あ、いえいえ
今年で十三回忌、
いろいろ克服しましたよ。
彼とはちょうど10歳差で、
生きていれば今年40さい。
どんなおじさんになってたかなあ。
わたがしの歌、
あれは「海」の題詠だったのです。
正直、打ちのめされました。
「ひとさらい」には
同じ題詠サイトで詠んだ歌がたくさん入ってて、
★表面に〈さとなか歯科〉と刻まれて水星軌道を漂うやかん
★ 「はなびら」と点字をなぞる ああ、これは桜の可能性が大きい
この2首は今でも忘れられない歌。
禿童子さん
親友…まではいかないけれど、
まだ笹井宏之が「ネット歌人」だった頃、
彼は大事な仲間でありました。
とある短歌のサイトで出会って、
彼が亡くなる日まで、
メーリングリストで繋がっていました。
リアルで会うことは出来ませんでしたが
文字だけでも
本当に、風のようなひとでした。
杏仁さん
同じ中学生の方が、こんな紹介をされてました。
https://calil.jp/recipe/17543003
古典和歌の本は図書館でもたくさん見つけられると思います。
ぜひぜひ、受験勉強の邪魔にならない程度に探してみてください。
そうなんですね、新しい知識が身について嬉しいです。ありがとうございます!
これから自分でも色々なことを調べて、和歌についてもっと深く知りたいです。
そういったことを学べる本などあったらぜひ教えて頂きたいです✨
★海ならずたたへる水の底までに清き心は月ぞ照らさむ
☆海ではないけれども、海よりも深く湛える観ずの底にある私の潔白な心を、月が照らしてくれるでしょう。
新古今和歌集の菅原道真ですね。大鏡に収録。
新古今集・雑歌下には菅原道真の歌が12首並んでいて、これは10首め。
本当に道真の歌かどうかは分からないようですが、
太宰府に左遷されて身の潔白を示す歌がこれでもかと並んでいます。
新古今を下命した後鳥羽上皇が「どうしてもここに並べろ」と指示したそうです。
新古今を読む時、いつも不思議な気持ちになります。
杏仁さん
はじめまして、こんにちは。
ようこそいらっしゃいませ。
和歌が好き。素晴らしい!
三大歌集…ということは
万葉集、古今和歌集、新古今和歌集、ですかね。
どうかそのまま好きでいて欲しいです。
後から私の好きな歌、更新しようと思います。
杏仁さんのお好きな歌も教えてください。
Ayumiさん
笹井宏之の自由自在感は、何というか「人ならぬもの」という感じがあります。
わたしは勝手に「神さんが好きそうな人」と思ってたくらい。
1/24は、笹井の命日。
その日、佐賀は大雪だったそうな。
禿童子さん
放置まことにすみません。
わたがしで…の歌、
私この歌が出来た場面に立ち会ったのですが、禿童子さんと同じく「わたがし/わたし」の見間違い、やりました。
これも笹井らしい歌。
綿菓子の棒が流れ着くまでのドラマが向こうからやってくるんです。
お久しぶりです。
『えーえんとくちから』を読みました。
不思議とイメージのわいてくるものが多くて勝手に喜んでいます。少し不穏な感じがあってあまりおおっぴらに言いがたいのですけど次の歌が好き。
ゆきげしき みたい にんげんよにんくらいころしてしまいそうな ゆきげしき
これも全部ひらがなですね。
しかし、漢字の「綿菓子」と書かずに「わたがし」としたのはなぜでしょう。
禿童子のように読み誤る人もいるはず。それが作者の狙いかもしれない。
「綿菓子」と「私」が平仮名の「わたがし」に重ねられている。わたしがわたがしであった、甘い、ふわふわした、幸福感に満ちた「綿菓子」の頃の「わたし」は食べつくされて、残った「棒」だけの存在が海岸(今ここ)に流れ着いた。
以上、禿童子の勝手読みです。
笹井宏之の第1歌集『ひとさらい』を読みました。2回さらうと自分の目に引っかかってくるのが、「わたがしであったことなど知る由もなく海岸に流れ着く棒」です。「えーえんと」の次の歌なので何度見もします。
最初、「わたがし」を「わたし」と誤読していました。私が私であったことを忘れ果てた認知症の老人を想像しました。海岸に流れ着いた「棒」は「わたしでなくなった私のことか」と。
よく見ると「綿菓子」なんですね。綿菓子を巻き付ける棒が、食べ終わった後には捨てられて流れ流れて海岸にたどり着いた。
こんばんは
禿童子さん、その本は知りませんでした!
太閤さんの和歌。
ほかの有名武将が代作(細川幽斎)ばかりのところ、おそらく太閤さんは本当に詠んでいたのでは、と言われています。
いま手元にないのでアレですが、太閤さんの歌(もちろん辞世以外)もこのコミュで読んでみたいです。
昨日、図書館の返却本コーナーで『武人万葉集』という本を見つけました。
ぱらぱらめくりましたが、武将が亡くなる前の辞世の歌とか、秀吉がお茶会を開いたときの歌など、作品としての価値はいかほどか分かりませんが、添え書きを読むだけでも面白うございました。実は、奈良時代以前から戦国、江戸、近代以降とタイムスパンが長くて、必ずしも有名人ばかりではないのですが。
内藤銀ねずさんはご存知ですか。
「ドラえもん短歌」は一般公募だったようですが、本にするほどに人が集まった。短歌を楽しみたいという人が潜在的にそれくらいはいる、ということかなという気もしています。
短歌の題材はどこにでもあると思ってますが、短歌にしようという行動にはなかなかにならない。身近なテーマを与えられて気負わずによんだ短歌の数々。それなりなものも中には出てきたりするのかもしれません。
添削の件は承知いたしました。
「鑑賞するコミュニティ」とありますものね。
逸脱する内容でした。
大変失礼しました。
あと、短歌添削のお話。
私にはひとさまの作品の添削はできません。
ネット上に公開された場で短歌の添削をすると、間違いなく喧嘩になってしまうので、このコミュニティではあくまで「読む」ことだけに徹しようと思います。
短歌の最大の弱点、それは「場の文芸」ということ。信頼しあった仲間が非公開の場で互いの作品を批評しあうので、仲間内だけの共通認識と符牒が生まれやすいのです。
それが短歌の読者を不在にしてしまった。なぜなら短歌の読者=作者にしてしまうから。
純粋な短歌の読者を私は目指したいです。
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