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キャルの独断と偏見の音楽専科&ホラー映画の考察(レビュー)。

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キャル
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ジョセフ・ジトー監督作「ローズマリー」(米・1981年製作)。

「ハロウィン」(1978)、「13日の金曜日」(1980)に触発されて制作された異常連続殺人鬼映画で、カルト的人気を誇る(ボディ・カウント映画の醍醐味が味わえる)本格的なスラッシャー&スプラッター映画の代表作の1本。

監督(兼製作):ジョセフ・ジトー。製作:デヴィッド・ストレイト。脚本:グレン・レオポルド、ニール・バーベラ。撮影・ジョアン・フェルナンデス。音楽:リチャード・エインホーン。編集:ジョエル・グッドマン。美術:ロベルタ・マン。特殊メイク効果:トム・サヴィーニ。出演:ヴィッキー・ドーソン、クリストファー・ゴートマン、ファーリー・グレンジャー、ローレンス・ティアニー、シンディ・ワイントロープ、リサ・ダンシース、ビル・ヒュー・コリンズ、他。

戦時中、若い女性ローズマリーという名の恋人に手紙で一方的に別れを告げられた兵士が、戦争終結とともに戦地から帰還する。その頃某大学の卒業ダンスパーティが華やかに開催され、ローズマリーも新しい恋人(彼氏)を連れて来ていた。その晩人気のない場所でローズマリーと恋人が何者かによって惨殺される。姿をくらます直前に殺人者は一輪のバラを死体の手に置いていく・・・。

抱き合う男女のカップルを二人まとめてピッチフォークで串刺しにする冒頭シーンから、凄まじいショッカー演出と鮮血スプラッター描写が炸裂する。

ローズマリー殺害事件は結局、犯人不明・未解決のままだったが、長い間封印されていた卒業ダンスパーティが35年振りに開かれることになった。惨劇の悪夢は再び甦る・・・。
<戦争神経症の殺人鬼が若者たちにフラストレーションをぶつけるために再び現れる。>

覆面で顔を隠した上に戦闘ヘルメットを被り、手にはピッチフォークを持ち、刀剣類や散弾銃で完全武装した軍服姿の殺人鬼が、異様な雰囲気を醸し出す。張り詰めた空気感の描写力、危機感を煽るような音楽効果、夜の暗闇を活かしたシーン、不穏で不吉な演出、そして凄惨な凶行を重ねる殺人鬼の一挙手一投足が見どころである。

極端に言えば、本作は謎解きミステリーとして成立していないどころか、ストーリーとしても至らない点は多い。そもそもプロットの論理的整合性を求める作品ではないので、意味不明な展開や辻褄の合わないことも起こる(笑)。例えば、ローズマリーの父親で車椅子に乗った認知症老人チャタム少佐(ローレンス・ティアニー)の存在感がよくわからないとか。但し、住んでいる屋敷は必要不可欠な舞台装置であった。とどのつまり、理屈ではなく感覚を重視したホラー映画なのである。

<以下、ネタバレ含む。>

当時活動絶頂期で、かつ彼方此方のスラッシャー(及びホラー)映画制作側から声が掛かり、引っ張りだこだったトム・サヴィーニの特殊メイク効果を駆使して描く殺人シーンの数々が衝撃・圧巻。劇中、サヴィーニ自身が軍服のコスチュームを身に纏い、残虐で鮮やかな手口を披露したシーンもある。まさにリアルな特殊メイク職人と鮮血スプラッターの融合。<殺人鬼が覆面を取った最後のシーンは無論グレンジャー自身であるが。>

公開当時スプラッター映画史に残る凄惨な虐殺シーンとして、被害者の頭頂部から顎へ銃剣を貫通させる残酷描写がある。後ろから急に顔を抑えられ、脳天に「グサッ!」と突き刺した銃剣の刃先が顎下の皮膚を突き破って飛び出す。この状態で頭から出血し、顔面血だるまになった被害者は白目を剥いて顔面痙攣を起こす。然も殺人鬼復帰後の最初の犠牲者である。ダミーと生身の人間の特殊メイクを交互に使い分けた映像編集の巧妙さも光る。

さらにシャワーを浴びる全裸の女性が惨殺されるシーンへと続く。ヒッチの映画「サイコ」では決して拝む事ができない巨乳と多量の出血大サービス。曇りガラスの向こう側に現れる軍服に身を包んだ怪しい影。ガラス戸を引き開けるや否やピッチフォークで腹部に「ズドン!」と突撃、そのまま刺した状態で持ち上げる。サヴィーニ十八番の職人技(刃物の先端を凹ませたダミー凶器の死角にチューブを這わせ、ポンプで血糊を送り込む特殊効果)を披露する。<個人的には、序盤から驚きの展開(連続殺人描写)には度肝を抜かれつつ、感銘を受けた作品だった(笑)。>

実はジトー監督は、ジョセフ・ビッグウッドと変名を使った前作「血染めのマンハッタン/NY殺人案内」(1979)で、下品で汚らしく卑劣な悪党(女性蔑視で娼婦殺しの犯罪者)を描いている。流血描写は少なめで、所々ヒッチコック・タッチの手法を感じさせるものの、荒削りの演出であり、過剰な暴力行為による後味の悪さが残るスリラー映画の怪作だった。

巷の映画レビュー・評論で誤った見解が目に付くが、本作の殺人鬼は無差別殺人鬼ではない。殺す相手を選別している。副保安官マーク(クリストファー・ゴートマン)は、劇中峰打ちで失神させるだけだったし、マークの恋人の女子大生パム(ヴィッキー・ドーソン)も当初は標的ではなかった。パムが着替えに戻り、連続殺人が行われた室内の中を右往左往していたときにも、殺人鬼は彼女が室外に出て行くのを待っていた。階段で出くわした際にも脅しをかけているだけで、奇襲を仕掛けた訳でもない。


勿論、パムは終盤(ヒロインお約束の)標的にされる訳だが、ここから主観的な解釈を述べる。パムは徹底的に追い込まれるが、状況の変化が起こる。横からクセ者アーノルド(ビル・ヒュー・コリンズ)という助け舟が現れ、殺人鬼は銃撃される。散弾銃で返り討ちにするものの、パムに背中をフォークで突き刺され、殺人鬼は銃を落とす。直後二人は銃の奪い合いを始めるのだが、重傷を負った殺人鬼はパムと揉み合ううちに呼吸が苦しくなり、自ら覆面を取る(正体がバレる)。軈て殺人鬼が力づくで銃口を向けたのは自分の顎下だった・・・。
元軍人で保安官だった殺人鬼は、ギリギリのところで自己破壊欲求(死への欲動)により(パムを殺すより)自決を選択したと思われる。衝撃的な最期は深い余韻を残してくれた。

同時期に制作された「血のバレンタイン」(1980)との不思議な共通点も見られるが、内容的には異なる点も多い。あちらは寧ろ無差別殺人鬼で犯人の正体も反則気味であった(笑)。

本作の特筆すべき点は、犠牲者の死にぎわの苦痛(断末魔の表情)までこだわり抜いた演出の妙技を堪能できること。さらにあたり前の描写・表現では響かない時代に、リアルな残酷描写を盛り込み、敢えて過剰感を演出したジトー監督の狙いが的中し、以後カルト的名作となった訳だ。 <本作の功績により、ジトーは、後に「13日の金曜日完結編」(1984)の監督に抜擢されている。>

<予告編>https://youtu.be/YxO2eycr0RA
<殺人シーン>https://youtu.be/39ipZh9_4_c