睡眠中に見た夢を書き込み、それについて感想を言い合います。どなたでも自由に参加できます。
夢について他の人と話し合い、それを現実に役立てるのが目的です。ユングは、第一次世界大戦が勃発する直前に、地上を寒波が覆う夢をくり返し見たり、大洪水が押しよせる幻覚を見たりしたそうです。このように夢には現実を予知し、その人の向かうべき方向を暗示する働きがあると考えられます。これは、心の中が現実世界とリンクしているのであれば、そんなに不思議なことではありません。
管理人自身、ユング派の夢分析を受けて、夢を巡る話し合いの効用を実感しています。ただし、一人で夢を解釈するのはとても難しく、まちがう可能性があります。他の人の客観的な意見を聴くことが大事なので、そこに夢を巡る話し合いの意義があります。
〈いちおう、ルールを決めさせていただきます〉
◆夢を見た本人の感想が一番大事なので、夢の記録を書いたあとに必ず感想を添えてください。ごちゃごちゃにならないよう、【夢】【感想】と明記しましょう。それに対して他の人は自由にコメント(感想や質問など)を書き込んでください。
◆質問に対しては本人ができる範囲で答えましょう。また、他の人の感想を見ているうちに、本人も新しい感想が出てきたら、それを書くようにしましょう。夢を巡る話し合いでは、本人の感想がいちばん大事です。
◆一つの夢を巡るセッションは、本人が「これでセッションを終わります」など終了を宣言するまで、とします。一つのセッションが終わるまでは、新しい夢の投稿をしないでください。
なお、セッション終了宣言の後も、次の夢が投稿されるまでは前の夢の感想をお書き下さって大丈夫です。
◆夢にもプライバシーに関わる場合があるので、そこは互いに注意し、尊重するようにしましょう。
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うつしみさん
ご感想ありがとうございます。
女性については、ご指摘のように母親、あるいは母としてのイメージを重ねられるかもしれません。母からのメッセージとして"何もできない自分への苛立ち"が発せられているというのはなるほどと思いますし、この苛立ちの感情は現実の母との関係で生じるものと重なるところがあります。この視点からは、親からの反抗あるいは自立というテーマを浮かべることができますね。夢2の父性的な存在としての監視者にも繋がるところがあります。父の目を盗むというのもまた自立的なモチーフですね。
キャリアだったり仕事の連想は夢を見て初めに連想したところです。プレッシャーは夢を見ることで改めて意識したところですし、ご指摘の通りまた上へ上へ登らないといけない、という疲弊感もあります。(上へというのは仕事のクオリティや姿勢みたいなところで、地位や報酬は意味しません)成長、あるいは違う次元に向かおうとすることは、親離れ、自立の体験と重なるものだとも思います。
そうした中で広場と家庭という解釈は想定が、なかったのですが言われてみるとなるほどと思いました。広場は人が一定留まるところですし。子どもの心を覗いているのではという指摘は面白いです。というのは、この夢見たあと、息子が保育園でトラブルを起こしまして。トラブルに対応しないといけない事態が初めてでしたし、またその内容が困ったことではある一方で息子の内的世界の成長だったり豊かさを感じる出来事だったのです。その出来事に対応する体験と、望遠鏡を覗く体験は繋がるところを感じます。
フラクタル構造という表現は、自分の夢についてあれこれ考える中での面白さをまさに表していると感じます。親-子、内-外、過去-未来、個人-社会といったような対比的な構造が何層にも繰り返され表現されているように感じます。多くの解釈が一定の納得感がある一方で、一つの答えに収束するわけではなく、重なりながらもより広がりを持って繰り返されていくような。さまざまな連想が広がるようでいて、何でもありではなく必然性を持つ表現であり、何か夢全体を貫く法則があるような。
夢の内容をしっかり味わうことができましたし、また夢を共有し共に考える面白さも改めて感じることができました。一方でフラクタルが広がり続けるこわさもあり、いったんこのあたりでセッションを終えようかなと思います。
感想をいただきました、兵士Oさん、夜間飛行さん、うつしみさん、ありがとうございました。またとりとめもない夢とその連想にお付き合いいただいた皆さんもありがとうございます。
kokeさんの夢、興味深く読みました。最近思うのは、夢の登場人物、配置配役場面展開にはすべてそうでなくてはならない、他の何かではあり得ない、必然的な理由があるのではないか?ということです。kokeさんが教える相手は男性で、的外れな指摘をして苛立たせる人物は女性でなくてはならぬ理由が、心の中にきっとあるはずだと。
男性がもし亡くなったご友人なのだとしたら、既に書かれている事ではありますが、何かしてあげたかったのに何もできなかった...という心残りやもどかしい思いが蘇ったものかもしれません。女性の方は何か?私が無謀にも想像してみますと、じっと自分の行いをそばで見ている女性ーいろいろ小言を言ってくるけど、結局何もわかっちゃいないんだと、ボクをうんざりさせる女性ー最も身近にいて、初めて私に認識される他者である女性ー母親なのかなと思いました。これはkokeさんのお母様がそうだとかそういう意味で言っているのではなくて、人間誰もが母の視線を意識しながら生きている部分があるのではないか?という広い意味での母親像だとご理解ください。何もできない自分への苛立ちが、母親的他者からのイラっとするメッセージとして発せられたのではないかと思いました。
夢2は、なんらかの監視機構という、より社会的な他者の視線に置き換わっていると言う意味では、大人、社会人としてのkokeさんの自我が主人公ではないかと想像します。社会のプレッシャーから一旦解放され、塔の中腹で小休止となりますが、そこはずっと安住できるような場所ではないようです。たぶんそのうちまたそこを出ていって、上に登って行かなければならないでしょう。社会人ってそういうものですよね...そう考えると、塔の中腹はkokeさんのご家庭ではないか?望遠鏡で覗いているのはお子さんの心の中かもしれない、などと想像しました。
つまり親から見られー今度は親になって子を見てーこの入れ子構造が延々と続いているという、フラクタル的なこの世界の一面を垣間見るような2本立ての夢だったのではなかろうかと、勝手な想像を膨らましてしまいました。
兵士Oさん、夜間飛行さんのご感想に刺激を受けて連想する内に、僕が将棋を教えようとした男性について、具体的な人物のイメージが浮かんだので共有させていただきます。
詰将棋の夢というのはもう何年も前にも見たことがあったことを思い出しました。以下の内容です。
【昔の夢】
目の前で大きな石像?のようなものが規則的に順を追って動いていく。詰将棋のようなものだと理解する。僕の意思や意図は介在しようがない。やがて石像は動きを止め、これ以上は進まなくなる。詰みまでいったのだとわかる。
この夢を見たのは、学生時代、友人の死別の報を聞いた日のことです。親しい友人だったのですが、この夢を見て、友人の死について、僕はどうしようもなかったのだな、と当時思いました。
改めて振り返ってみると、今回の夢の男性の姿は覚えてないのですが、死別した友人と重ねて理解できるところがあると思いました。将棋盤や駒が機能するものではないのは、夢の中の彼が死者であるからかもしれません。(駒にあった名前は彼の名前ではありませんでしたが)
塔の周囲は木々や平原があって周囲に建物はなく孤立した印象がありました。その塔の中で遠くの夢を見る望遠鏡を見つけたことは、うまく言葉が見つかりませんが意味深いものを感じます。女性が勧めたスマホのアプリとあうのは、望遠鏡と重なるところがあるのかもしれません。スマホの画面、レンズを通して、触れないものを見るという機構、という感じでしょうか。
兵士Oさんの自由意思を阻害だったり不条理性の指摘、『判決』について、夜間飛行さんの登場人物やモチーフへの着目、などなど、刺激をいただくことで当初思いもよらない解釈を得ました。重奏的なイメージや解釈の重なりを体験でき夢について考える面白さを感じています。唐突に少し重い内容を共通することに申し訳なさもあったのですが、お二人によって得られたものを感謝を込めて共有したいという想いにかられ綴らせていただきました。あらためてありがとうございます。
夜間飛行さん
ご感想をありがとうございます。
もう一人の自分に何を伝えようとしているのか。難しい問いですね。
将棋を誰かに教える時に開始局面からだと、手が広い一方でゲームの目的となる相手玉からは遠く、ゲームの本質的なやりとりを何とも伝えにくく、詰将棋を説明する方が理解しやすいのではないのかな、と思っています。(将棋は好きなだけで、人に教えるほど将棋は出来ませんが)あの男性に私が働きかけていたのは、他者とやりとりを進める際の共通基盤となるルールや理路の整備なのだろうと思います。相手のスマホに将棋アプリをインストールしたところで、私と彼との間に何も生じませんし、だからこそ怒りを感じました。そう考えると、彼が他者とやりとりするにあたっての共通基盤を作ろうと、教えようと取り組んでいたのだろうと思います。私の中にいる男性が何か外側へ働きかけようとしているのだとみると、何だか面白いですね。ただ彼が他者とやりとりするためには、僕の持っている常識や理性は通用しないようです。破綻しているのか。
背の高い立方体の木材=塔というのは同意見です。夜間飛行さんのご指摘の通り、具体的に手で動かす、ということが、実際に自分が盤面の中で駒となって動くとなったのが夢2なのだろうと思います。駒に人名が書かれていることも人間将棋のようなイメージが重なります。また、戦争を模しつつ整然とした将棋というゲームと、緊迫していて静かな夢2の塔の中の雰囲気も重なりを感じます。
あるいは、僕は将棋を教えていた男性となって塔を冒険していたのかもしれない、と連想もしました。外側に落ちたら死んでしまうこと、外側を望遠鏡で覗くということを男性の視点から捉えても面白いなあ、と。
ここまで考えて、アプリを勧める女性というのは僕の中で飲み込みにくい存在だなと改めて思います。あまりにピント外れのように思えて、分かち合えるところがありません。
望遠鏡についてですが、夜間飛行さんが理性的な監視者との葛藤を指摘されているように、権威者から隠れて窃視するというモチーフは意味深そうです。父性、超自我のようなもの、エディプス的な関係を連想します。見つかると罰せられるという感はありましたが、夢の中の監視者は1984のビッグブラザーように、それよりも?、捉えどころなく実体のない存在でした。
遠い外面の世界と、深い内面の世界とが繋がった、という指摘は、まさにという感じで、目覚めて感慨深かったところです。夢の中では、眠った時に見る夢、深い内面を表すものという意味で捉えていましたが、目覚めてみると、遠くにある、実現させたい理想という意味での夢を望遠鏡で捉えようとしていたように思え、興味深く感じました。凡俗なダブルミーニングだとも思いますが。笑
kokeさん、夢をありがとうございます。
第一の夢では、男性に将棋を教えるという伝達の難しさを感じました。
この男性もkokeさん自身の分身だとすれば、もう一人の自分に何を伝えようとしているのか、とても気になりました。
詰め将棋で伝えるという、シンプルで知的なやり方は、将棋盤のマス目の不具合という予期せぬ難しさに遭遇してしまいます。
将棋盤のマス目は駒を動かすための基準ですが、それが壊れている…ということは、常識や理性の外にはみ出してしまうことなのかも知れません。
次に出てくるのは、「上面に3×3のマス目」のある「背の高い立方体の木材」です。これはもう〝盤〟というよりも〝塔〟のイメージですね。第二の夢の中に「登っていく」シーンがありますが、どんなに険しいにせよ、ここに伝達の通路があるようにも思われます。
人の苗字が書かれた駒をマス目に置いて「真っ二つ」に割れてしまう所は、古いもの、手で扱うモノの壊れやすさから、人間関係の繊細な難しさを連想しました。
それに対して、奥にいた女性が薦めるアプリは新しいもの、手軽で便利なものですが、kokeさんは怒りの気持で拒否されています。どうやらkokeさんの伝えようとしている何かは、「具体的に手で動かす」ことによってしか伝えられないようです。
第二の夢は、ディストピア・監視社会というカフカの小説のようでもあり、幾何学的な「見る/見られる」世界です。
ここでは誰かに伝えるのではなく、kokeさん自身が行為者となって監視者から身を隠しながら、ピラミッドを登っていきます。その行為は、第一の夢にあったアプリの拒否や、「具体的に手で動かす」こととも繋がっているように思いました。ただし、今度は駒を動かすという間接的な関わり方ではなく、落ちたら死んでしまうという直接的な関わり方になっています。
「見る/見られる」の関係に支配された世界の中で険しい斜面を登っていくというのは、たいへんな勇気のいることでしょう。
そうまでしてkokeさんは、噴水のある広場に辿り着くのですね。ほっとしました。
望遠鏡から見えるのは夢(内面の世界)です。それを監視者に見つからないように覗くということは、もしかしたらご自身の中にいる理性的な監視者との葛藤を表しているかもしれません。でも、「望遠鏡で夢を覗く」というのは、遠い外面の世界と、深い内面の世界とが繋がったようで、とてもすてきなことに思えます。
まとまりのない、勝手な感想で、ご不快に思われたらすみません。
兵士Oさん
ご感想ありがとうございます。
兵士Oさんのご感想を読み、私の精神活動の特性を相対化して考えることができました。
兵士Oさんの指摘は、リアル(現実)では考えて行動を決断するステップがあり、僕の夢には決断のステップがなく思考のみ、ということだと思います。が、僕はまず何より最初に決断があり、具体的な手立てを思考するということを普段の生活でもしているように思います。夢の中だと、より顕著になるかもしれません。なんとなく、直感的に、こっちに行く、こうなるという絵がまずあり、そのやり方を考えるというような。それこそ、将棋盤を見て直感的に詰んでると分かって、最終図目掛けて具体的な手順を組み立てるような。
このあたりは、ユングのタイプ論で言えば、僕が直感-感覚の直感寄りに、思考-感情の思考寄りに極端に振れていることによると思います。感覚が劣性なので、夢の中では色というものはほとんど存在していませんし、他の方より思考、思弁的なものが強いのかな、と思います。このあたり関連しているかもしれませんが、オーウェルやカフカは目覚めてから関連を意識したのではなく、夢の中で「これはオーウェルの1964(正しくは1984)だ」「カフカの小説的な世界だ」と思ってます。
進む方向が初めから直感的に規定されていて手立てを思考するのにそれを妨害されて腹を立てるというのは、僕の夢でよくあるパターンであり、カフカ世界が僕の夢世界と同じだと親和性を感じる大きなポイントです。ユング心理学の言うところの夢の相補性でもあるのでしょうが。
でも兵士Oさんが感じられるように、初めから目的が規定されているというのが、そもそも不条理なんですよね。『判決』も主人公が逡巡し思考を長々と披露していた根拠が全て嘘だと父に看破され急に死刑を宣告され川に飛び込み死にます。訳の分からない展開ですが、何か「そうだよなー」と思ってしまって好きなのです。
とっ散らかってしまいましたが、兵士Oさんの感じられた僕自身のバイアスというのは、こういうあたりなのかな振りります。
敬称についてはお気になさらず。
訂正とお詫びです。一か所、kokeさんへの敬称が抜けている部分がありました。「kokeの自由意志」ではなく「kokeさんの自由意志」です。本当にすみません。
あと、「見晴らしのいい大地」ではなく「見晴らしのいい台地」です。お恥ずかしい限りです。
また、kokeさんのオーウェルの小説の夢の中での「1964年」ですが、ボクの夢の中でも故意に正式な本のタイトルや作者名を間違えることがあります。ボク自身もそれが単に間違っているのではなく、無意識が作為的にやっているのだと思っています(もちろん、記憶違いやうっかりミスも多々ありますが)kokeさんの今回の夢の場合、正しく無意識の作為のような気がします。何か、kokeさんのバイアスがあるんですよ、多分(>_<)
kokeさん、興味深い夢の提供ありがとうございます。この夢の記録を読んでまず思ったことは、人間個人にとっての外界と内界ということでした。
外界というのは、この個人の外の世界ということです。ボクは見晴らしのいい大地の一角の集合住宅に住んでいるのですが、その廊下からは街並みや山々の遠景が見えます。道路を走っている車、夜見える建物の灯り。そこではボク個人はちっぽけな存在に過ぎず、他人、社会、世界など自分とは違うめいめい違う考え、法則で動いています。
内界というのはボクの内面の世界、特に夢などです。そこは自分というフィルターがかかった世界が広がっています。一見すると外界と同じように見えますが、そこに存在する「他人」、「社会」、「世界」は自分の心や記憶の一部で、あくまで自分のバイアスがかかっていることが忘れてはいけないことだとボクは思います。
その視点でkokeさんの今回の夢を見ると、この二つの夢は一見すると全く違う物のように見えますが、一つの共通する存在があるようにボクには思えます。それはkokeの自由意志にブレーキをかけている夢の中の行動を抑圧するモノ。その制限の中でしかkokeさんは行動できていない。
【夢1】では将棋を教えようとするkokeさんを邪魔をする。それは盤面が歪む将棋盤だったり、名前が変わる駒だったり、ちゃちゃを入れる女性だったりする。
【夢2】ではkokeさんは監視下の中でしか行動できない。常に「監視者」を意識している。望遠鏡で人間にとっての自由の象徴でもある「夢」を見る時もそれを意識しているし、落ちたら死ぬと思う塔の絶壁でも死ぬことすら制限されている。
kokeさんも関連を指摘しているように、この夢でボクも想起したのが、カフカの小説でした。新潮文庫に「決定版カフカ短編集」という本があるのですが、その冒頭に「判決」というカフカの処女作があります。何とも回りくどい作品です。ロシアに住んでいる商人の友人に何を送ろうか、いや送るまいかという描写で何ページも割かれています。その思考の逡巡にボクはkokeさんの今回の【夢1】の一人の男性に将棋を教えるまでの苦労との共通性を感じました(もう一つ共通するのは、どちらもまだ行動を終えるまで至っていないこと!)
リアル(現実)というのは、考えて行動するまでがワンセットです。そこにはどんな躊躇いがあるにしろ、決断という行為が待っています(行動せずに見過ごすのも決断)しかし、夢というのはその決断というステップがありません。そこにあるのは思考のみ。カフカの小説を夢と同列に扱うのは慎重に考えねばなりませんが、今回のkokeさんの夢の場合、そのリアルでの「決断」あるいは「行動」というステップがないがゆえの不可解さ、不条理を感じました。行動しているようで何か必要なものがない感覚。特にカフカ的な。推測ですが、それは無意識下の現象だからだと思います。kokeさん自身のバイアスがかかっているがゆえのものだからかと。
延々と勝手なことを書いてすみません。しかし、kokeさんの夢を読んで、またカフカが読みたくなったことを付記しておきます('ω')ノ
【夢1】
男性に将棋が知りたいと言われる。詰将棋からがわかりやすいだろうと駒を並べる。本を開いて図面を再現しようとする。将棋盤のようなものがあるにはあるが、マス目が変で不具合があり使えない。少し背の高い立方体の木材があり、上面に3×3のマス目があったのでそれを使い駒を並べる。駒も不具合がある。手に取った駒は人の苗字がある。マスに置くと古くなっていたのか真っ二つに割れてしまう。手間取っていると奥にいた女性が、アプリをインストールして貰えば良いだろうと呆れた様子で言う。具体的に動かして伝えた方がわかりやすいだろうと考えてしているのに、とアドバイスに腹を立てる。
【夢2】
ジョージ・オーウェルの1964年のようなディストピア世界にいる。あるいはカフカ小説の官僚的な世界。監視者から身を隠しながら塔を登る。ピラミッドのようなかたちのコンクリート造の建物。5,6階かというあたりまで登る。建物の外側、開けたところがあり景色を見に近づく。手すりも壁もなく落ちたら死んでしまうと思う。広場のような場所へ。噴水もある。低い階段を登ると望遠鏡がある。覗くと夢を見ることができる。監視者に見つからないよう望遠鏡を覗く。
【感想】
昨日見た夢です。しっかり覚えている夢は珍しく、夢1を見て目を覚まし、もう一度眠って夢2を見ました。
高さ、というところから、この先の仕事上のキャリアのことを漠然と考えいたことを連想しました。コロナ禍を振り返った本を読みながら、この数年間の生活も振り返り、またこれからの5年、あるいはその先どうしたいかな、などと最近考えていたなと思いました。
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