形式:新書
出版社:講談社
形式:Kindle版
私自身も周囲から「本を読んで知識を獲得することは得意なのにそれをアウトプットに活かせてないのが勿体無い」と言われることが多く、引け目を感じていたが、熊楠のような人物がいることを知って心が少し軽くなった。そのため、継続的にアウトプットを行う重要性は勿論意識しつつも、気負うことなくこれからも気ままに読書を楽しんでいこうと思った。
色んな学問の中で自分の琴線に響くものをひたすらディグして、投稿して、というのが楽しかったんだろうなというのはインターネット時代の民から見た共感のかたち
村一番の祭りは稲の収穫を感謝する秋に行われるが、みかんは12月から3月、梅なら6月に収穫される。つまり、収穫祭と連動していた祭りの意義が、収穫時期のズレによって薄れてしまうと、村の生活サイクルが崩れ、神への感謝の気持ちにも影響したのだ。また、南方熊楠は現在「エコロジーの先駆者」と語られることが多いが、彼の神社合祀反対運動は非常に新しかった。信仰の拠り所を失う危機感からではなく、鎮守の森という生態系の機能が失われることへの恐れに端を発していたからだ。希少なモノだけの保護を訴えたのではない。
ありふれたモノも含めて全体を保護すべしと考えたのだ。何かが欠けたら、たちまち全体が崩れ、けっして復元しえないのだから、と。「世界にまるで不要なものなし」なのだ。エコロジーだ、社会運動だといっても シュプレヒコールを挙げたり横断幕を掲げて練り歩くのではなかった。出不精なので、現地にも出向かない。ただ助けてくれという村人の訴えを聞いて、伐採承認の印を求めてきた役人を接待し酒を飲ませて、期限切れまで粘れとアドバイスを送るのだ。
熊楠についての本は、一般書にしても難解なものが多いが、本作は熊楠という人物の魅力を分かりやすく見せてくれる。熊楠という、理系/文系そして東洋/西洋の枠にとどまらない学問の幅がよく分かる。
なお、商家の息子だったが大学の予備門で語学力の基礎をつけたとか、一生紀州に住みながら海外の雑誌に郵便で投稿していたとか、熊楠の活躍には大学や郵便といった近代の制度が関わっている。
第四章 語学の天才と、その学習法 91頁 ”熊楠が英語を勉強しはじめたのは和歌山中学時代だが、成績はあまりよろしくなく、南方熊楠記念館に残る卒業時の定期試験成績表を見ると、卒業した七人のうち、英語は下から三番目であった。” これは意外! 熊楠は「語学の天才」ではなく「努力の天才」だった。
◯膨大な田辺抜書、妻の実家の蔵書などから27年間、特に幕末の民間風説留「彗星夢雑誌」を熱心に書写したが論考にほぼ使わず。指の痛み・筆・目薬。◯英文論考は無賃で貧乏、「ネイチャー」が自然科学系に傾斜すると熊楠は「N&Q」に熱中。1924年からライバル佐藤彦四郎の投稿、鰻の話の原書、外来語論争。◯突然来訪した柳田と一度きりの対面、話が全然通じず。双方で書簡は大切に保存。河童にはドウマン(朱鼈)、カシャンボなど無数の形状と名称。妖怪の実在を疑う。山人は熊や狼少年だとして実在を否定。柳田は庶民へ方向転換して絶信。
◯牧野のような徹底的な収集の執念はない。リスター父娘に送って新種認定。種類の少ない変形菌からキノコに重点を移したが、ちゃんと発表せず。◯夢日記をつけて熱心に研究。1933年で英文論考は引退。
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私自身も周囲から「本を読んで知識を獲得することは得意なのにそれをアウトプットに活かせてないのが勿体無い」と言われることが多く、引け目を感じていたが、熊楠のような人物がいることを知って心が少し軽くなった。そのため、継続的にアウトプットを行う重要性は勿論意識しつつも、気負うことなくこれからも気ままに読書を楽しんでいこうと思った。