形式:大型本
出版社:晶文社
生きていくことに付帯する要素が多すぎて娯楽や趣味に時間を傾け情報に流されてゆく、そんな今の時代の中で、ついつい生きていることそのものを忘れてしまう。おいしいは簡単に買えるけど、料理にはその便利を超えた大きな宇宙とケアが潜んでいる。筆者の身体の器に宿った人格としての料理からそう言われた気がした。レシピにおいては手書きかつフィーリングでやっている感じなのが面白いし、真似したくなる、写真もキレイ。繰り返されるベーコンエッグ、昼はパスタかサボりか、後余り物の翌日は翌日丼。パンやちらし寿司を突然作るのも面白い。
ノウハウを載せるための料理本というだけではない、美術館のように眺めることで、喜びを感じた、作るという目的を一度放置してレシピ本を読み漁るのも面白いかも。寝床から起き上がって、台所に立つ、手首より先を動かす、まずは私もそれに努める。
144頁にある「貯作業」(努力を継続することで貯められたあなたの作業は、確実にあなたの体の成分となる)という発想は『生きのびるための事務』にもつながっていて、面白く役に立つ。
出版は難しくても、飯を作るぐらいなら誰でもできる。たぶんコンビニ飯を良いお皿に乗っけて丁寧に食べるだけでも違う。意味があることが書けなくても、かちゃかちゃと湧き出る気持ちをキーボードに叩いているだけでも違う、と言っていた気がする。坂口さんにはもちろん真似できないすごい面もあるけど、そんなような誰でもできることを素直に言い続けるのも彼の特徴だと思う。それをひとことにしてしまえば「手を使うこと」と「継続すること」になるか。それに加えるなら、「無理せず休め」。最近は素直に共感できるし、自分にも切実なのです。
著者の注釈どおり、ハイになってるときの文章は躁モード…という感じがフルスロットルなので、そうとらえて読むのがいいと思う。
著者は鬱状態からの立ち直りの一手段として料理を始めるが、そこから料理の持つ普遍的な力を発見するに至る。 実際に手を動かして何かを作ることが、グルグルと頭の中だけで思考や思いが循環してしまう状態から脱するのに益するだろうことは想像に難くないが、たとえば絵を描いたり文章を書いたり工作をしたりということと違って、 料理には人間の根源的な営みといえる側面(火を使う、火を料理を中心に人が集まり集団が形成される)があり、また、色々な動植物の生命を材料としたものだという特徴、がある。(続く)
以下、心に留めたいフレーズなど。 ・歓喜の中には必ず創造が含まれている ――ベルクソン。 ・料理は動物と植物を多次元の新しいエネルギーに変換し、視覚だけでなく臭いや味覚も交えた多次元の空間を構成する努力。 ・台所の語源は「たいどころ」つまり胎盤である。 あと、「翌日丼」(=前日の料理の残りを使って翌朝に丼を作る)というのが良いネーミングだと思った。 自分も作ろう、翌日丼。
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