私はいま、ネット上のnoteに『進化政治学による日本近代史』を連載しています。その第1章「進化政治学」に「戦争について」という小見出しがあるので、次回以降その文章をアップしたいと思います。進化心理学の研究者は、そう簡単には戦争はなくならないと考えていますが、ロシアによるウクライナ侵攻が生じ、まさにその通りになりました。
私も70歳を超えました。こうしていま、自分の人生を振り返ってみると、恥ずかしい行いが少なくありません。欲望が理性をマヒさせる、ということもよく理解できます。
人の脳は欠陥商品だ、というある脳研究者の主張も、年齢を重ねるとともにますます真実味が増すことを実感しています。
(続く)
誤解しないでいただきたのですが、戦争は人間の本性だから不可避である、と強調したいのではありません。人間の「ダークサイド」からも目をそらさずに直視すべきことを訴えたいのです。なにしろ、人間の約半数は「隠れサディスト」であるという研究もあるほどです。カナダのブリテッシュコロンビア大学のデルロイ・ボーラス教授の調査結果ですが、「他人の不幸は蜜の味」という諺にあるように、他者の不幸や苦痛に快感を感じる人は少なくありません。詳細はネットでご覧ください。
(引用をつづっけます)
戦争は数十年間、一斉に社会から消えることもあるが、ひとたび始まると、チンパンジーやほかの霊長類以上に高い割合で互いに殺し合う。人類学者のローレンス・キーリーによると、狩猟採集民や農耕民の小規模社会では、集団同士の暴力による殺害の割合は、霊長類よりもはるかに高い。それどころか、ふたつの世界大戦で計り知れない人口を失った一九〇〇~一九九〇年のロシア、ドイツ、フランス、スウェーデン、日本よりもはるかに高かったのだ。研究者たちは、このリーキーのデータが長期的な平均値かどうか(続く)
今日の日本も、よく似ているのかもしれません。昨今の円安基調が象徴しているように、日本の国力の低下が止まりません。
不況になれば財源を気にすることなく、国民受けを狙って政府が補正予算などの経済対策に打って出る。このくり返しですが、国の借金は膨大な額に上り、そのうえ急激な人口減少に陥っています。先が思いやられます。
日中戦争については、一刻も早く停戦すべきでした。というのも、蒋介石軍よりも中国共産党軍が強くなってしまう可能性があったからです。実際戦後になって、そのような経過をたどりました。しかし、当時の日本の指導者でそのような深い洞察力を持った人は、いなかったのではないでしょうか。明らかに、人材が枯渇してしっまていました。
先の日中戦争も国力や経済力の負担となるのみならず、欧米諸国との対立にまで発展しました。後世の視点から見れば早く止めていれば良かったのに、となりますが、そうもいかなかったという事になりますね。
自分で自分をだます自己欺瞞の状態かどうか、私にはわかりません。ただプーチン大統領にとって、成果をあげて(あるいは演出して)からでないと、停戦の判断はむつかしいのではないでしょうか。成果もないのに停戦に応じると、何のための戦争だったのかという声があがり、プーチン大統領の失政が明確となり、求心力が一気に低下しかねません。
そうなると、ロシアという国では、命の保証すらなくなる可能性が生じ、プーチン大統領にとって安易に停戦には応じられないと思います。とにかく戦争というものは、終わるのが非常に困難なものです。
ロシア軍は想定以上のウクライナ軍の善戦でかなりの被害を受けているだけでなく、経済制裁による経済へのダメージが相当なものになっているようですが、それでも停戦しないのはプーチン大統領が自分で自分を騙している状態なのでしょうか?
人はあらゆることを、正当化の手段として使用るようになりました。言語が発達し、自己欺瞞の範囲が大幅に拡大されたことが大きな要因でしょう。暴力を行使する際にも、なにかと理由をつけて(実質的には屁理屈ですが)から、つまり大義名分をこしらえてから、暴力を行使することがしばしばです。
ご無沙汰しております。憲法九条はそもそも人間の本性に反している、と先生が仰っていた意味が分かってきました。
人間は暴力反対を唱えると同時に、暴力を正当化する生き物です。
いじめは被害者が悪いという教師でさえ少なくないのですから、いじめも暴力も無くなるわけがありません。
(引用続く)
結局のところ、大きな戦争が、タイプや規模が狩猟採集民や農耕社会でよくあったものに近い、小さな戦争に取って代わられたのである。文明が進んだ社会は拷問や処刑や民間人の殺害をなくそうとしてきたが、この小さな戦争の当事者はそれに従っていない。
そして、同じハーバード大学のリチャード・ランガム教授は『善と悪のパラドックス』(NTT出版)において、以下のように言及しています。(以下は次回にアップします)
戦争は往々にしてジェノサイドを伴うが、一部の社会の文化的産物として考えてはならない。あるいはまた、われわれの種の成熟とともに増す痛みがもたらす歴史の歪みでもない。戦争やジェノサイドは普遍的で永久になくならず、特定の時代や文化のものではない。第二次世界大戦が終わってから、国家間の戦争は一気に減ったが、その一因は、超大国の核の均衡にある(二匹のサソリをビンに入れた状況をお大規模にした感じ)。それでも、内戦や暴動、国家が後押しするテロは相変わらず起きている。
(引用について。次回に続く)
戦争について
戦争についても、人の本性と関連しているのではと考える研究者が増えつつあります。
生物の社会行動が自然選択のもとでどのようの進化したかを研究する「社会生物学」の創始者で、「生物多様性」という用語を作るのにも貢献したハーバード大学のエドワード・ウィルソン名誉教授の『人類はどこから来て、どこへ行くのか」(化学同人)にも、次のような記述があります。
(以下続く)
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