ナチスのやりようの残虐さ、それ以上と言える共産主義の残虐さ加減をこれでもかと突き付けてくる一冊。ユダヤ人にとって、収容所からの解放を実現してくれた救世主のイメージがあったが、それ誰ではない、共産主義思想の恐ろしさを見せつけられた。重いものが残る一冊だった。。。
もちろん直接に関わった者たちはその後の人生でどうしたのか。思い出したのか、思い出さなかったのか、忘れたいと思ったのか、後悔したのか、何も思わなかったのか.. できごとは終わったからといって過ぎ去りはしない。直接の当事者か間接かは問わず。だが何とかして折り合いをつけていかなければきっと人は生きていけないだろう。大叔母は外見上は気にもしていないようだった。祖母は手記を書いた。著者は調査し、分析医にかかり、そしてやはり書いた。著者にとってはこれで終わりではあるまい。その後の心情の変化が読めたらと思う。
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改めて、現代の西ヨーロッパで東欧出身者として生きることのしんどさを感じる。特段の差別を受けているわけでは決してない。それでも自らの歴史的ルーツに引っ張られ、どこか落ち着かない。亡命ハンガリー人二世で、スイス生まれの著者ですらそうなのだ。本筋とは無関係な、スイスまで出稼ぎに来たハンガリー人娼婦の描写も印象的。物語の後景に見え隠れするのは、ヒトラーやスターリンではなくオルバーンの影であったのか。
亡命貴族のメンタリティが赤裸々に語られている。こいつらみんなボリシェヴィキに捕まればよかったのに、と不謹慎なことを考えてしまう程度には屑だった。でも、絶対に反省などしないのだろうし、それこそが貴族の貴族たる所以なのだと思う。