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寒山拾得縁起(Kindle版)

感想・レビュー
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sayzk
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「寒山拾得」の理解の一助になるかと思ったのでこちらも読んでみたが、そうは簡単にいかなかった。森鴎外が子供を納得させることができなかったそうであるから。 神戸市の横尾忠則現代美術館で寒山拾得展があるから見に行くことにしよう。 (そもそも読みからがジュットクなのかジットクなのか、そこからわかってなかった私です)
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かっくん
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子供の「どうして」は昔から。
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かんやん
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資料を参照せず記憶のみで、子どもにした話をほとんどそのままに、『寒山拾得』を書いたと言っている。ところが、近年の研究によればやはり蔵書を参考にしたということらしい(Wikipedia)。話を盛ったわけで、そうすると最後のユーモラスな一言もフィクションではないのかな。人は話を脚色するし、そうやって伝えられた話もさらに脚色される。こんな風に寒山拾得の伝説も生まれたのだろうか。あと千年もすれば鴎外も文殊の化身のように思われているかもしれない。
かんやん

ユーモアのセンスがない人が冗談を真に受けて、それで伝説が生まれるのかも。

11/24 12:06
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Lisa Tada
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これを読まないと、寒山拾得のお話が ちっとも面白くないまま終わってしまう。寒山拾得縁起の最後のオチに 『ははは』と声を立てて笑いました。
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Hiroki  Nishizumi
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少しは言わんとする深みが分かりかけてきた
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zakuro
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鴎外が子供に寒山詩を請われ、難しいからと買ってやらない代わりに、質問に答えるというところで思いついて書いたのが『寒山拾得』だという。寒山が文殊(菩薩)、拾得が普賢(菩薩)だと豊干が嘘をつくというお話。宗教を子供にどう教えるかというところは『かのように』にも通じると思った。芥川で同名小説があるので読んでみたい。
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AKIKO-WILL
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ネタバレ森鴎外の子どもが寒山詩を欲しがり…鴎外がまだ子どもにも難しいと言い、寒山拾得のお話をしたのをキッカケにこの話が出来たという裏話。鴎外の子どもが何故どうして?と聞くたびに鴎外があの手この手で話すがますます分からなくなる…何かそのやりとり見たらきっと微笑ましいだろうな。
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マリリン
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子供の無垢な好奇心、それに応える私。大人になると雑念から聞けないような事を聞いてくるが、答えに窮する事もあるる。それでも丁重に応える親の姿勢が温かい。寒山詩に興味を持つ子供の姿も父親の影響かと思うと...親子とはそんなものなのかもしれない。応える事で親も新たな知識を得るもかも。...無垢な時代は確かにあった。応えてくれた裏には...思わずクスっと笑ってしまいたくなるような...。 よい作品だった。
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らぱん
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笑った。まるで小噺だ。鴎外先生は子煩悩だったのだな。 鴎外の子は寒山拾得について尋ね、子はどの返事にも納得しきれずに新たな問いを発する。 「なぜなぜどうして」と問い続ける子の姿がまるで子供の時の自分を見るようで懐かしくもあり、その時の親の気持ちを思ったりもした。 見事なオチで締めくくられるのだが、終わってみると禅の公案のようでもある。お見事。 この小品は「寒山拾得」執筆時についての随筆で一緒に出たものらしい。小噺ではなく枕だったのか。鴎外の洒落っ気を知った。
ガラスの文鎮(文鎮城)

ホウホウ、面白そうですな。ポチッ。

02/01 12:29
らぱん

いってらっしゃーい(/・ω・)/

02/01 15:11
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Tobias
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寒山拾得を書くに至った鴎外と子供とのやりとり。宮崎虎之助とは大正日本に登場した自称メシアの人らしい。やっぱり良くわからないが、鴎外パパ意外とかわいい笑
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白桃
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ネタバレ過去の偉人が適当に言った(書いた)ことを後世の人たちが一途に信じている滑稽さをいっているのか?「実はパパアも文殊なのだがまだ誰も拝みに来ないのだよ」も意味不明。「信じる者は救われる」と同じで「信じれば文殊。信じなければそれまで」なのかね。もしそうなら宗教の根源の話だ。「最初の仏はどうして出来たかと問われて困ったというような話があった」はこれか?意図的に分かりにくくしているだけにどうにもならん。子供もこんな意地悪され大変だったろう。あっ分かったような分からないような的に書くのが宗教のコツだっけ?
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多読多量連投が日課だった
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餓鬼に難しいさの説明は難しいと言う話。元の話は知らんな。
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水月
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こちらは森鴎外が「寒山拾得」を書いて子供に読んで聞かせたエピソードが描かれている。権威を嘲笑う話なのですが、何がすごいのか分からないが、すごいと思う人への皮肉のようでもある、と思います。禅問答のようなオチは結局何かがすごいということを相手に伝えることは出来なくて、トートロジーになってしまう、ということなのかもしれない。
水月

「寒山拾得縁起」の最後の一文で森鴎外が言う「実はパパアも文殊なのだが、まだ誰も拝みにこないのだよ。」というセリフは誰も自分の作品を理解していないが、みんな自分のことをすごいと思っているという自虐だろうと思います。

06/07 22:59
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ももたろう
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ん〜、わからん。「実はパパアも文殊なのだが、まだ誰も拝みにこないのだよ。」という最後の一文の解釈が特に分からない。しかし、何というか、よく考えもせず盲目的な信仰に走る人間への風刺であることは何となく感じる。いずれにしろ、ラクして何かを得ようとしても、何も得られないという普遍のテーマを突いていると思う。そういうことを子どもに語ろうとしているのは分かるけど、最後がわからん。うーん。また年月を経て再読しよう。
ももたろう

ちょっとわかった。世間で名声を得ている人間、それだけの理由でよく考えもせずに飛びつくな、というメッセージか。最後の一文は、誰でも(聞こえだけは)有名な人間になれるんだ、ほら父である私もそう言うことができるんだよ、というような事なのかもしれない。

06/23 23:19
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Tonex
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鴎外の短編小説「寒山拾得」を読んだので、ついでに読んでみた。「寒山拾得」執筆の経緯を説明したエッセイで、もともと「寒山拾得」とワンセットだったが、青空文庫に収録する際に分割したらしい。▼子供が寒山詩の本の広告を見て欲しがったのに、買ってあげないケチな鴎外。▼《子供にした話を、ほとんどそのまま書いた。いつもと違って、一冊の参考書をも見ずに書いたのである》とか《子供はこの話には満足しなかった。大人の読者はおそらくは一層満足しないだろう。》とか、意外とお茶目な鴎外。→続く
Tonex

(→続き)最後の方に出てくる「宮崎虎之助」について検索したら、芥川龍之介の『葬儀記』にも顔を出していた。夏目漱石の葬儀にやってきて、休憩所の椅子の上にのって、死は厳粛であるとかなんとか伝道演説をやっていたらしい。《僕はちょいと不快になった。が、あまり宮崎虎之助らしいので、それ以上には腹もたたなかった。接待係の人が止めたが、やめないらしい。》当時の有名人で、ちょっと困った人だったらしい。

11/28 12:32
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Hiroki  Nishizumi
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これまた分かったような分からないような・・・
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ミラクロン・カエサル
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 そうだったのか。非常に納得した。要するに、鴎外先生にもわからないものはわからないんだ。
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