徳の乱。実は、応仁の乱の原因にもなった関東の大乱。太田道灌が大活躍していたことに驚いた。江戸城を造ったということしか知らなかったが、実は時代を代表するほどの悲劇の名将だった。
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ホームズ
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ネタバレ応仁の乱の前に起きた関東での争乱。資料があまりなかったりして詳しい事が分からない武将も多いみたいだけど割と面白そうな武将が多いな~。足利成氏とかは父親の持氏もなかなかの人物だけど成氏も魅力がありそうで興味出てきたし、長尾景春も面白そうだった。しかし長尾とか上杉とか同じような名前があちこちで問題起こしててちょっと混乱。
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こひた
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1964から「応仁の乱の兄」とでもいえる享徳の乱の重要性をいい続けて,世間が徐々に追いついてきてるが近世だとかえって八犬伝などで関東大乱の知名度高かったそうな。職の体系瓦解から一円知行に向けて,「上剋下」も。上杉憲政や太田道灌ら中間管理職の悲哀は多いが,IQ高すぎて他のヤンキーから腹黒いとか誤解が増えたんじゃないかな…。重層的権利関係のややこしさと日本の平野部の偏在からして,御所が東京に移った明治の解決策ってわりとウルトラCなのかも。中央エリート伊勢氏が北条に改名したの,地元愛アピでの高支持に繋がったり?
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てり
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読みやすくまとまっていてとてもわかりやすい。新田岩松氏の話もとても興味深かった。多くは無いがポイントを押さえた地図・系図・表などもよい。その後関東は北条氏に制されることになるが、その過程の概要もなるほどと思った。良い本だと思う。
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Hagieen
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室町末期、関東で起こった戦国の始まりと言える約30年にわたる享徳の乱をまとめた本書。先立つ永享の乱での父・足利持氏の処罰から、足利成氏を中心に関東管領上杉氏との対立、応仁の乱への影響、長尾景春の乱を経て太田道灌の処罰、小田原北条氏の台頭と享徳の乱の流れがわかりやすい。後の戦国時代の群雄割拠が小規模ながら既に関東では起こっていたのが良くわかる。古河公方・足利成氏に興味があったのだが、長尾景春や太田道灌に対しても興味が出てきた。堀越公方って何?っていうのと、結局上杉氏が悪いんじゃないのっていうw
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2兵
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「享徳の乱」の名称の発案者でもある作者による、乱の発端から終結までの概観が述べられた本。作者の主張によれば戦国時代のはじまりは有名な応仁・文明の乱ではなく、この享徳の乱であり、これがきっかけで鎌倉府による関東の支配体制が崩壊したことで、中世的秩序そのものの崩壊が起き、やがて領主階級の再編系列化のなかから地域的領主が成立。それらが「戦国領主」(作者命名)となり、暴力で領地を奪うアナーキーな時代の中で、下剋上あるいは"上剋下"を経て戦国大名となっていったという。自分が関東の人間というのもあるが、この時代は
2兵

やっぱりめちゃくちゃ面白い。上杉禅秀の乱〜永享の乱〜結城合戦を経て享徳の乱に至り、その後も長尾景春の乱、長享の乱と、戦いはまだまだ続く。関東情勢、まことに複雑怪奇なり。それにしても謂わば主人公たる足利成氏が肖像画すら残されてないのは、なんだか不憫。

08/23 12:27
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組織液
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関東戦国史忘れかけてたんで再読() 自分あんまり再読しないんですけどこれはもう3回くらいは読みましたかね… ただ戦闘の経緯、経過を書くだけでなく、気候変動から義政の文書、当時の民衆まで網羅しているのに、簡潔にまとまっていて非常にわかりやすいです。「戦国領主」という考えは色々参考になりました。黒田先生の『図説 享徳の乱』も早めに読んでおきたい…
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キングトータス
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「長尾景仲」に続けて読了。足利政権は京の幕府と鎌倉府との分割統治体制であったが、両者は対等ではなく兄と弟、都と鄙の関係であった。その為鎌倉は京に対し強い対抗意識を持つようになった。享徳の乱は鎌倉公方足利成氏の関東管領暗殺をきっかけに起こった、幕府による鎌倉公方打倒の闘いであると位置づけている。途中上杉家宰長尾家の内紛(長尾景春の謀反)を挟んで、最終的に鎌倉府体制の崩壊で終了した。鎌倉府体制は所領支配が重層的であるのが特徴であったが、乱の過程で上級職がほぼ消滅し、在地において実力による所領確保が日常化した。
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時雨
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応仁・文明の乱の13年前、東国を統轄する鎌倉公方が鎌倉府No.2の関東管領を殺害したことを皮切りに、約30年続く内乱が関東で勃発した。この争乱を1963年に「享徳の乱」と名付けた歴史家が、初学者向けに乱の経過を概説するというふれこみ。亡父の復讐に燃える古河公方・足利成氏と関東管領・上杉氏の遺恨仕合に、成氏の増長を警戒した時の将軍・足利義政が軍事的に介入することで基本的な対立関係が形成される。この構造に在地武士の一族間での骨肉の争いが複雑に絡みついた結果、乱は関東を二分する「東西戦争」の様相を呈していく。
時雨

上野の豪族・新田岩松氏を狂言回しとして指名するという趣向も本書の特徴で、確かに新田岩松氏が乱の始まりと終わりに関与していることは理解できるが「その動向を追うことが乱の経過の理解に繋がる」という意味での狂言回しの職責を果たせているのか、自分には確信が持てなかった。関東七名城の新田金山城を築き、私益確保のため関東の内乱を渡り歩いた一族という点では面白いが、とっちらかった内容という印象の一因にもなってしまっているようにも思える。ただでさえ登場人物が多い題材である以上、もっと出来事の描写に徹しても良かったのでは。

02/20 00:02
時雨

ともあれ北条・上杉・武田の三つ巴となる以前の東国戦国史をざっくり知るという目的は果たせたように思う。数的劣勢に立たされながらも事実上の勝者として生き残った足利成氏、家督争いから反乱を起こし上杉方の重要拠点・五十子陣を崩壊させた長尾景春、名前だけは以前から知っていた太田道灌(資長)といった魅力的な武将達の動向も知れた。伊勢盛時が主人公の『新九郎、奔る!』でもいずれ描かれるであろう時代背景、その予習ができたという点でも意義深い読書になったと思う。

02/20 00:17
3件のコメントを全て見る
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bapaksejahtera
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著者は中世東国史の権威。私は最近この分野を読み始めたのでよく目にする。著者年来の主張は、戦国時代は応仁の乱に先駆け関東で起こった享徳の乱を嚆矢とし、その結果戦国時代も関東が先鞭をつけたと言うもの。通説に慣れた老読者にも十分了解できた。八犬伝や太田道灌、諸処に採り上げられる馴染みの地名での戦いも読書意欲を刺激する。中世武家支配を構成した守護領国体制の矛盾が、関東で構造的に顕著で、これが早期に動乱として表出した。戦国時代も伊豆や甲斐という関東公方支配の辺境でスタートする。興味を繋ぐ内容と構成の良書と言える。
0255文字
ホームズ
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ネタバレ応仁の乱の前に起きた関東での争乱。資料があまりなかったりして詳しい事が分からない武将も多いみたいだけど割と面白そうな武将が多いな~。足利成氏とかは父親の持氏もなかなかの人物だけど成氏も魅力がありそうで興味出てきたし、長尾景春も面白そうだった。しかし長尾とか上杉とか同じような名前があちこちで問題起こしててちょっと混乱。
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スー
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152結城合戦のその後の関東。享徳の乱は結城合戦の復讐で始まり再び関東公方と関東管領(幕府)が対立し関東を二分する長い戦乱に突入していく。しかも戦乱は関東に止まらず周辺諸国を巻き込み下剋上や分裂を生み公方も親子対立をするし関東管領側の上杉も分裂対立しそこを伊勢新九郎が掻き回すと読んでいて面白いけど戦いの終わらなさに呆れてしまう。戦国は関東から始まったは納得
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デンジャラスゾンビ
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享徳の乱の概要がわかる。これまでと同様に著者は1454年に戦国時代に突入したと主張している。実はこれに関しては私は反対なのだがそれはいずれまたどこかで。
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アヤリョウ
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おもしれーなあチクショウ。関東は南北ではなく東西で分ける。覚えた。
アヤリョウ

応仁の乱以降の斯波氏がぱっとしないのは室町幕府内政治に特化した家だったということだろか。

05/24 03:20
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ニャーマネコトリック教 教祖代理
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 応仁の乱と時を同じくして鎌倉公方と関東管領が対立。関東を二分する大乱が繰り広げられた。それが享徳の乱。さて、その実態はいかに??私の高校時代にはまったく習わなかったこの戦い。支配層だけでなく、当時の関東事情も合わせて書いてくれている。戦い自体は、人物像が見えないこと、乱が終わっても既存の価値は大きく変わらなかったことから、何というか、地味。しかし、鎌倉公方がこののち一部地域の実効支配を果たし、戦国大名の奔りとなったことがわかった。研究が進めば、もっと魅力ある分野になるかもしれない。
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匂當内侍
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関東応仁の乱
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Francis
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二年間積ん読してようやく読み終えた。著者によれば戦国時代は応仁の乱ではなくて、関東で30年の長きにわたって続いたこの享徳の乱により始まる。その享徳の乱の初めから終わり、そしてその後をたどる。これは面白い。司馬遼太郎「箱根の坂」海道隆一朗「早雲立志伝」など北条早雲を主人公にした歴史小説が好きな人はその前史として読むと良いと思う。足利成氏、太田道灌、上杉定正など早雲と関わりのある武将たちがこの享徳の乱で活躍しているからだ。
0255文字
coolflat
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信長の野望をやっていて、ふと気づいたことがある。織田信長や武田信玄、上杉謙信、今川義元、北条氏康のような大大名は、なぜ畿内や関東には存在しえず、むしろその周辺に存在していたのか。なぜ当時では政治の中心であるはずの畿内や関東において、雨後の竹の子のごとく小大名が乱立した状況にあったのか。本書はその疑問を解明してくれる一冊であった。要は、応仁の乱、そして本書で説明される関東の大乱(享徳の乱)が、中心である畿内や関東そのものが戦場になったということが主因にある。
coolflat

事実だけを述べれば、16世紀における関東中央部は、越後長尾氏(上杉)・武田・北条という関東の外に成長した戦国大名による「三つ巴の争覇の草刈り場」となる。在地の戦国領主は対立・連携を繰り返した末に、この三者の勢力関係に応じた支配・系列化の対象となり、やがては併合されてしまうのである。彼らの独立した本城は、しだいに大名の支城と化していく。では、なぜ関東地域から自立した大名を生み出せなかったのか。まず、関東の雄というべき山内上杉氏が、享徳の乱において幕府の全面的支援によって大打撃を受けてしまった。

04/02 22:21
coolflat

山内上杉氏はまたその後に扇谷上杉氏との抗争によって勢力を消耗した。その配下の長尾氏も景春以外は勢力を伸ばしながらも、主家の打倒は試みることがなかった。長尾景春も戦国大名への期待をもたれる存在であったが、多くの戦力領主の支持は得られなかった。扇谷上杉氏の家臣で頭角をあらわした太田道灌も主家の扇谷上杉定正に「上克上」で滅ぼされてしまった。結果論めくが、父を討たれた足利成氏の怨念が関東を未曾有の大乱に巻き込み、かつその強力な執念が周囲を圧倒して、戦国領主の戦国大名化を阻んだといえなくもないのである。

04/02 22:22
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0255文字
9rikaz00
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応仁の乱前夜の関東に吹き荒れた、享徳の乱についての本。戦国後半の関東は上杉と北条と武田の殴り合いのリングという風情でイマイチ地元感がなくて不満があるのだが、時代を巻き戻せば足利成氏や扇谷上杉定正、太田道灌や長尾景春など、魅力的な人物はわりといる。この辺の戦国前夜が取り扱われることが増えれば関東戦国の荒涼感も少しは変わるのだろうか
0255文字
本人
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著者の学説への功名心、自己顕示欲の強さが鼻につく。64ページ、旧約聖書によれば西欧古代において、とあるが旧約聖書は西欧古代の書物でない。専門が違うといっても歴史学者を名乗ってるわけでもあり、それ以前の一般教養レベル。戦国領主という概念、一円支配化、関東武士団の没落などは興味深いです。長尾景春に戦国大名化という政治構想があったとは思えず、後代からの後付け感がある。太田道灌も戦国大名化の萌芽があっても、同様に戦国大名への志向があるとは思えない。
0255文字
蛭子戎
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戦国時代の前の前、応仁の乱前夜の関東で起きた騒乱。関東での支配権を与えられた足利将軍の分家、公方家と関東管領を任せられた上杉の全面抗争。しかし幕府が味方についた上杉が圧倒的に有利なのだけど足利成氏が最終的に事実上の勝者となり得た過程がめっちゃ面白い。歴史本部門なら今年で読んだ本の1番かと思う。ラストのラストで。
0255文字
山家
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戦国時代の関東の騒乱の先駆け、ということで買って読んだのですが。実は応仁の乱とも関連しているという事が分かり、私の目から鱗が落ちる想いがしました。この辺りは、呉座氏の「応仁の乱」では、ほとんど触れられていないので、併せて読むべきです。それにしても、享徳の乱が終わった際、古河公方も、上杉家も共に残り、明確な勝者は無い結果になったとは、あれだけの戦乱がむなしく感じられてなりませんでした。また、新田岩松氏についても知ることができて良かったです
0255文字
wang
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応仁の乱に先行して、関東で起こっていた争乱。鎌倉公方が古河公方・堀越公方に分裂した経緯をよく知らなかったのでこれがきっかけだったのかと分かった。後北条氏や越後上杉氏がそれぞれ覇権を唱える経緯など戦国時代に連なる出来事として享徳の乱は重要な役割をしている。古河公方と大途・上杉氏のいずれを支援するかが応仁の乱の東西勢力対立のきっかけとなったり、戦国領主を生む一円領主化の始まりなど後の世に大きな影響を与えた乱の経緯がわかる。
0255文字
Junichi Kitazawa
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応仁の乱と同じく大枠のわかりにくい戦い 上杉謙信がなぜ上杉なのか、というのもこれを読むと理解できる……かもしれない
0255文字
(ま)
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戦国時代の始まり
0255文字
久美
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峰岸せんせい85歳!?の意欲作……後世の人間は歴史に対して原因と結果を考えたがるけど、渦中の人たちにしてみたら場当たり的というか目の前のいざこざに対応していたらいつのまにか大きな戦乱になっていた……ということは大いにあるのではないかなぁ。鎌倉公方古河公方とか享徳の乱とかむちゃくちゃ面白いと思うよ。私もきっかけは八犬伝でした。月岡芳年の「芳流閣両雄動」良いよなー。
0255文字
めぐみこ
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1454年から30年近く東国が混乱を極めた享徳の乱について。ちょうど『里見八犬伝』の時代らしい。戦国時代は応仁の乱より早く関東で始まった、という著者の主張は初耳。でも、享徳の乱の素地に鎌倉公方と関東管領の対立があったと知ると納得だ。謙信vs北条氏の種はここで蒔かれていたのか。
0255文字
orihuzakawagon
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応仁の乱より先に戦国時代に突入した関東の享徳の乱を、その名付け親により解説した本。触り程度も含めたらすでに多くの研究者が一般向けにもこの乱について触れているので、それらを踏まえたうえで名付け親による見解を確認する感覚で読み進めていきました。
0255文字
Minoruno
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応仁の乱より早く始まり、応仁の乱より長期化し、応仁の乱より戦国時代の幕開けとして位置付けて良い(著者主張)関東の大騒乱:享徳の乱を網羅した本。30年近く続いた争乱のため、初期の鎌倉公方vs関東管領の図式から関東管領家内部の権力闘争が絡まり二重三重の対立構造がややこしさに拍車をかけていた。この長い関東の戦乱が応仁の乱にも影響を与えたというのが著者の最も主張するところなのだが、この時期全国的に一族間の内紛が頻発してるので全く影響が無いとは言えないがそこまで直接的な影響になったかどうか。。。
0255文字
マカロニ マカロン
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個人の感想です:B。享徳の乱は1454年(享徳3年)~1482年(文明14年)の28年間。応仁・文明の乱は1467年(応仁元年)~1477年(文明9年)。戦国時代は応仁・文明の乱より13年早く、関東から始まった。応仁・文明の乱は「関東の大乱」が波及して起きたものである。この2点がテーマ。鎌倉公方、古河公方、堀越公方。山内上杉、扇谷上杉(おうぎがやつ)。五十子(いかっこ)陣。といった、混乱しがちなものがよく理解できた。下剋上が頻発し、武士団が2大勢力間で揺れ動いた30年近い長期戦争の様子が理解しやすかった。
マカロニ マカロン

著者は1932年生まれで今年86歳、専門は関東の中世史。1980年生まれで今年38歳の若い呉座勇一氏のベストセラー『応仁の乱』に相当なライバル心を燃やしておいでの様子が、あとがきから窺える。「関西が応仁の乱で大変だった時、関東は平和だった」というビートたけしのTVでのコメントなども引き合いに出し、最近の教科書には載っているが、まだ一般的な歴史常識になっていない「享徳の乱」を普及させたいという熱意が十二分に伝わってくる本だった。57年間の南北朝の内乱に次ぐ日本史上第二の長期戦乱という見方も新鮮だった。

02/26 02:42
マカロニ マカロン

この本の中で主役は古河公方の足利成氏(しげうじ)だろうが、太田道灌、長尾景春といった脇役も魅力的。また、新田岩松氏が狂言回しとして重要な役目を担っている。「むすびに」の中で、享徳の乱から小田原北条氏滅までの約140年の「戦乱のなかの郷村住民」が自分たちの生命、財産を守るためにどのような行動をしてきたのかという項目も興味深かった。領主への「徳政」の要求、戦闘中の双方への年貢を半々に納める「半手」、侵攻してくる軍勢への「礼銭」で「制札」を取得し軍勢の乱暴狼藉を防止するなど、当時の庶民も武士同様命がけだった。

02/26 03:01
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三上 直樹
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戦国時代のはじまりは応仁の乱ではなく関東で争われた享徳の乱であるとする峰岸純夫先生のご高説。 歴史学の大家にふさわしく、こまごまとした史料を集めて当時の戦国領主化へと動き出した国衆の様子を明らかにしていますが、その重箱の隅をつつくような作業からでは歴史のダイナミズムを把握できないのは、仕方のないことですが残念です。
0255文字
きさらぎ
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応仁の乱は主に京都を舞台に描かれるが、戦国時代の京都は印象が薄い。本書は応仁の乱以前、弱体化しつつも存続していた足利幕府と、その身内が派遣されていた鎌倉府、そして鎌倉府に対する京都からのお目付役とも言える関東管領(上杉氏)の三者が争い絡み合う中で、次第に幕府や守護といった階層的な支配関係からなる中世的秩序が崩壊し、その中から自立的な戦国領主→戦国大名が発生してくる経緯を描く。足利持氏、足利義政、上杉憲実、太田道灌らから北条早雲、上杉謙信、武田信玄らの時代へ。室町から戦国へ「繋がってくる」感覚が興味深い。
0255文字
いきもの
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応仁の乱に先んじて起こった関東の大乱。関東全域を巻き込んだ鎌倉公方と関東管領の攻防。戦国の幕開けと著者に評されるが、この乱単独での影響はそこまでという感じもせず、これと応仁の乱とが同時期に起こってしまったことが戦国時代へ大きく進んでいってしまった要因のような気がする。狂言まわしに新田岩松氏が出てくるけど、いまいち微妙なポジションであり、別の人物のほうが良かった気がしないでもない。読みやすさや読み物としての面白さは「応仁の乱」や「観応の擾乱」には負けるかな。
0255文字
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享徳の乱 中世東国の「三十年戦争」 (講談社選書メチエ 661)評価82感想・レビュー70