2018年04月度に放送された『法華経』に関してはこちらへどうぞ。関連書籍(『法華経』関連、テキスト及び、執筆者の植木雅俊氏関連など)についても、こちらにお書き込みください。
鈴木松司さん、ありがとうございます。戦国時代(終わり頃)の絵師が、鎌倉時代に誕生した宗教に帰依していたことにも不思議なものを感じます。といっても、現代でも存在する宗派ですからね。『等伯』はまず、教えていただいたブログから拝見いたします?
番組の最後、伊集院さんのコメントがよかった。「現代はねじ伏せないと、ねじ伏せられる、そんな世の中だと思う。そうじゃない。お互いが納得できる、譲り合える、新しいものみたいなものを作れるということを、ちょっと教わったような気がしている」。
「『法華経』を現代に読む意味」について。安部龍太郎氏「とにかく植木先生が訳された『法華経』を読んでほしい。そして、『人間はありのままで尊い』と発見してほしい」。植木先生「原始仏教の平等思想すらも釈尊の滅後に権威主義・形式主義に変化した。人類の歴史も改ざんされることがある。本来の姿を忘れてはならないと『法華経』は教えてくれる。そういう『智慧』が込められている」。
安倍龍之介さんの『等伯』上下巻は、図書館で借りて読みました。等伯は、日蓮宗に帰依していたんですね。ご存知の通り、日蓮は自らを「法華経の行者」と言うほど、法華経を重視しており、「地涌の菩薩の頭領」とまで述べています(頭領、字があってるかしら?)。ちょっと外れてしまいましたが、たいへん面白い小説でした。ブログで何回か触れております。 → http://bit.ly/2NgFeJm
安部氏が作品のクライマックスともいえる「松林図屏風」の場面を描くにあたり、どうしても不明なことがあった。植木先生に教えを乞い、渋谷の蕎麦屋さんで4時間近く語り合った話。キーワードは「等覚一転名字妙覚」。(文字を見ているだけではサッパリわからない私)。
第4回のゲストは作家の安部龍太郎氏。第148回直木賞受賞作の『等伯』は未読。長谷川等伯と『法華経』との関係は考えたこともなかった。安部氏「「法華経』が分からないと等伯は分からない、と言っても過言ではない」。
植木先生「…さらにそれを広げて言えば、仏教徒であるとかないとかは関係ない。仏教徒でなくても、人間を尊重している、生命を尊重している、そういうことが『法華経』だということになる」。常不況菩薩のことが少し理解できたように思う。
番組のテロップと植木先生の解説から→「常不軽菩薩(サダーパリブータ)の在り方は鏡に譬えられる」「互いに尊重しあう関係は 先に頭を下げることから始まる」「経典を読むのは仏道修行の基本だが サダーパリブータは満たしていない」「しかし人間を尊重する行為は貫いた」「経典は読まないが 振る舞いが『法華経』にかなっていた」。
この「常不軽菩薩品」を植木先生が現代語訳すると、「常に軽んじない〔のに、常に軽んじていると思われ、その結果、常に軽んじられることになるが、最終的には常に軽んじられないものとなる〕菩薩」。
テキストによると、法華経のクライマックスともいえる「常不軽菩薩品第二十」。宮沢賢治が「雨ニモマケズ」で「サウイウモノニ/ワタシハナリタイ」としていた「デクノボー」は、この常不軽菩薩をモデルにしているとのこと。
第4回。「分別功徳品第十七」「随喜功徳品第十八」「法師功徳品第十九」と3つの「功徳品」が続く。若松先生「如来(釈尊)の寿命の長さを信じる利益が3段階に語られる」。
これも番組のテロップから。「永遠でありつつ亡くなっている事実を『方便現涅槃』という表現で説明」。わかったようでわからない。「良医病子(ろういびょうし)の譬え」は、植木先生の解説がなければわからなかったであろう私。第3回はここまで。
「久遠実成」、難しい。法華経は「(多くの)ブッダを釈尊に統一」することにしたのか?番組のテロップでは「釈尊ははるか昔に悟りを得てから 色んな立場や名前で出現してきた」とある。ここで植木先生が小林旭のヒット曲『昔の名前で出ています』を持ち出した。意外。
「安楽行品第十四」。安楽行とは「安楽の境地に住するための行」。次いで「従地涌出品第十五」。ここでようやく娑婆世界での弘教を申し出る人たちが現れる。「地涌の菩薩」は法華経のみに登場する菩薩。
菩薩たちが語る、滅後の弘教の困難さは「勧持品の二十行の偈」と呼ばれる。たとえ、そのようなことがあっても「私たちは身体も、生命も実に惜しむことはありません」と彼らは述べる。この部分の漢訳は「不惜身命」だそうだ。第六十六代横綱・若乃花が横綱昇進時の口上で用いた。
「勧持品第十三」では、さまざまな人たちが法華経の弘通について名乗り出る。ここでおもしろいのは、「但し娑婆(サハー)世界以外で」との条件付け。釈尊はノーコメントで、八百万・コーティー・ナユタもの菩薩たちをじっと見つめる。
文殊師利菩薩が龍宮から釈尊のもとに戻り、法華経を理解した人の代表として龍女(8歳、女性、畜身)を挙げる。これにケチをつけたのが智積菩薩と舎利弗(この2人は、小乗仏教の女性観・成仏観にとらわれている人物の典型として登場)。龍女の「変成男子」を女性差別と指摘することは的を射た考え方ではない。ここは植木先生の説明がわかりやすい。
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