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ユーモアのセンスがない人が冗談を真に受けて、それで伝説が生まれるのかも。
ホウホウ、面白そうですな。ポチッ。
いってらっしゃーい(/・ω・)/
「寒山拾得縁起」の最後の一文で森鴎外が言う「実はパパアも文殊なのだが、まだ誰も拝みにこないのだよ。」というセリフは誰も自分の作品を理解していないが、みんな自分のことをすごいと思っているという自虐だろうと思います。
ちょっとわかった。世間で名声を得ている人間、それだけの理由でよく考えもせずに飛びつくな、というメッセージか。最後の一文は、誰でも(聞こえだけは)有名な人間になれるんだ、ほら父である私もそう言うことができるんだよ、というような事なのかもしれない。
(→続き)最後の方に出てくる「宮崎虎之助」について検索したら、芥川龍之介の『葬儀記』にも顔を出していた。夏目漱石の葬儀にやってきて、休憩所の椅子の上にのって、死は厳粛であるとかなんとか伝道演説をやっていたらしい。《僕はちょいと不快になった。が、あまり宮崎虎之助らしいので、それ以上には腹もたたなかった。接待係の人が止めたが、やめないらしい。》当時の有名人で、ちょっと困った人だったらしい。
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