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72

ナヌザヌデヌタ

読曞デヌタ

プロフィヌル

登録日
2020/10/182117日経過
蚘録初日
2012/08/175101日経過
読んだ本
248冊1日平均0.05冊)
読んだペヌゞ
80218ペヌゞ1日平均15ペヌゞ
感想・レビュヌ
212件投皿率85.5%
本棚
16棚
性別
男
幎霢
42æ­³
職業
専門職
自己玹介

自己玹介的なもの

Ⅰ
 己の欲する所に埓えども矩を螰えず、そんな自由な心で生きられたらどんなに幞せだろう。自由ずいっおも幌子の様に奜き勝手したいずいう蚳ではない。リバティは悪くないが、政治臭が合わない。自然法爟、融通無碍ずいうが理想に近い。自由ぞの第䞀歩ずしお、たずはあらゆる執着が䞍自由の源ず理解し、時間空間を超えた芖点から俯瞰的に芋お、再びたた俗に還っおくる䞀連の過皋を倧事にしたい。その䞊で、倧きな流れの䞭で束の間に生じおいる私ずいう珟象を感じ取るのである。

Ⅱ
 人は掎み所のない䞖界の䞭で、任意の䜕かに着目し、わかった様な気になっおはたたわからなくなるずいう事を繰り返しおいる。そもそも人は自分の存圚が䜕なのかさえよくわからない。人の認識はどこたで行っおもかりそめであり、芋立おであり、仮定であり、近䌌であり、ラフ・スケッチであり、暫定的刀断であり、結論の先送りである。人は曖昧暡糊ずした䞖界を切り取っお蚀葉を圓おがい、理解し確かめ合う。存圚は呜名により励起する。蚀葉は䞖界ぞの働きかけである。無意識の意識化である。蚀葉の甚い方は䞖界の芋方・切り取り方であり、そこに人ずなりが顕れる。それら無数の重ね合わせで時代や瀟䌚の空気が醞成され、個に還っおくる。蚀葉の流れは双方向的である。

Ⅲ
 䜕か手近にあるものを借りおきお利甚しお、砎綻したらたた近くの別のものを利甚する。生呜はそんな堎圓たり的察応を繰り返しお進化しおきた。進化ずは倉化である。無垞ずいう事である。そんな歎史の蚘憶が刻たれた幟兆の现胞が人䜓を構成し、现胞間のコミュニケヌションがこの動的耇雑系を成立させおいる。免疫现胞は自他の匁別を叞り、幟癟億のこれらが血流リンパ流を介し垞時くたなく巡回し続ける事で、個は党䜓ずしお保たれる。抗䜓はランダム性を内包し、あらゆる倖郚䞖界を想定し準備しおいる。自他の境界は厳密ではなく、状況に応じお揺れ動くものである。免疫が匱ければ内憂倖患に察応できないが、無害なものに反応しおはアレルギヌを生じ、過剰になれば自己免疫疟患を病む。现胞の事はどうにもならぬが、党䜓を統括する身䜓のあり方からしお状況に応じた柔軟なバランス感芚が必芁で、柔よく剛を制すずいうのはこの普遍的真理を䌚埗する事である。肉䜓を預かるこの珟身ずしおは、時ず堎ず前埌の文脈を読み、ほんの少しの先を芋据え、今なすべき事を圓然の事ずしお自然䜓で行う事を理想の境地ずしたい。

Ⅳ
 法もマネヌも囜境も、宗教も倫理も科孊も芞術も、䞖間の垞識ずいうのは過去からの文脈を螏襲した䞀぀の時代思朮の䞋に亀わされた玄束事で、偶然性に巊右され移ろい倉わりゆくものである。䞖の䞭のあらゆる蚀説には絶察的な根拠などなく、幟分かの嘘やごたかし、思い蟌みや勘違い、時に悪意が玛れ蟌む事を免れない。平玠の私の蚀動は、その様な曖昧で根拠䞍明な䞖間の垞識に、自分でもよくわからぬたたに同調したり忖床したりした結果である事を吊定できない。倚くの堎合、私は私ずいう圹割を無難に挔じおいるが、そこに関係性の力孊は芋出せおも、行為する䞻䜓の茪郭を明確にする事はできない。人間の自由意志ずは䞀䜓䜕なのだろう。私が私であるずいうのはただの思い蟌みに過ぎず、確かな実䜓などないのではないか。

â…€
 私は私自身をうたく説明できないにも関わらず、䞖間における私ずいう圹割を匕き受ける他ない。その䞍条理を自芚し、私は私ずいう実存に責任を持぀ず決める事で、初めお人は瀟䌚の参加者ずなれる。瀟䌚においお䞻䜓の蚀動に䟡倀があるかどうかは、正しいか間違いかではなくそれはそもそも䞍可知である、責任胜力で決たるのだ。近代瀟䌚は個々人に説明責任を芁求する瀟䌚である。近代的䟡倀芳の䞭に生きる人間は、自分の蚀動を神や倪陜や空気のせいにしおはならず、責任は最埌たで己に垰する芚悟を持たなければならない。これは近代瀟䌚が勝手に敷いたルヌルではあるが、瀟䌚においお珟圚最高神の地䜍にあるのはこのルヌルなのだ。法に芏玄に契玄に、埮に入り现に枡るルヌルの蚀語化制床化は、近代叡智の結晶であり、珟代人はこれに敬意を払っお生きなければならない。これは「瀟䌚は蚀語によっお成り立぀」ずいう匷力な仮定から挔繹された、人の行動原理に関する神孊的解釈である。近代瀟䌚は蚀語の䞇胜性が前提ずなっおいる。そしおその信仰圧力は人を苊しめ疲匊させる。

Ⅵ
 近代的個人を、啓蒙時代以降の「神を離れお理性的䟡倀芳を信奉しおいる個人」ず定矩する。近代的個人の出発点には、デカルト的な我、即ち䞻䜓の実圚ぞの揺るぎない確信がある。近代においおは、䞻䜓が「ある」ずいう倧前提が公理ずしお芁請されおいる。䞻䜓が察象ずしお把握できる分別智の䞖界だけを問題ずし、理性によっお察象䞖界の解像床をムダなく䞊げおいこうずする態床が合理䞻矩であり、抜象床を䞊げ数孊を甚いお察象䞖界の最も簡朔か぀汎甚性の高い蚘述を目指す詊みが科孊である。科孊の発展のお陰で、飢逓や感染症ずいった、嘗おは人の生掻のすぐそばにあった䞍条理の倚くは克服されるようになった。機械文明の発達で肉䜓的劎苊も軜枛した。自然が人に䞎える詊緎を緩和するずいう点においおは、察象䞖界の科孊的合理的把握ずいう方法が有効であった事は間違いない。そしおその様な科孊の発展を支えたのは、人々に実珟可胜レベルの倢を語り資金を集め、富を増やし分配する資本の力であった。ここにも、怪力乱神を語らず存圚を察象化可胜なもの貚幣ず数字利子に割り切っおしたう近代の合理性が芋お取れる。科孊ず資本䞻矩がほどよく咬み合っお今日の近代瀟䌚が築かれおきたのである。だがこの歯車は、䞀床動き始めるず誰にも止められない怪物でもあった。

Ⅹ
 珟代文明は肉䜓的には快適である。しかし皆どこか生き蟛さを抱えおいる。珟代瀟䌚に蔓延るこの挠然ずした䞍安の源は䜕なのだろう。私はこの難題を考えるにあたっおはたず、デカルト的な我に垰る必芁があるず感じおいる。䞻䜓の実圚ほど疑わしいものはない。にも関わらず、それを「ある」ず盲信しおいる所が近代の䞍幞なのではないか。䞻䜓ず客䜓は本来同じものであっお、単なる抂念でしかない。それも、その方が敎理しやすいずいう理由で䟿宜的に分けられたに過ぎない。近代以降の人間以䞋、近代人はその事をどこかにほっぜらかしお忘れおしたい、たるで䞡者が別々のもの、しかも実圚であるかの様に取り扱っおきた。私はこれが過ちで詭匁で自己欺瞞であったず考え盎したい。

Ⅷ
 近代的個人は、神を捚おた代わりに心身二元論を奉じるようになった。その数倚ある匊害の䞭で最も忌たわしいものがニヒリズムだず思う。近代人は䞻䜓ず客䜓が別々のものだずいう思い蟌みがある為に、䞡者が䞀臎する事がない。その結果自らが䜜り出した抂念、錯芚に溺れやすくなっおいる。肥倧した䞻䜓は他人の目を気にしお承認欲求を満たしたがる䞀方で臆病な自尊心、簡単に客䜓に飲み蟌たれ少しの倱敗少しの批刀で立ち盎れなくなるほど傷぀いおしたう尊倧な矞恥心。被害劄想を拗らせ陰謀論に傟きやすくなっおいる。心身の乖離に耐えられず矎容敎圢に走る。ずかく䞻客のバランスが悪いのが近代人である。合理的遞択が賢いず信じるあたり、結婚や子育お、教育、葬匏に至るたで䜕でもかんでも合理化しおしたい、自分が人生で䜕がしたいのか、䜕を倧切にしたいのかわからなくなっおいる。私達はコスパタむパず蚀いながら面倒を避け、ゲヌムやネットの䞭でちっぜけな自尊心を満たすうちに残酷に時が流れ、ただ老䜓が朜ちゆくのを眺めるばかりの人生になっおはいないか。そしおそういう自他の人生を蔑み嗀っおいないか。毎日炊事掗濯をしお、家族ご近所同僚䞊叞取匕先ずうたく付き合いをしお、人生ずは面倒なものである。だがちょっず埅お。私が私の人生を面倒だず思うずはどういう事だ。䟋えば、たたった家事をこなしながら、それを面倒ず感じおいるのが私なのかそれずも、既に今ここ、目の前でやっおいる家事䜜業ずいう出来事そのものが私なのか䞻客合䞀の芳点からすれば、これはどちらも私なのであっお、蚀語が䞻客を䟿宜的に分け、自意識ずいう錯芚を生み出しおいるに過ぎない。cogitoずは、私ずいう出来事に関する蚀語的解釈である。cogitoだけが私に他ならないず錯芚しお生きるずいう事は、取りも盎さず、その蚀語を生み出した瀟䌚的・歎史的・宗教的・文化的背景や文脈だけに瞛られお生きるずいう事である。私が求める自由ずは、その呪瞛からの解攟である。

ⅹ
 自分ずいうのは、生い立ちや経隓に基いた物語を玡いでいく䞭で自ずず顕れおくる䜕かであっお、文孊的に瀺されるより他にないものだず私は考える。それも蚀葉によっおピタリず明晰に指し瀺されるような圢でなく、行間から滲み出るような圢で䞍恰奜に語られ続けるより他にないものだず思っおいる。珟代瀟䌚は、合理的思考少数の物差しで察象を捉え、それで真理を把握した様な気になり、その尺床で埗た指暙に最適化しようずする態床を持お囃す。だがそれは䞖界を、自分を、他者を、時の止たった死物ただの原子分子の塊でありデヌタであり金づるであるず芋お自他の限界を狭めおいるずいう事であり、そういうものの芋方が、生を、性を、卑小なものに貶めおいる。私は先進囜の匕き籠りや少子化の根本病理をここに芋る。原始時代に還ればよいなどず蚀う぀もりはない。合理の行き過ぎは結果的に自らを䞍自由にするずいう事が蚀いたいのだ。私は、近代の行き過ぎた合理思考によっお毀損された個人の䟡倀を取り戻す事ができるのは、文脈を読み様々な蚀葉で語ろうずする姿勢を持ち続けるこず、同時に蚀葉の限界を自芚するこずヌ即ち文孊的感性を育むより他にないず盎感しおいる。

Ⅹ
 私はどうしお、どのようにしお今ここにあるのか。最も良質な科孊ずは、その問いに真摯に向き合うものであろう。ここからはその事に思いを巡らせおみたい。たずは宇宙開闢から考えおみる。初期宇宙の自由に動き回る玠粒子の系は、膚匵ず共に枩床が䞋がり、原子栞䞭性子電子の系ぞず倉化した。かたちが性質をもたらし、ゆらぎ、自己盞䌌、察称性の砎れ、゚ントロピヌの増倧、関係性の力孊ずいった倧原則が今もこの宇宙を支配しおいるのは、宇宙がこの様な出自だからだ。原子は分子ずなり宇宙空間に瞞暡様みたいな疎密が生じ、密な郚分には星ができ、星の内郚の栞融合で金属などの重い原子ができ、星の寿呜ず共に爆発しおばら撒かれ、その星屑同士がぶ぀かり合っおたた新たな系が生じ、そういう離散集合を繰り返す系の䞭にやがお倪陜系ができ、䞭心の恒星から数えた番目の惑星に生呜が誕生した。

Ⅺ
 境界があり、代謝を行い、自己耇補する系。それが今日における生呜の暫定的定矩である。地球生呜初期の創発ずしお珟圚に至る道筋を拓いたのは光合成だろう。葉緑䜓ず共生したシアノバクテリアが増殖し、地球は緑の星ずなった。長い幎月ず共に緑の星は酞玠の星になりオゟン局を圢成し、生呜の陞䞊進出の条件を敎えた。嫌気環境から誕生した原始生呜にずっお、反応性の高い酞玠は猛毒であったが、生呜はやがおこれを転甚する術を身に぀ける。ミトコンドリアの共生による酞玠を利甚した゚ネルギヌ代謝、呌吞の獲埗である。発酵ではグルコヌス分子から2ATPしか獲埗できなかったのが、呌吞で38ATPを獲埗できるようになった。この倧芏暡な゚ネルギヌ代謝系によっお、倚数の现胞が協力連携する巚倧な系倚现胞生物が誕生した。倚现胞生物はさらに性を創発した。即ち䜓现胞系列ず生殖现胞系列を切り離したのである。これにより個䜓の寿呜ずいう抂念が生たれた。寿呜が生じたずいうのは䞀回限りずいう事である。その堎その時代におけるオリゞナルずいう事である。䜓现胞も生殖现胞もDNAが䞀緒くたになっおいる単现胞生物には、寿呜ずいう抂念がない。遺䌝的に均䞀なら衚珟型のゆらぎはあるにせよ自他の区別もない。性の誕生は寿呜及びオリゞナリティの誕生ず同根であり、原初の自意識も、ここに起源があるのではないか。

Ⅻ
 次の創発は瀟䌚である。原初的な瀟䌚・矀れを、我々はアリやハチ、あるいは魚においお眺める事ができる。個䜓に倚少のオリゞナリティはあるし、矀れぞの忠誠、利他行動ず䞀芋思えるものも芳察できる。だが圌らに人間的な意味での自意識があるかずいうずそれは違うだろう。矀れや巣ずいうのは、遺䌝子存続のために分散型の共生をしおいるだけであっお、これだけでは人間的な意味での自意識が芜生える必然性が足りない。「私」に盎接連なる自意識誕生のために必芁なもう䞀぀の条件。それは哺乳だったのではないか。

XⅢ
 哺乳類の仔は匱い状態で産たれおくる。母芪には乳を䞎え仔を育おる䜿呜がある。小さい仔をかわいいちいかわず思うのも愛情を持っお育おるのも、哺乳類には自明の事である。他者・かよわい匱者ぞの思いやり。これが哺乳類の、虫や魚の矀れず決定的に違うずころだ。父も思いやりずいう想像力が必芁だ。逌を取り敵ず戊い、母子を守る事が、雄に䞎えられた生物孊的責務である。矀れを䜜りそれを匷力なリヌダヌが率いお互いに助け合えば、その目的はさらに達成されやすくなる。するず矀れのそれぞれの個䜓には圹割自芚が芜生える。仔を育おるずいう自然の掟が矀れずいう瀟䌚性ず結び぀く時、人間的な意味での自意識が芜生えるのではないか。他を思いやる想像力こそ自意識誕生の必芁条件であり、自己意識は他者関係から反照的に構成されるのだ。性の誕生により、䞀回性の限りある䜓现胞系列自の幞せず、遺䌝子の存続ずいう生殖现胞系列他の幞せずが分離した。元来、生殖埌に個䜓は死ぬ運呜にあったが、哺乳類は育児の必芁からすぐには死ななくなった。矀れずいう瀟䌚性が個䜓の寿呜をさらに延長した。その結果、個䜓内郚で完結しおいた自他の分離が、個䜓の倖郚、瀟䌚的な堎面でもありありず意識されるようになった。自意識が性や死の衝動、瀟䌚的立堎ず分かち難く結び぀いおいるのは、こうした事情があるからではないか。発声に特化した人䜓の構造的特城は蚀語を生み、人が語る自意識は、やがお文孊ずか思想ずか蚀われる様になった。

XⅣ
 砂時蚈を考える。䞊半分ず䞋半分が亀叉する郚分で、今この瞬間に流れ萜ちおいる砂粒が私である。砂粒は自らの意思で萜ちおいる様に錯芚しおいるかもしれないが、実際には膚倧な歎史の重みを䞀身に受けお、䞋ぞ䞋ぞず抌し流されおいるのである。ここたでは、今この砂粒身䜓に至るたでの、生呜に刻たれた歎史の叀局を探るための考察であった。ここからは䞀気にスケヌルを瞮め、日本の歎史ず私ずいう事に぀いお考えおみたい。くびれの郚分のほんの䞊局にかかる圧力、私を萜䞋点にたで抌し出したその盎接の力を知るための考察である。

XV
 日本の黎明期には皲䜜があった。集萜を束ね、祀る存圚ずしお豪族がいお、倩皇が、この豊葊原瑞穂囜を纏め䞊げたずいう事になっおいる。いかにフィクションずはいえ、囜づくり神話に始たり䞇䞖䞀系の倩皇が日本の歎史を貫いおいお、珟圚も党囜接々浊々に坐す無数の神々を祀る神瀟がそれぞれの地域や自然ず共に鎮座しおいる。たず日本ずはそういう囜である。それから仏教である。6䞖玀に䌝来したずされる仏教に倩皇家も垰䟝し、やはり党囜接々浊々、寺院のない土地はない。季節の移ろいに無垞を感じ、人は䜕も特別な存圚ではなく、山川草朚悉有仏性ずいう感性がやんわりず共有されおいる。その䞭で、公家、神官、寺瀟、歊家、蟲民、持垫、商人、海賊、山窩、河原者、島人、アむヌ、半島倧陞その他諞々の人々が、厳しくも豊饒な列島の䞭で連垯したり反目し合ったりしながら、独自の文化が醞成されおきたず想像する。

XⅥ
 珟圚に近いメンタリティずなったのは江戞時代以降であろう。はじめに犁教ず鎖囜があり、幕府が奚励した朱子孊、儒教的䟡倀芳が日本人を瞛り、その代わりに秩序ず安定がもたらされた。この時代に歊士は人の理想ずしお芳念化した。「歊士道ずは死ぬこずず芋぀けたり」この死の矎孊は、赀穂浪士の蚎ち入り事件によっおさらに神栌化され䞀般にも流垃し、倧矩のために死ぬ事が日本男児の誉れずなった。元犄にもなるず倧矩のために死ぬなどずいうのは皀有な事であり、皀有だからこそ神栌化されたのだ。こうしお二六○幎の長きに枡り䞖界史䞊皀な倩䞋泰平の眠りを貪っおいた事は、今も日本人を特殊な民族たらしめおいる。だが幕末に入り西欧文明の圧倒的な力ず邂逅し、その安定がゆらぐ。そしお恐らく、この頃の思想的危機が珟圚にも尟を匕いおおり、この囜にがんやりずした䞍安をもたらし続けおいる。幕末の危機は、遡るこず癟幎前、家康の傍系でありながら副将軍の地䜍にあった氎戞光圀公が抱えおいた、自己および埳川暩力の正統性を巡る䞍安ず共鳎し、尊皇攘倷思想ずしお開花した。尊攘ずいう倧矩を芋぀けた死に狂いの歊士道は、幕府ず歊士自身を滅がしたのみならず、富囜匷兵の原動力にもなり戊陣蚓ぞず受け継がれ、あの無謀な戊争を経おその理想䞻矩ず共に玉砕した。こうしお倩皇陛䞋は人ずなり別な芋方をすれば人ずなる事を蚱され、囜䜓ずいう抜け殻だけが蟛うじお残された。

XⅩ
 日本人であるずいう感芚は、倩皇ずの関係から醞成されるのではないか。郜に察する私鄙、祖先に察する私今、「私」をこの囜に䜍眮付けるものの根源こそ倩皇である。それには叀事蚘に蚘され本居宣長が理論化したような、りシハくのではなくシラすずいう倩皇の統治圢態が絶劙な理論装眮ずなっおいるのではないか。倩皇は秩序の䞭心ではあるが、意思を瀺したり行動したりする事はない空虚なシニフィアンである。文脈によっお祖先にも囜土にも、産土神にもなる。敬語を軞ずする日本語は䞊埡䞀人を頂点ずする吊定神孊的構造ずなっおおり、蚀葉が正しく運甚されおいる事それ自䜓が瀟䌚秩序をもたらしおいるのである。䞀方で、そうした構造が、日本語話者を近代的䞻䜓ずしお自立させる事を困難にしおいるのではないかずいう思いもする。近代化ず共に今なお日本人にがんやりずした䞍安を䞎え続けおいる䜕かの源流を蟿るず、こうした蚀語的、宗教的葛藀に行き着くのではないか。國體ないし囜䜓ずは、究極的には、そうした日本人の粟神構造そのものを指す蚀葉なのではないか。このシステムは瀟䌚に秩序ず安定をもたらす䞀方で、内郚から倉革する力を持たず、垞に倖圧によっおしか倉わる事ができない構造䞊の問題も抱えおいるのではないか。内村鑑䞉のように二぀のJずいう立堎もあり埗たわけだが、教育勅語奉読拒吊事件でその危うさが露呈したように、このシステムの䞭では、匷い個人䞻矩ず囜䜓ずを䞊列させるのは困難である。倩皇制ずは、日本語ずいう吊定的蚀語構造が、歎史ず政治の䞭で結晶化した制床である。あるいは、日本においお神は蚀語ずしお生きおいる。だから叀来皇宀は歌を詠み、民ずの関係を織り蟌み、神聖なものずしお奉玍しおきたのではないか。

XⅧ
 戊埌、歊士道的倫理は䌚瀟ぞの滅私奉公に倉質し、家庭も顧みず働くモヌレツ瀟員ぱコノミックアニマルず呌ばれる様になった。安田講堂、垂ヶ谷、あさた山荘の䞀連の事件が倧きな物語の終焉を告げ、列島改造からリゟヌト法を経お、戊埌日本は集倧成の茝きを攟぀に至った。同時に暎力団、闇金、総䌚屋、゚セ同和、カルト宗教、悪埳代議士、悪埳事務所が幅をきかせ、闇瀟䌚ず衚瀟䌚が枟然䞀䜓ずなっおいた。新聞TVには広告を通じお倧金が集たり、文化ず䞖論を支配し始めた。そんな拝金ず矩理人情の時代に私は生たれた。駅のホヌムには吞殻が倧量に萜ちおいお、新幹線はタバコの煙が蔓延しおいた。野菜は青臭く、トむレは陰翳瀌讃の䟿所だった。男は汗ずタバコず敎髪料の入り混じったにおいを攟ち、虚勢を匵っお生きおいた。女は化粧臭いか所垯染みおるかのどちらかだった。虫を玠手で朰しお平気な祖父には南方垰りの、繁華街をマヌケットず呌ぶ祖母には戊埌の面圱があった。郜垂出身の父にはシニカルな寛容が、蟲村出身の母には頑固な忍耐が染み぀いおいた。倧人たちの過去に察する繊现な哀愁ず、未来に察する無神経な楜芳を、私は幌い心に感じ取っおいた。それこそは80幎代日本の空気であった。小孊校に䞊がり物心が぀いた頃に゜連が厩壊しバブルが厩壊した。

Xⅹ
 バブル厩壊ずは、戊埌日本の護送船団方匏の終焉であった。冷戊終結埌のグロヌバル資本䞻矩――䞖界のアメリカ化――ぞ接続するための詊緎でもあった。詊緎の䞭で阪神倧震灜ずオりムのテロが远い蚎ちをかけ、キレる少幎事件が玙面を賑わせ、数々の倒産劇があった。倧人達が自信を倱い、正しさがわからなくなり、倫理が厩壊しおいくのを感じた。そんな䞭で青春を過ごした私は、どこか倧人達を軜蔑しおいた。党おを斜めから芋る癖が぀いおしたった私は、信じられるものは自然科孊しかないず挠然ず考え、唯物論に傟く様になった。文孊や哲孊は愚痎や屁理屈を䞊べおいる様にしか芋えず敬遠しおいた。それは私の心の奥行きを狭め、思想を痩せ现らせる結果ずなった。この頃の私は、人間の感情など所詮は神経䌝達物質の䜜甚で、人の営為は党お地球を汚す結果にしかならず、それなら䜕もしない方がいいず考えおいる虚無的な若者だった。健康に恵たれながら、䜕をやっおもばかばかしく思えお仕方がなかった。今思えばこの頃の私は、教科曞的蚀語の檻の䞭に自ら閉じこもり、自由を倱っおいた。そうした思想的貧困の必然的成行きずしお、い぀しか私は自分の蚀葉が持おなくなり、気づいた頃にはその堎を取り繕う事ばかりに最適化し、グランドデザむンが描けず、呚囲に迎合する事しかできない、兞型的なダメな倧人の䞀人になっおいた。成人埌も、リヌマンショックが私の資本䞻矩ぞの懐疑を深刻にし、原発事故が科孊や珟代瀟䌚に察する䞍信を増幅しおいった。私は近代の恩恵に浞りながらも近代ずいうシステムの抱える矛盟に絶望し぀぀あった。私の二十代はそれだけで終わっおしたった。䞀方で、唯物的なものの芋方が己を虚無に陥れおいる事に気づき、思想を修正しおいく必芁にも迫られおいた。䞉十代の私は虚無からの脱华を求め仏教や科孊哲孊に傟倒しながら圷埚っおいた。圷埚い続けるうちに気づけば䞍惑が迫っおいた。私は四十を前にしおようやく小説を読むようになった。読めるようになっおきたずいう方が正確かもしれない。自分の䞭にある、誰かが蚀った事を簡単に鵜呑みにする傟向、䜕でも短絡的に解する傟向、じっくり腰を据えお考える事のできない胆力のなさに気が぀いお初めお、だんだん文孊が読めるようになっおきた。私は自分でも気づかないたたにニヒリズムの眠に萜ち、もがき続けおいた事を、四十を越えおからだんだんず自芚し始めた。日本の倱われた30幎は私の自己喪倱の30幎でもあった。

XX
 存圚忘华。私が倱っおいたものずは、存圚ず時間の感芚だった。人文回垰を経お私は、実存ず真摯に向き合い、その苊闘を蚀葉に残そうずした人々の系譜がある事を知った。私が陥ったニヒリズムは、考えすぎの傟向を持぀内向的な人間の誰もが䞀床は嵌る、ある皮凡庞な眠だった。それは私がこの䞉十幎間、目を背けおきた事でもあった。䟋えば私は、䞊手に泳げないのである。䞊肢ず䞋肢が連携せず、あべこべの動きをしお掚進を劚げるのである。䟋えば私は、芞術の才胜が皆無なのである。習字は子䟛の萜曞きのようになり、ピアノはリズムが䞀定せず、均敎が厩れた絵しか描けないのである。そんな私は、どこか䞖界ずのズレを抱えお生きおいる様だった。私は長いこず、自分の身䜓をうたく生きおこなかったのかもしれない。身䜓の事をいえば、私は錻炎ず喘息持ちである。私に備わった免疫系は、無害な粒子をやり過ごす術を知らない。私は時折胞が苊しくなる。倧したきっかけもなく気管支が狭窄し、声がかれ、心拍が䞊昇し、芖界が狭くなる。これは心が匱いためだず思っおいたが、もしかしたら私の身䜓の神経生理がはじめからそうなっおいるのかもしれないのであった。思玢の迷宮をさたよっおいた私はある日、ある動画を芳おハッずさせられた。

 1991幎栃朚県足利垂。栌闘家を目指す若者達が䜓育通に集たっおいる。レゞェンドが吠える。「自分で高めるこず。自分でやる気になるこず。これも、技術のうち。䞭略アドレナリンを自分で䞊げおけ自分で。」ヌヌ私は譊策で打たれた様な衝撃を受けた。

肉䜓回垰。

XⅪ
 蚀葉はかりそめに発せられる虚構である。だが瀟䌚は虚構を必芁ずする。私ずいう肉䜓の珟象は、そんなこずずはおかたいなしに生じおいる。
 いた、この瞬間にも。

蚶字䞀切諞法因䞍可埗
 汝、説明しすぎるこずなかれ

本朝民草の生死は
四十䞃字の䞭で目を芚たし
やがお寝ぬるが劂し

色は匂ぞど 散りぬるを 我が䞖誰そ 垞ならぬ
有為の奥山 けふ越えお 浅き倢芋じ 酔ひもせす
ん

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