形式:文庫
出版社:岩波書店
Fumohさん、味わいのある寸評に共感。小生は10代にモンテーニュに出会ってから、己の菲才をかえりみず、トボトボとLes Essaisの道を歩いて・辿って還暦を過ぎました。原文の16世紀仏語は難解ゆえ現代仏語版ヲバKindleにて解読・読解中です。岩波文庫版は再読。ちなみに養老孟司さんも折に触れてモンテーニュに親しんでおられるとのこと、知的には雲上人のモンテーニュ愛好家に拍手👏と共感。パスカルはと言えば、チト手強いデスネ!"Pensées は正直、苦手です。
こんにちは、sukhamさん。わたしも分かったような顔をしてレビューを書いておりますが、まだまだ再読の余地はあると思います。個人的にはそういう本が大好きです。モンテーニュのような境地を目指して、わたしも人生を歩いていきたいと思います。パスカルもわたしは一度しか読んだことがないのですが、モンテーニュより教養を要求されたような覚えがあります。コメントどうもありがとうございました。
→そしてたまに、変な話がいきなり始まる。 【以下引用】床にはいるときには何ともなかったのに、夜中に角が生えたというのは珍しいことではないが、それでもイタリア王キップスに起こった事件は記憶すべきことである。彼は日中非常な興味を覚えながら闘牛を見物し、その晩一晩中頭に角の生える夢を見たために、想像の力によって本当に角が生えた。また、元気にわきたつ若者たちは、熟睡しながら夢の中ですっかり興奮して、愛の欲情を満足させる。彼らはしばしば営みの頂点に達したときのように、しとどに射精して着物を濡らす。(p185)↓
→太宰治がこの本を批判(というか罵倒)した文章を、昔読んだ記憶があり、何を怒っているのかと思ったが、これを読むと、まあ分からんでもない。読んでいて「力が抜けちゃう」のであろう。これでOKなら、「太宰劇場」など成立しないからなあ。全部で6巻もあって、ワイド版だから目も疲れない。来年は半年くらいかけて、寝る前にこれを最後までチビチビ読もうと思う。
習慣から生じる文化を眺めると、ヨーロッパ文化が絶対的に正しいものではなく正しさというものはその文化の数だけある。文化人類学そのものの文化相対主義的な目線を既に主張しており驚く。正しさ、良心は自然に生まれるのではなく習慣から生まれるのだ。信じるという事のよもやま話でアレクサンドロスの薬飲み干し事件など魅力的なサンプリングが多く使われている。
教育論も結構熱い。ソクラテスの様に教える事のできる教師が理想だが教える者の権威が学ぼうとする者の邪魔をするとのキケロからのサンプリングでモンテーニュは語る。モンテーニュは自分の著作を「私の著作も実を言うといろんな部分をつなぎ合わせた決まった形も秩序もない脈絡も釣り合いもでたらめなグロテスクで怪物じみた全体」と表現している。やっぱりエセーはヒップホップだね。
第31章「食人種について」は新大陸(主にブラジルあたり)の先住民文化について非常に理性的な相対主義的知見を示していて瞠目。ユグノー戦争中で、宗派が違うだけで血で血を洗う泥沼状況だった当時のフランスでのこの言説は、下手すると火炙り案件として糾弾されかねなかったのに、勇気あることだ。モンテーニュのグローバリズムに出会えたのは本書読了の一番の収穫だった。まぁアンリ3世がホントに変な自罰癖あったとかコリサンドが実在したとかも知れてよかったけど(←これも『王妃マルゴ』関連♡)。
P.バイヤール著『読んでいない本について堂々と語る方法』再読をきっかけに、本書そのものではなくて自分の抜き書きノートを再読。上記『読んでない…』で抜き書きしたモンテーニュの読書についての赤裸々な告白、わたしが奇しくも5年前に抜き書きしていた部分と一致していた!曰く:本は読むけど内容は覚えてられない、丁寧に読んだはずの本を「読んだことない」と手に取ったことすらある、だから読了した書物の末尾に日付と感想とか覚書するようになった、と(←要約)。
「さらにアジアを跨ぎ、地中海沿岸から黒海湾までのあらゆる国々を征服しようと企てた。そしてそのために、スペイン、ガリア、イタリアを越えてギリシアにまで進んだが、そこでアテナイ人にはばまれた。けれどもしばらくして、アテナイ人も、彼らも、彼らの島も、大洪水に呑み込まれた」
ちなみにモンテーニュは本書の中で、結局アトランティス大陸がどこにあるのかわからない、と言っています。
Gフック「彼に一度だけ気を悪くさせるほうが、自分で毎日気を悪くしているよりはまし」「もっとも短い近道が疑わしいときには、常にまっすぐな道をとる」「暗記することは知ることではありません。それは記憶に預かったものをしまっておくだけ」「思い切って賢くなれ。すぐに取りかかれ」「悪いことをしないのはその能力や知識がないからではなくて、その意志がないからであることを望みます」「徳を求め過ぎると、賢い人も狂人といわれ、正しい人も不正な人と呼ばれる」「自分の理性で判断しなければならない。一般大衆の声で判断してはならない」
改めて『ミシェル城館の人』を読みかけ置いていたところを読んでみたら、ぐーんと堀田さんの言葉が入ってきた。んんん…併読するかな。
「習慣はわれわれの中に、少しずつ、そうっと権力の足場を築く。はじめのうちこそ、あんなにおとなしく、つつましいが、やがて時間の助けを借りて、しっかりと根をおろしてしまうと、たちまち恐ろしい暴君の顔をあらわしてくる。それに対してわれわれはもう目を上げる自由さえもない」
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Fumohさん、味わいのある寸評に共感。小生は10代にモンテーニュに出会ってから、己の菲才をかえりみず、トボトボとLes Essaisの道を歩いて・辿って還暦を過ぎました。原文の16世紀仏語は難解ゆえ現代仏語版ヲバKindleにて解読・読解中です。岩波文庫版は再読。ちなみに養老孟司さんも折に触れてモンテーニュに親しんでおられるとのこと、知的には雲上人のモンテーニュ愛好家に拍手👏と共感。パスカルはと言えば、チト手強いデスネ!"Pensées は正直、苦手です。
こんにちは、sukhamさん。わたしも分かったような顔をしてレビューを書いておりますが、まだまだ再読の余地はあると思います。個人的にはそういう本が大好きです。モンテーニュのような境地を目指して、わたしも人生を歩いていきたいと思います。パスカルもわたしは一度しか読んだことがないのですが、モンテーニュより教養を要求されたような覚えがあります。コメントどうもありがとうございました。