形式:単行本
出版社:新潮社
菊地成孔(中原昌也とは無名時代から面識がある)も音楽は全く良いと思えないし、批評も文才はあるが稚拙な独り善がりに付いて行けない。ただ喋りは好きなのでラジオはずっと聴いていて、批評でも「東京大学のアルバート・アイラー」等の講義録は読める。菊地は「アイラー」やその前の「憂鬱と官能を教えた学校」で出てきたのだから、音楽でも文でもなく口語の人とするのは間違いか。中原の場合はどうだろう。純文学は判断力を培う程度の読書歴とタレント性さえあれば書けてしまうという事実は、芥川賞受賞者やノミネート作家を見れば明らかである。
但し、タレント性=口語の魅力は文語に比べて目減りし易く、純文学作家が小説だけで食べて行くことや作品を発表し続けることは、大衆作家よりも遥かに困難だ。中原はこの自伝で臆面なく裕福な家庭を羨んでいるが、実際には青山生まれで父親も業界人であり、金銭面は兎も角文化的にはエリートだ。その時点で純文学を書く資格のある「金持ち」だと俺は思う。恩恵を全く顧みず、あり得もしない可能性に思いを馳せ嘆く姿は傲慢で滑稽だが、ただこれこそが中原の可愛げの極地である。「断筆」の出来る特権に無自覚でいられることが、羨ましくも愛らしい。
この機能をご利用になるには会員登録(無料)のうえ、ログインする必要があります。
会員登録すると読んだ本の管理や、感想・レビューの投稿などが行なえます