形式:文庫
出版社:小学館
のの、その先は論じられていません。この辺りのアンバランスな感じが批判を招く理由でしょうか。第3章では、開国の端緒をアメリカではなく時系列的にロシアが先だということに着目します。ウクライナへの侵攻を目の当たりにした現在ではロシアの動静が俄然気になって来ますが、日本の開国に冷戦や宇宙開発につながるマニフェスト・ディスティニーとして米露両者から汲み取ると、過去と現在の歴史のダイナミクスがみえてきます。
差別されている分には、文化は保持されていた可能性もあるのだから。それだけ幕府側=日本国家が自分たちの文化に自信を持ったのは、おそらく神道と朱子学との合一、さらには本居宣長らが作り上げた国学によるもの。この国学は平田篤胤によりほぼ完成され、あれだけ海外勢が入り組んで活躍した幕末の混乱期にあって、一人の売国奴も生み出さずに済むという奇跡を生み出した。そういったいい面(?)もあるけれど、黒船の到来前にその予兆が多数ありながら極めて内向きになっていたせいで、外交が出来ない国に変容させてしまったとの副作用もある。
よく言われているように、江戸時代は完全リサイクル社会で、分を知れば競争のない平和で幸福な時代であったという面もある。アメリカ初代総領事ハリスが回顧録で「日本を開国して外国の影響をうけさせることが、果たしてこの人々の普遍的な幸福を増進する所以であるか、どうか、疑わしくなる」と書き残すほどに、当時の日本人は幸せそうだったとのこと。江戸は百万人都市でありながら、町役人=警察官が十四人しかいなかったという資料からも、世界に比して例外的に、いや、ありえないほど平和で、ユートピアのような世界であったと裏付けられる。
オロチョンともいいませんか
ウィルタ=オロッコの特徴的な生業は元来、トナカイ牧畜や狩猟、漁労であった。 伝統的住居はエヴェンキやオロチョンなど他のツングースと同様、比較的細い木の幹の柱を何本も組んで、外部を毛皮で覆った円錐形の天幕式住居であった。とありますので、ちょっとだけ違うようですね。両方ツングース系のようです。
そして、それ以降、主に北海道にいた異民族をえぞと大和民族は呼ぶ。 坂上田村麻呂に敗れたアテルイはアイヌの王であったか?
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