自己紹介的なもの
Ⅰ 梵我一如
世界と私は一つであったのが、私の側に芽生えた意識が主客を分け恣意的な考えをあれこれ巡らしている不思議。自他の弁別から生まれた無数の二項対立が分別智の世界を構成しており、AIはそれを模倣している。
Ⅱ 二項対立と脱構築
人は掴みどころのない世界の中で、任意の何かに着目し、わかった様な気になってはまたわからなくなるということを繰り返している。そもそも人は、自分の存在が何なのかさえよくわからない。人の認識はどこまで行ってもかりそめであり、見立てであり、仮定であり、近似であり、ラフ・スケッチであり、暫定的判断であり、結論の先送りである。
Ⅲ 文脈依存性の世界
法もマネーも国境も、宗教も倫理も科学も芸術も、世間の常識というのは過去からの文脈を踏襲した一つの時代思潮の下に交わされた約束事で、偶然性に左右されながら移ろい変わりゆくものである。世の中のあらゆる言説には絶対的な根拠などなく、幾分かの嘘やごまかしや時に悪意が紛れ込むことを免れない。
Ⅳ 自由意志とは
平素の私の振る舞いは、そのような曖昧で根拠不明な世間の常識に対して自分でもよくわからないままに同調したり忖度したりした結果である可能性を否定できない。私が発した言葉は本当に私自身の言葉と言えるのか?私は私の言動にちゃんと責任が取れるのか?世間に簡単に飲み込まれてしまいそうなほど脆弱な私の精神は主体としての自己に関する省察が足りていないのではないか?
Ⅴ 近代的個人の宿命
私は私自身のことをうまく説明できないにも関わらず、世間における私という役割を引き受けるほかない。その不条理を自覚し、「私は私という実存に責任を取る」と決めることで、初めて人は社会の参加者となれる。主体の言動に価値があるかどうかは、合ってるか間違ってるかではなく(それはそもそも不可知である)、責任能力の有無で決まるのである。社会人とは、近代的個人とはそういうものだろう。近代的価値観の中で生きる人間は、自分の言動を神や悪魔や、世間あるいはその場の空気のせいにしてはならず、責任は最後まで己に帰する覚悟を持っていなければならない。神が死んだ近代社会に生きるというのはそれだけ大変なことなのだ。
Ⅵ 近代的個人が生み出したもの
近代的個人は、私とは何か?という問いへの答えは保留にし、主体の実在を確信するところから出発する。近代においては、主体が「ある」という大前提が公理として要請されている。主体が対象として把握できる分別智の世界だけを問題とし、理性によって対象世界の解像度を上げていこうとする態度が合理主義であり、抽象度を上げ、数学を用いて対象世界の最も簡潔かつ汎用性の高い記述を目指すのが科学である。科学の発展のおかげで、飢餓や感染症といったかつては人の生活のすぐそばにあった不条理の大半は(少なくとも先進国では)克服されるようになった。機械文明の発達で、肉体的労苦も昔に比べ格段に軽減した。自然が人に与えてくる試練を緩和するという意味においては、対象世界の科学的合理的把握という方法は大変有効であったといえる。そしてその様な科学の発展を支えたのは、人々に夢を語り大規模な資金を集める資本の力である。ここにも、怪力乱神を語らず、存在を対象化可能なもの=金と数字(利子)だけに割り切ってしまう、近代の合理性が見て取れる。近代合理主義が産んだ科学と資本主義が車の両輪のように影響しあって、今日の文明社会を築いてきたのである。
Ⅶ 科学の限界
尤も科学は万能ではない。一般性を語り例外を捨象する科学が個々人の心の闇まで照らすことは原理的に不可能である。近代の始まりとともに主体の根拠に目を瞑った後ろめたさは原罪的な不安となって残り、社会に暗い影を落としている。また、原水爆を例に出すまでもなく、科学技術は人が制御できるレベルをどんどん超えていっている。良心について深く考えずこのまま合理的思考ばかりが突き進んだ場合、科学は却って禍いを招くだろう。そして、科学というより科学リテラシーの問題になってくるが、科学的に正しいという事にされたものが人口に膾炙していくと、それがあたかも揺るぎない真理であるかのような振る舞いをし始める弊害がある。科学は複雑な世界を単純に理解するための一つの解釈モデルに過ぎず、より良いモデルが構築されれば従来のモデルは棄却される運命にある。反証可能性こそ、科学を科学たらしめているものである。これを忘れて科学が絶対的権威になってしまうと、それは最早カルトになったも同然で、社会を誤った方向へ誘導してしまう。我々は優生学の負の歴史を忘れてはならない。
Ⅷ 資本主義の限界
昨今は資本主義の堕落も目に余る。どうも資本主義は、その歴史的使命を終えようとしているんじゃないかと思われる程に。皆が一生懸命働き拡大再生産を続け、経済が右肩上がりに成長していけば、みんな金持ちみんな幸せ、なんていう古典を信じている人など、もうどこにもいないだろう。モノを買ってくれるフロンティアは途上国ばかりになり、途上国が豊かになるといわゆるB層貧困層が標的になり、詐欺まがいの弱者ビジネス貧困ビジネスが横行し、ただ資本主義の延命の為だけにあるようなブルシットジョブが巷に溢れるようになった。モノが過剰な先進国(この言葉ももうすぐ死語になるだろう)では、資本主義の原動力は物質的欲望の段階からバーチャルな欲望の段階に移っているように思われる。実体経済と金融経済は乖離して久しく、地に足つかない数字の上下に世界が一喜一憂し、根拠不明な補助金給付金のばら撒きが人々の勤労意欲を削ぎ、挙句の果てには政府が率先して不労所得を持つよう奨励するようになった。イノベーションが新たな市場を生むという向きもあろうが、私はそういう考えを好きになれない。金になる研究にしか価値を見出さなくなった現代社会の学問的貧困と同じ臭いがして嫌なのだ。そもそも何のための経済成長なのか?健康で文化的な最低限度の生活が保障された後、人類はどの様な物語を描いていくべきなのか?現代社会はそのビジョンを見失っている様に思われる。
Ⅸ 現代人の抱える闇
現代にありふれている苦悩とは、生きている意味そのものがわからないとか、労働に価値を見出せないとか、自分に自信が持てないとかそんな類の、その人自身にしか解決できないような問題ばかりである。いったい何を為すべきかよくわからないまま周囲に流されて馬齢を重ね、ただ健康と安心と安全ばかりを願いながら生きていてたらいつのまにかお迎えが近い年齢になっていた、というような人生が容易に想像されてしまう。毎日虚しさと徒労感ばかりが募り、虚無に耐えられなくなってはゲームやネットに逃避し、更に空虚な人生になっていく。こんな救いようのないばかばかしさ、不条理と呼ぶのもおこがましい命の無駄遣いで終える生涯が一般的現代人の人生になろうとしている。虚無を抱えた現代人は現金やS&P500的な紙切れ/データばかりを信奉し、少し歯車が狂っただけで簡単に人の道を踏み外す。自分の頭で考えていないから世間に簡単に飲まれてしまって、周りが良いと言っているものに迎合する事しかできない。それは無駄な消費のための生産を繰り返している資本主義や身の丈を越えて持て余されている科学技術と構造的には同じであって、社会の閉塞感が個人に投影されているのである。
X Cogitoとは
現代人は、私は、対象ばかりに目を向けすぎていて己を省みる余裕を失っているのではないか?デカルトの時代に主体について問うことを放棄したのを反省し、再び主体に向き合ってみるべき時がきたのではないか?だがそう考えて自己を見つめ直しても一向に自分なんてものは見つからない。それもそのはず、自分 Ātman とは永遠に対象化できない何かであると太古の昔から言われてるのである。主体を合理で捉えようとしても自己言及のパラドックスに陥るだけだ。なぜなら主体とは近代合理思考の出発点にある公理だからである。合理的思考の罠にはまるとここを乗り越えられない。初心に帰り、主客の二分法というのがどれだけ恣意的で強引で乱暴なものであったかをもう一度よく考えてみるべきだ。私とは無条件に存在が保証されるほど自明のものではなく、他者との関係の中で浮かび上がってくる何かである。主体の実在を安易に認めないという点で、私は近代合理主義よりも、空と縁起の法を説く仏教の方に親近感を抱く。こういう文脈でよく禅が持て囃されるのも、多くの人が分別智の限界に薄々気づいているからではないか?
Ⅺ 現代における文学の重要性
自分というのは、生い立ちや経験に基いた物語を紡いでいく中で自ずと顕れてくる何かであって、文学的に示されるより他にないものだと私は考える。それも言葉によってピタリと明晰に指し示されるような形でなく、行間から滲み出るような形で不恰好に語られ続けるより他にない何かだと思うのだ。さらに言えば、対象は静的、空間的にしか把握し得ないもので、主体は動的、時間的にしか捉えられない何かである。前者は認識、後者は行動に対応し、これは三島由紀夫の文学的テーマだった。対象しか見ていないというのは、世界を、自分を、他者を、死物(ただの玩具であり原子分子の塊でありデータであり金づるである)として見ているということであり、そういうものの見方が、生を、性を、卑小なものに貶めている。私は先進国の引きこもりや少子化の根本的な病理をここに見る。行き過ぎた合理思考によって毀損された個人の価値を取り戻すことができるのは、文脈に応じ適切な言葉で語り続けることー即ち文学をおいて他にないと直感している。
Ⅻ 日本人としての私と死への先駆
私の物語はどのようにして始まったのか。私はどのような歴史的文脈の中でこの世に生を受けたのだろう。ここからはそれについて考察したい。私の関心を惹くのは、ある対象に身心を捧げる事を美徳とする価値観が、我が国の思想的基盤となってきた点である。その行動原理を大義と言った。大義を掲げる対象は政治的には天皇や主君であったが、一般には肉親でも友でも恋人でも何でもよかった。多神教で神仏習合の日本の思想とは、元々はそのくらいのゆるさのものであった。ある対象に対する真っ直ぐで純粋な心ーきよき心、あかき心を神聖なものとする考え方があり、私を滅して誠を貫く生き方=死に方を理想とする様式を我が国は文化として持っていた。
XⅢ 国民的トラウマとしての戦争
しかし、この世の地獄となった先の大戦を経て、先人から受け継がれてきたこれらの価値観は大きく歪み、捻じ曲げられてしまった。真珠湾攻撃は、誰がどう考えても当時の常識からしたって狂気の沙汰だったが、そうと知りつつ、それでもそれをやるのが当時の日本だった。それは薩英戦争や下関戦争をやらかした幕末の武士と同様の気骨であった。それは会津戦争であり、大塩平八郎であり、赤穂浪士であり、桶狭間であり、湊川であり、鵯越であり、曾我兄弟であり、日本人からすれば歴史上何度も経験されてきた、大義に殉ずる行動様式の一つのバリエーションに過ぎなかった。死中に活を求めるのが武士道の最も理想とするところであり誉れであり、真珠湾はそれを体現したものであった。しかし国を挙げて死に狂いに染まったことは、取り返しのつかない事態を招いた。水戸の内乱などからもわかるように、元々この思想は、組織や社会に適合されると破滅に陥る危険を孕んでいた。葉隠が門外不出の書とされていた理由でもある。国を挙げてこんな危険思想を声高に叫び全国民に強いて突っ走った当時の日本は、最初から花と散り滅びる運命が決まっていた。皇国史観の下で近隣諸国を巻き添えにして膨大な犠牲を払いながら、正義の戦争と信じ突き進んだ結果が亡国だった事は、深刻な国民的トラウマとなった。敗戦を境に、嘗ての美風は蛮風となり果てた。戦争がもたらした現実があまりにも酷かったので、戦後の日本では、それまで思想の核にあった忠義や誠があまり触れてはいけない危険で野蛮でクレイジーなものになった。日本人は自己の本来性から目を背けるようになり、死を思わなくなった。嘗ての美意識や矜持を失って責任の取り方が分からなくなり、失敗しないようにすること、世間の顔色を伺うこと、損得勘定ばかりが行動原理になり、自分の言葉を持てなくなった。
XⅥ 大衆の時代
戦後は大衆の時代として始まった。大衆化は19-20世紀にかけて民主化の浸透やマスメディアの発達とともに世界中に広がっていった現象である。大衆社会の萌芽は我が国でも既に大正の頃からみられていた。真珠湾攻撃に快哉を叫んだのは、大本営発表を鵜呑みにして報道したのは、大衆でありマスメディアであった。戦後その事実は都合よくなかった事にされ、「戦犯」だけに罪を押し付け、自分達の民主主義で選んだ指導者を絞首刑にして、米国の「進んだ」大衆文化を無条件に受け入れた。大衆社会で生きることのばかばかしい喜劇性は、時代の変化を鋭く察した太宰治が、既に1947年には小説「斜陽」に描いているーM・C マイ、コメディアンー。浮薄で、下品で、卑屈で、陰湿で、残酷で、嫉妬深くて、不誠実でー大衆には人間のあらゆる醜い部分が詰まっている。戦争は二度と御免だと情緒的には反省した日本人だが、戦争を支持した大衆の悪徳に関してその本質を突くような議論はついぞ起こらなかったように思う。その結果、憲法、自衛隊、55年体制といった岸=米国による国民支配の構図、左翼の偽善、拝金主義等々戦後日本が抱えていた問題は、何一つとして自浄作用を持たず、そっくりそのまま現在に持ち越されることとなった。「共同幻想論」「甘えの構造」「空気の研究」「失敗の本質」といった名著の数々は、日本人の宿痾を考える上で大変示唆的ではあるが、これらの論を以てしても世間が変わることはなかった。こうした論の限界は、著者自身も批判対象の中の一員であることかもしれない。自分だけ免罪されたような物言いは大衆の反感を買いやすい。だが大衆に遠慮して言葉を選ぶと訴求力が弱くなる。この構図は、資本主義の弊害や環境問題が広く認識されながらも、何らかの社会運動にまでは至らない昨今とも重なって見える。
XⅦ 三島の蹶起
1970年は戦後が一つの区切りを迎えた年だと思う。時あたかも高度経済成長が頂点に達すると共に、その終焉を迎えようとしていた。大阪万博が大成功を収め、岡本太郎が太陽の塔に込めた思いとは裏腹に、人々は科学技術の発展による「進歩的」未来を夢見ていた。万博が閉幕しその熱狂も落ち着きつつあった11月25日、三島由紀夫が世間を震撼させた。魂を失った戦後日本に違和感を抱き続けていた彼は世間に絶望し、その思いを檄として突きつけた。自衛隊にクーデターを促すような体裁を取っていたが、成功させる気はなかったと思われる。当然「失敗」に終わったが、自分と殉死者以外に一人の命も奪う事なく世間に強烈な衝撃を与えた彼の行動は見事と言う他ない。彼は自分の自決くらいで変わるほど世の中は甘くない事も分かっていただろう。その自決には美しく死にたいという個人的な願望があった事も否定できない。当時の世間は自分勝手な行動だと非難する声が多く、実際この国は何も変わらなかった。だが私は、戦後日本が捨て去った、大義に殉ずる至誠の行動様式の体現者として彼を評価したい。大義とは何かは単純には定義できない。その場の文脈や立場や見方で揺れ動く文学的な概念である。三島の蹶起は認識と行動の哲学であり、全ての日本人に渡された禅の公案なのだ。彼は戦後社会が目を背けていた日本文化の野蛮で非合理な美の源泉を、大衆の面前に引っ張り出して突きつけた。軍隊賛美ではなく、文化的伝統を押し殺してまで、天皇や自衛隊を議論の俎上にすら挙げないこと自体が異常であると、あの左翼全盛の時代に人々に問うたのだ。同時に、根性論を説くばかりで思考停止に陥っている、今でいうネトウヨの様な連中を牽制する効果ももたらした筈だ。科学が輝かしい未来を予言すると共に、岡本が、三島が釘を刺した1970年の日本。五輪に万博にこの頃が戦後文化のピークで、以後はその劣化した焼き直しに過ぎないような気がしてしまう。
XⅧ Japan as Number Oneの時代
こうして無機的な、からつぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない或る経済大国が極東の一角に残り、私はそこで生まれた。MadonnaのMaterial Girlが世界的ヒットを飛ばす様な、物質主義全盛の80年代である。ファミコンが発売され東京ディズニーランドが開園した。物心ついた頃には身の回りがモノとアイコンで溢れていた。藤子アニメがジブリアニメが、戦隊モノがゴジラがウルトラマンが仮面ライダーがあり、ビックリマンシールがキン消しが、霊幻道士がスケバン刑事が尾崎豊が流行っていた。小学校に上がると少年の心はドラゴンボール一色に染まり、あまり見せてはもらえなかったが、とんねるずにたけしにさんまに志村けんにとTVがやたらキラキラ(ギラギラ)輝いていた。BTTFにターミネーターにスピルバーグに、洋画も黄金時代を迎えていた。Jリーグが開幕した頃までは日本は敗北を知らず、いつも新しい刺激に溢れ、子供心にも世界は輝いていた。だが今振り返ってみると、当時の日本社会は豊かさ以上のものを産むことはなかった様に思う。バブルに浮かれる馬鹿騒ぎの裏で、人々の心の空虚は着実に拡がっていた。
XⅨ 衰退日本と私の虚無
1995年。日本の凋落はこの年から始まった。バブル崩壊の取り返しのつかなさが明確になってくる中、阪神大震災からのオウム事件でユートピアだった筈の日本はぶっ壊れた。連日ワイドショーでオウムの闇が報じられ、それに影響された私を含む日本中の小学生が尊師マーチを大声で口ずさんだ。その後も親父狩に援交にチーマーにノーパンしゃぶしゃぶに、みっともない言葉が次々にTVに取り上げられ、私自身のモラルも崩壊した。お笑いも以前のわかりやすさわざとらしさが消え、ダウンタウンのシュールな笑いに変わっていった。私と同世代の弱い人間はキレる17歳なんて言われ、同じ様に弱い大人達から恐れられた。こんな時代に青春を過ごした私は、全てを斜めから見る癖がついてしまった。信じられるものは自然科学しかないと漠然と考え、唯物論的思想を深めるようになった。若い頃の私は、作者の気持ちとかいう訳のわからないものを答えさせる国語が大嫌いで、敢えて文学と親しまなかった。それは私の心の奥行きを狭め、思想を痩せ細らせる結果となった。この頃の私は、人間の感情なんて所詮は神経伝達物質の作用であって自由意志など幻想であり、欲望に基く人間の営為は全て地球を汚す結果にしかならず、それなら人間何もしない方がいいと考えているような、虚無に支配された若者だった。だが現実世界は欲望を軸に回っており、如何に不本意であろうとそれに合わさざるを得ない。そうした思想的貧困、世間との乖離の必然的成り行きとして、いつしか私は自分の言葉が持てなくなり、気づいた頃にはその場を取り繕うことばかりに最適化し、グランドデザインが描けず、周囲に迎合することしかできない、典型的なダメな大人の一人になっていた。その後もリーマンショックが私の資本主義への懐疑を深刻にし、原発事故が科学や現代社会に対する不信を増幅していった。私は近代の恩恵に浸りながらも、近代というシステムの抱える矛盾に絶望しつつあった。一方で、唯物的なものの見方が己を虚無に陥れている事に気づき、思想を修正していく必要にも迫られていた。30代の私は、仏教や哲学の本を手当たり次第に読み漁り、虚無からの脱却を求めて彷徨っていた。本当はこんな事は学生時代で済ませておくべきなんだろうが、私は遅かった。気づいたらもう不惑が迫っていた。
XX 認識の歪み
初めの論考で現代人という大きな主語で語っていた闇、あれは結局は全部自分の事だった。自己肯定感が低くて人生に意味が見出せず、心に深い虚無を抱えていたのは、他でもない私自身であった。それを敗戦や近現代のせいにして自己正当化しようとしていたのも私だった。物質主義的、唯物論的世界観、全てを強引に対象化してしまうものの見方が、私の人生を皮相なものにしていた。この思想は受験勉強と相性が良かった。10代の私は学歴社会に反発心を抱きながらも、自分を信じられず人一倍臆病であったが故に、自己の本来性に向き合わず社会に合わせる方を選んだ。己を偽り受験に最適化するよう認識を歪めていく中で、幸か不幸かこの試みは受験システムの中ではうまく行き、私は歪みに気づくこともなかった。私は、世の中には絶対的な真理があり賢い人は皆それがわかっているものだと思っていた。難しいことは賢い人に任せて、私は自分の分かる事できる事だけやらせてもらえればそれでいいと思っていた。それが人として謙虚な姿勢だとさえ思っていたからタチが悪い。私は私の人生の主人公となる事を最初から放棄していた。すべて人生に対するこういう逃げ腰の態度が問題だった。言葉を大事にしない事が投げやりな人生観を生み、自分を大事にせず他人を大事にしない事に繋がっていた。私の様な自我の弱い人間は世間に飲まれやすく、最初から勝負もしてない癖に、悪い事があると安易に時代や社会のせいにして言い訳しようとする。こういう自己欺瞞的な生き方は、過去の賢人達に末人とか大衆に頽落しているとかいう言い方で批判されていたことを後に知った。
XXⅠ 短絡の罪
私は四十を前にして、ようやく小説を読むようになった。読めるようになってきたという方が正確かもしれない。唯物論に染まっていた私にとって、視覚は電磁波の、聴覚は空気の、触覚は末梢神経の振動で、味覚嗅覚は受容体への化学刺激でしかなく、それが真理であり科学だと思い込んでいた。だがそんなものは真理でも何でもなく、ある一面的なものの見方で言葉を言い換えただけに過ぎず、実際には何の説明にもなっていなかったのである。自分の中にある、誰かが言った事を簡単に鵜呑みにする傾向、何でもかんでも短絡的に理解する傾向、じっくり腰を据えて考える事のできない胆力のなさに気がついて初めて、文学が読めるようになってきた。私は一等愚かな人間だった。
「一番バカな人間は、分子や原子がほんとうに『ある』と思っている。 中くらいの頭の人間は、分子や原子は『概念』だと考えている。 利口な人間は、分子や原子をたんなる『約束』だと信じているのである。」(都筑卓司「物理学はむずかしくない」)
XXⅡ Manifesto
・私は世界を死物と見るのでなく、活物として動的に捉えるよう努めたい。
・私は言葉を大事にしたい。余計な言葉は語らず、必要な言葉を落とさぬよう努めたい。
・一方で言葉を字義通りに捉えるのではなく、常に行間を読む姿勢、あるいは行間に真意を込める姿勢を崩さぬよう努めたい。
・私とは何か、私の生きている世界とは何なのか、その上で私はどうあるべきなのか。それを現代という時代思潮の下で物語れる事を目指したい。
私の哲学的、文学的思索は始まったばかりである。ここに感想を書き残す事で、自分というものが浮き彫りになっていくと良いと思う。同時に他者の解釈を拝読する事で、多様性の中の自己を見つめられるとよいと思う。
XXⅢ 令和という時代(追記)
昨今、社会の価値観が大きな転換期に来ている事を感じる。江戸徳川時代から強固に日本人のマインドを縛り付けてきた権威主義や封建的価値観は、幕末以降長い年月を経て少しずつ綻んできたものの、未だ下が上に物申せない空気、忖度して黒も白と言わざるを得ない空気、女の社会的地位を嫌う空気、異文化を理解しようとしない空気、変化を嫌う空気等々、数々の悪弊が抜けきれずにいた。それらの空気による拘束が近年、バラバラと解け始めている事を感じる。今後立場が上の人間は下からのプレッシャーに晒されるようになるだろう。その代わりに下の者は、上の言うことをハイハイと聞いてれば良い時代ではなくなり、自己責任の名の元に自分で考え行動することが求められるようになっていくだろう。端的に言えば近代的個人の概念が漸く日本にも根付き始めたという事であり、日本人の自我が世界標準になってきたという事ではないかと思っている。三島が危惧したからつぽな日本が直近の50年間を指しているのだとしたら、今や時代はポスト三島である。令和の我々は祖先の美徳は残しつつも悪弊からは脱し、成熟社会を実現するための重要な思想転換期を生きている。嘗て、悠久の大義に生きるとは即ち国家の為に死ぬ事であった。だが今日、大義は国家から与えられるものではない。私は私の大義を全うし、心身を捧げて死ぬことができれば本望である。
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