形式:新書
出版社:中央公論新社
というのは元から思っていたことだけど、改めてSEA、リレーショナルアート、コミュニティアートなどの強さや重要性は認識できたのが良かった。やはりコンセプチュアルアートでも客体への意識、伝え方は重要だと思うし、良いと思う作品はそれが出来ていると思う。
本書で現代アートの価値を理解できた一方で、それを初見の観衆が理解するのはハードルが高く感じる。 現代アートを楽しむには前提知識を学んでおきたいと感じた一方、その機会なく現代アートに出会い、つまらないと感じてしまう人も多いのでは。(丁度、某芸術祭は政治的な主張ばかりでアートではない、という主張が拡散されていた。なぜ現代アートは政治的主張と関わるものが多いのかも本書を読めばその理由の一端が分かるはずだ。)広く現代アートの価値を伝えるためには、作品制作のみならず前提知識の共有の術も今後の作家にとって重要だろう。
欧米と日本の現代美術史を概観して、私の感想となるが、90年代以降から現代美術はつまらなくなっている気がする。ダダイズムのように何かに強くアンチする力強さはもう感じられないし、そもそも文学と同じで人間の機微や言葉にできない感覚を芸術として表していたはずなのに、「他者」「関係性」「民主主義」のような理念の下、非常に分かりやすい芸術を安易に作ってしまっている気がする。そこには思わず考えさせられたり、引き込まれたりする作者の変態性や情熱はなく、素晴らしい理念の下でそれっぽいものをそれっぽく作ったように見える。
「再現不可能の一回限り」「芸術の民主化」「参加型アート」「他者との関係性」など理念としてはご立派なものがまずあり、それに沿うような形で芸術が作られている。そのため、「すごい!何これ?」よりも「はぁ、そう来ましたか、なるほど」と言った簡単に腑に落ちるものになっていて、噛み応えがない。さらに言えば、参加型アートやリレーションアートで会う他者なんて全然他者じゃないし、全然理解できる存在ですよ。また芸術による政治批判も同様に分かりやす過ぎる。
人間の創造作用を手放すことへの関心、関根伸夫、《位相ー大地》1968。当時の美術界への主知主義への抵抗。 美術家共闘会議、1969年、美術館など表現の中央集権を批判、もの派の神秘主義的傾向を懐疑、政治主義からの逃避だと批判、 /ナチス、リーフェンシュタール、映画、政治の美学化・ファシズム。
あとやっぱり私は現代美術、特にソーシャリー・エンゲージドアートみたいなやつが好きじゃない。社会への批評精神だけが全面に出て美的価値は欠如しているものをアートですよ、とお膳に出されても手を出したくない。
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