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手の倫理 (講談社選書メチエ 735)

感想・レビュー
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ちくわ
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とても興味深い読書でした。「ふれる」とは相手との共同作業であり、その場で意味を生成していくからこそ、倫理なんだということと理解しました。それは、「ふれる」を超えて、コミュニケーション全般にも応用できるかもと、考えを広げてみたくなりました。(☆5)
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こあら
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ネタバレことばがとても抽象的すぎること。信頼と安心。自分以外の存在とのコミュニケーション。手、ふれる、さわるの瞬間が、こんなに広い世界があること。疎かにしている沢山のことを考えさせられた。
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万葉語り
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道徳は〇〇すべきと行動を規定してしまうが、倫理は迷い悩み、場合に合わせて判断する余地がある。他人に触れなくなってしまった昨今、ふれるとさわるの違いもわからなくなってしまったことに気づいた。
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スズリ
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何度目かの再読。一方的な行為である「さわる」が、ある場面では相互的な「ふれる」よりも相手を尊ぶ行為であることが面白い。どちらが正しい(道徳的)ではなく、接触により何が起こっているのかを掻き分けていくのが倫理なんだな。
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嶋守 さやか
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読んでよかったー、助けられました。信頼と安心は違うということ。本当に面白かった!圧倒されました。
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翳
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🔊Audible。人に触れることは難しい。違和感と異文化。
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お蕎麦
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以前、Aさんと一緒に伴走体験会に行ったときにこんなことがありました。その日の体験会ではロープの持ち方をデモンストレーションすることになりました。ロープを輪っかにして、一端を私が持ち、反対側をAさんに持ってもらいます。ところがその瞬間Aさんがロープを持った手をパッと放してしまったのです。これはヤバいと。ロープを介して伝わってくる情報があまりに生々しく、そのことに戸惑ってロープを放してしまったのです。彼の反応は非常に全うなものだと思います。
お蕎麦

相手の体が自然と入ってくるような無防備な関係を、私たちは普段身の回りの他者と取り結んでいません。特に異性同士であればなおさらです。それまで、視覚をベースにした距離=節度のある人間関係を築いていたのに対し、ロープをつかむことによっていきなり距離ゼロ、いや距離マイナスの関係になる。要するにエロティックなのです。

01/26 15:34
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seacalf
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これまで見逃していた「触る/触れる」の触覚を巡る様々な考察。当然のように体験してきた行為なのにじっくり考えたことがなかったテーマだったので目から鱗な知的興奮を味わう。ポンコツ頭では時たま論旨を見失いそうになるが、子供との触れ合い、ラグビーのスクラム、筆者の周りの様々なエピソードなど、わかりやすい身近な例えが理解を助けてくれる。安心と信頼の違い、注文をまちがえる料理店、見えないスポーツ図鑑、そして伴走者と障害者ランナーの共鳴感覚など思いがけず興味深い内容が多かった。
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goMi
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再読。
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affistar
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「ふれる」と「さわる」の違いから色々と考察していくところは面白い観点だと思いました。これまでは視覚が優位として考えられてきたけれど、触覚も劣っていないと目の見えない人との関わりを引き合いに出して主張しています。伴走は分かるけど、柔道やフェンシングの「翻訳」は知らなかったので面白かったです。道徳(普遍的な善)と倫理(具体的な状況でどうふるまうのか)の違いも重要だなと思いました。哲学に関する本は読みにくいものが多いと思っていたけれど、全体的に読みやすくかつ主張したいことが伝わる印象を受けました。
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ichigomonogatari
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手で触れる、それは信頼があれば安心をもたらすがそうでなければ相当気持ち悪いもの。触れることで相手と自分の間に制御できない感情が、衝動が生まれる可能性がある、というのはその通りだと思った。手で触れる必要のある介護の話が衝撃的。プロ、といってもやはり人間なのだから。触覚は大きな可能性を持つと同時に危険でもある。その人がその都度自分で考えなければならないわけで、相当キビシイと思った。
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愛
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おすすめされて読んだ本です。 さわるとふれるの感覚は確かに違うものだと思いました。 こういった言葉の意味の違いを正しく理解し使えるようになりたいと思いました。
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わたなべ
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読んだ!面白かったかな
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かもすぱ
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さわる/ふれるコミュニケーションはどのように行われて何をもたらすのか。道徳(規範)と倫理(実践)の違いから始まり、触覚に特有の双方向性や持続性などを踏まえて、著者や周りの人たちの経験を織り交ぜながら探ってゆく。最終章がこれまでの議論をひっくり返すような展開で衝撃的、面白さがあった。
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Dolphin and Lemon
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ネタバレ本当に素晴らしい一冊。「ふれる」というありふれた行為の豊かさ、深淵さ、そして、道徳的でないけれど、倫理的で、多様性を切り開く。何かにさわる、ふれることを思い出しながら読み進めた。
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かす実
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性暴力について、または良いセックスについて、読みながら何度も考えた。「内部」に入り込む触覚の性質は、それ自体暴力になりうる。また、触覚がもたらすフレームの混乱や、リアリティを揺るがすような想起(フラッシュバック/タイムスリップ)は性暴力に特有の苦しみを論じる際に役立つと思う。介助やリハビリの際、患者とトレーナーの関係が被害-加害関係となりうることを論じた部分で「自分から体のパーツが切り離され、失われていく感覚」「自他の境界が自分の側に押し寄せられる」という表現があった。これは脳性麻痺当事者である熊谷が
かす実

自身のリハビリの経験について語った言葉だが、驚くほど性暴力被害者の語りと共通している。いずれにせよ、ふれる側(接触のデザインの主導権を握る側)に自分の心身の声を拾ってもらえないことによる、身体を侵犯される屈辱なのだと思う。

10/20 15:34
かす実

一方で、信頼と安心のもとで自身の身体を他者に委ね、自己の感覚を拡張していく感覚、自他の境界が曖昧になる感覚、そしてその感覚の帰属先よりも現在の応答の方が優先される状態は、良いセックスをしているときの感覚にとても近い。

10/20 15:41
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pippibato
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おすすめしてもらった一冊。ふれることの豊かさや可能性について考えさせられる一冊。
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うーま U-ma
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・フレーベルの恩物 「目を通して出会う石」と「手を通して出会う石」の違い
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時計家
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触覚の内に入り込む特性に注目し、双方向のコミュニケーションや自身を確認する感覚、逆に削がれていく感覚などが紹介されており興味深かったです。
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脚立猫
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人とのやり取りにおいて触覚が関わらざるを得ない経験をもとに、その工夫や論理を説いている。強固な道徳に対して、柔軟かつ創造的な運用をせざるを得ない倫理という対比はわかりやすい。思考を実感に落としていく本。触り方によって感じ方は違う、というのはまさにその通り。
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みなみ
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おもしろかった。最後に、ふれることの非道徳さをみつめ、冒頭の倫理と道徳のちがいに戻ってくるとは……さまざまな研究の話もおもしろかったです。盲目ランナーの伴走の話とか、触覚によるスポーツの翻訳とか。 いまや目と耳でものを考えることが圧倒的に多いので、遠い過去の記憶を懐かしむような気持ちにもなりました。
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小波
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「ふれる」と「さわる」の違い。さわることの持つ危うさ。ケア的なお仕事をしている人だけではなく、コミュニケーショとは何か?ケアにおける倫理について考えさせられる。私もたまに視覚障害の方のイベントに参加しますが、他者を信じて委ねるということの意味を感じます。
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Rin
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「さわる」と「ふれる」の違い、道徳と倫理の違い、これらの対比から他者との関係について考えた。多様性という概念が自他境界を濃くし私たちを孤独にさせる。一見優しい「配慮」という道徳は、相手にラベルを貼る行為であり「他者理解」という倫理への試みをなげやりなものにする。 きっと私たちは言葉に頼りすぎてしまった。いつの間にか言葉の奴隷になっていた。デジタル化して身体接触を避けるうちに、自分と他者の形も質感も温もりも全て忘れてしまった。自分の形も分からずに孤独に彷徨っている。せめて親しい人には優しく触れようと思った。
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Shohei Ito
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触覚を通した人間関係について語った一冊。 「ふれる」と「さわる」。触覚を表す表現にはこの2つがありますが、受ける印象は異なります。「ふれる」が相互的であるのに対し、「さわる」は一方的なもの。本書では両方について言及していますが、やはり「ふれる」という所作に温かみを感じます。何か辛いことがあったとき、誰かにふれられたり、抱きしめてもらうことで落ち着くことがあります。それは相互の信頼関係があることでなせるものです。視覚や聴覚ではなく、触覚で感じる人間関係というものを考えさせられた読書体験でした。
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またの名をソラリス
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コミュニケーションというと言語によるものをイメージしがちだが、触覚による意識の伝達もある。 触ると触れるでは発信者の意識の差もさることながら受信者の信頼もまた必要になる。 コミュニケーション能力って発信する手数の多さや華やかさの能力ではなく、いかに相手の事を思い、相手の事を受け止められる能力のことではないかと思った。
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沙華
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「ふれる」「さわる」の違いや、健常者と目の見えない人がロープを頼りに行うマラソンなどから、”触覚の倫理”を説明する。個人的な感覚としても、友達、恋人、家族、自分ではない人に触れることは、見たり聞いたりするよりもハードルが高い。一方で、互いの了解を得た上で触れ合うことは心を通わせ互いが繋がるような、他にはない喜びを与えてくれるようにも思う。介護と性行為に共通する行為(服を脱がすなど)が互いのフレームを侵害し、介護/性行為に支障をきたすという例は、生々しいがなかなか語られることがないため印象的だった。
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thinkeroid
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視覚を使わないスポーツ観戦の取り組みで、競技者と(視覚を介している)観戦者の意識の違いが浮き彫りになるのが面白い。
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毒モナカジャンボ
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面白い、面白いが、坂部恵へのさわり方がこれでよかったのか、どうなのか。『「ふれる」ことの哲学』は、ほぼ言語しかないようなところでうねる思考だが、それが『手の倫理』の冒頭を導いていくとは一体どういうことだったんだろうか。
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✴︎
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ネタバレ「触覚がその直接性の中に隠し持つ「扉」は、私を、その「状況にとってふさわしくない私」にすらしてしまう可能性を持っています。不埒な触覚の誘いに乗って、あるいはそのそばで誘いに抵抗しながら、状況にとっての異物となった自分と出会うこと。/自分の中にあった異質なものに導かれていくこうした感覚こそ、実は状況に深く分け入り、伝達的でない仕方で他者と出会い、その中に入り込み、持続的に関わっていく、その導き手になりうるのではないか。」(p.202)
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綿
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「さわる」「ふれる」という行為、それを実践する手を介して喚起させられるイメージと、それを相手にどう伝えていくか、また相手や相手から伝えられる内容に対してどれくらい自分を「開いて」おくことができるかを考える本として読んだ
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Jackie
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「ふれる」「さわる」という触覚に関することが述べられている本。全体を通して著者の方の優しい人柄がにじみ出ている。視覚障害の方は音を頼りにされてるんだとこれまでずっと思ってましたが、思っていた以上に触覚を通じた感覚を大事にされてるんだということがよくわかった。頭と身体は別物で触覚を通じて現実からスリップしがちという話は怖かった。触覚の誘惑に負けないように生きていこうと思います(笑)
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みのくま
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本書を読んでいて幾たびも落涙しそうになった。触覚は何の記録も残らない。ただぼんやりした記憶の中で、亡霊の様にぼく自身にこびりついている。不思議な事に触覚は視覚や聴覚とは違い、直接ぼくの心に触れてくるのだ。だからこそぼくは本書を読んでいて感情を強く揺さぶられるのであろう。ぼくはまだ全然大人になれていない人間で、きっとぬいぐるみが好きなのも触覚の力による所が大きいと思う。また同時に強く不快な思いを想起するのも触覚の経験である。本書はぼくがレヴィナスを読んで指摘してくれなかったもどかしさを回収してくれた気がした
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葉
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ちょっと感動してしまうくらいおもしろい(そして読みやすい……)。触覚、すごい。コミュニケーション=言語のやりとり という見方がどれほど限定的で狭いものかを痛感させられる一冊
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秋 眉雄
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昨年、ある出来事があり今のこの仕事(介護職員)を続けるべきか否かを悶々と悩む日を送っていました。その出来事というのがまさに『さわる』と『ふれる』に根ざす問題。僕が本を呼び寄せたのか、本が僕を呼び寄せたのか。それは不思議な出会いの読書。そして大切な一冊になった奇跡。
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その他
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言語的/非言語的なコミュニケーションを「さわる」ことと「ふれる」というキーワードをもとに拡張していくのが面白い。触覚的な交流と精神的な共鳴が根深いのは、触れることがリスクを伴うゼロ距離のコミュニケーションだから。「気に障る」などの言葉遊び的な要素もロジカルに展開されたりするのが著者の本の好きなところだなと改めて思う。
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oko1977
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・「ふれる」ば人間的なかかわりあい、「さわる」は物理的なかかわりあい、で使い分けられる。 ・さまざまな場面における手の働きに注目しながら、そこにある触覚ならではの関わり合いのかたちをあきらかにするのが本書のテーマ。 ・誰からも距離をとることが自立ではない。 ・日本のようなハグや悪手の習慣がない社会では視覚の割合は一層高くなる。 ・視覚は距離を前提にした感覚なので、人間関係にも距離をもたらす。触覚は信頼して相手にあずけた分だけ相手のことを知ることができる。まなざしの人間関係以外にも、手の人間関係がある。
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ナオミ
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「さわる」と「ふれる」の違いや道徳と倫理の定義は混同されている。認識に個人差があるから行き違ってしまう。物理的に触れる距離感を恐れているのは、意図せず感情がダダ漏れて伝わってしまうと本能でわかっているから。赤ん坊を風呂に入れる所作は認知症で記憶が混濁しながらも手が覚えていて、一瞬で過去へトリップしてしまう話。人間の運動は脳が司っている、という前提を揺らがす奇跡にしか思えなくて、泣きたくなった。
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JP
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触ると触れる・・日本語のニュアンスは感情もふくまれた繊細なものなのだとわかった。触覚だけではなく、ブラインドマラソンの伴走のように、つながっているだけで感じる息遣いや相手の気持ち、人間はなんて複雑なんだろう。普遍的な道徳と、人や時代によって変わる倫理、今の社会は倫理でうごいているのだなぁ。
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o_o
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視聴覚と比べ軽視されがちな五感の一つである触覚だが、他者とのコミュニケーションにおいて言葉・視覚と異なる役割がある。本書は触覚を司る手でふれる・さわるを通じた人との関わり方について、様々なエピソードを交えつつ論じられています。ふれるが人間的、双方向的な関わりであるのに対し、さわるは物的、一方的。ふれる・ふれられる関係は侵襲のリスクという社会的不確実性がある中、信じる「信頼」があって成り立つこと…など。社会的不確実性がない状態で信じる安心とは違うのか。触覚を介する人間関係は繊細だとしみじみ思いました。
o_o

今年のベスト10に入れたい1冊。

10/28 23:19
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HDK
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触覚から生成される内面の影響を取材や体験を通じて考察されている。身体的にハンデのある方へのコミュニケーションの取り方や信頼関係の構築について「エウレカ」なことも多く、特に医療や介護関係者等、人と触れる機会の多い人に読んでもらえるといいな、と思う書物。
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手の倫理 (講談社選書メチエ 735)評価66感想・レビュー213