形式:ライトノベル
出版社:KADOKAWA
形式:Kindle版ライトノベル
しかし、それにミステリが加わるとなると話は変わってきます。最序盤から続けてきたボーイミーツガールを上手く、演劇と絡めて調理するならまだしもミステリが加わるとなるとゲテモノ感が強く、いっぱいいっぱいでした。劇について知識があるか否か、がこの作品を十分に楽しむための条件のように思えますね。窈一が自分とミリのために奔走してる最中でミリの後出し設定。この終わり方するならミリとの日常をもっと見ていたかったなと思いました。設定に対してページ数が足りてないため惜しいと思う作品でした。
何より、作品の根幹部分である演劇。この手の作品によくある作中に扱われる創作物の凄みが伝わらないという問題は抱えていなかったものの、扱う題材なだけにこれまた理解が難しい。Webで検索しながら読み進めると、最終的に作中劇が主人公とヒロインの関係と一致してくる作りがあり素晴らしかったが、ラノベなのだからもう少し前提とする知識を抑えて欲しかったなと思う。作品もう一つの主軸となる恋愛要素は、クライマックスを読んでしまえば納得できるものだが、中盤で「彼女はどうして主人公を好きになったのか」という違和感を産んでいる。
どんでん返しが魅力な作品だから仕方ないかもしれないが、もう少しクライマックス以外の部分の違和感を拭うための理由付けが欲しかった。ただ、作品を読み終えて主人公とヒロインの関係を理解した時の感慨はかなり良いものだった。―主人公が未来を前向きに生きることによって、ミリの見る未来(人生)が明るく色づくことになる。そこに本当の彼女は存在していないけれど、確かに彼女は猫の瞳を通して見ている―このラストがあるだけに、中盤以前の困惑や違和感は帳消しだ(演出も良)。気になる所はあれど、確かな読後感を残してくれた作品でした。
けれど、本当の理由は他にあるのではないか。つまり、ミリと窈一が共に生きられる世界よりも高次の価値観や意味を提示しようとしたからではないか。それは、呪いを解呪することだったり、一度死んでも輪廻転生して、再び出会うことだったり、ということだ。作中で述べられているように演劇、舞台は一つの呪いだという。指し詰めミリや窈一も特殊な能力を呪いとして授けられてしまった。二人が演劇の才能に恵まれていることにもこれは符合している。ミリは窈一に、演劇を続けて光を見せて欲しいと願った。
それは、二人が図らずも授かってしまった未来視、過去視という呪いの能力を、演劇という舞台の上で解呪してほしいと願ったからなのだろう。舞台の開演は死で、終演は転生なのだから。二人は舞台が終わればいつどんなときにでも出会える。だから、ミリと窈一が共に生きられる世界を窈一が諦めても、それは嘆く必要はない。舞台が始まり舞台が終われば、ミリと窈一はその度に出会えるのだ。
サブローは、ミリと窈一がそれぞれの人生という舞台の上でどのような生き様(演技)を魅せてくれるのかを見守る観察者のような存在なのかと思った。演劇部の部室にサブローがいても他の部員が取り立てて騒いだり話題にしない。また、窈一がサブローを求めている時に、都合よくいなくなったり、逆に忘れた頃に戻ってきたりする。仮にサブローがいなければ、ミリと窈一は出会えることが出来ず、未来を変える努力も当然しようとしなかったであろう。試行錯誤さえせず、ただそれまでと同じありふれた日常が繰り返されることになっただろう。
それは、それぞれの人生という舞台で何の演目も上映されなかったということと同義だ。サブローがいたから、このミリと窈一との物語が生まれた。サブローは、ミリと窈一の観察者でありながら、二人の人生の脚本家でもあったのかもしれない。また、二人の仲を繋ぐキューピッドであったことは言うまでもない。
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