形式:Kindle版
出版社:早川書房
自分や家族が無事だからこそ、楽観バイアスが働くのかもしれない。ただそんなに「会いたい」と思うことは、言葉にすることは悪なのか。あらゆる行動は自分一人の問題ではない。自分の自粛・自衛の度合いと相手のそれが同等でない限り、「こんな時に会いたいなんて迷惑」が発生してしまう。大切な人を守りたい愛が、大切な人を病原菌扱いする罪悪感でもあり、その所作は同じなのだ。だから苦しい。終わりの見えない時をただマスクの下で息をひそめてやり過ごしながら、愛する人といられない世界を生き延びることに意味が分からなくなる。
変わったことはワクチンが少しずつ行き渡り、取り組みが数字として表れてきたことである。どうにかこうにか「みんなで頑張っていこう、どうかご無事で」と声を掛け合いながら生き残った私たちは、それだけでも尊い。ウイルスも進化して強さを増しているが、人間もまた進化し、強くなっている。
鞭打つ人々の群れと言われたペストはどうやって終息したのだろう。あの時代と今の時代を比べる事はナンセンスだとわかっている。世界はグローバル化に伴いどんどん狭くなっている。そして、感染症は一気に広がる。私たちはサーズやマーズのパンデミックから一体何を学んだのだろう。ただ見ていただけで何も学んでいないのではないだろうか。コロナの感染者への差別、治療する感染症の医療従事者に対する差別、私たち日本人は想像力を失ってしまったのだろうか。この頃中を乗り切るのに最も必要とされる想像力をどこにやってしまったのだろう。
鞭打つ人々の群れと言われたペストはどうやって終息したのだろう。あの時代と今の時代を比べる事はナンセンスだとわかっている。世界はグローバル化に伴いどんどん狭くなっている。そして、感染症は一気に広がる。私たちはサーズやマーズのパンデミックから一体何を学んだのだろう。ただ見ていただけで何も学んでいないのではないだろうか。コロナの感染者への差別、治療する感染症の医療従事者に対する差別、私たち日本人は想像力を失ってしまったのだろうか。このコロナ禍を乗り切るのに最も必要とされる想像力をどこにやってしまったのだろう。
パンデミックのパニックという言葉は、ギリシャ神話のパン神のことをいい、この神がときどき凄い叫び声を上げる癖があり、その凄まじさに自分まで驚き逃げ出してしまう程だ というところから来ているのだそう
「科学における聖なるものは真理 である。」シモーヌ・ヴェイユ。 科学ではきわめることができない肝要な真理が確かに存在する。
正確な数字を知ることで注意警戒を促す。 その一方 日々の感染者数 死者数を国単位で比較し「もっと多い はず」と統計的にに冷静に分析しているようにみえて 自国 or 外国の死者数が増えてほしいかのように呟く人たちの心情など今後エッセイ や小説なので取り上げられる気がする。
僕は病気になるのは別に怖くない。流行がもたらしうる変化のすべてが怖い。(p.27)
すべてが終わったとき、本当に僕たちは以前とまったく同じ世界を再現したいのだろうか。(p.109)
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