人権や環境といった看板を掲げ、EUや国際政治を指導しようとしたメルケル政権の姿勢は、ドイツの戦後的思潮の当然の帰結であり、こうしたドイツに対して本来「普遍」の本場であったはずの英米仏が苛立ちを募らせるのも容易に理解できる。ただし、本書は必ずしも「普遍」礼賛一辺倒ではなく、「固有」復権の動きにも眼差しを向けている点に特徴がある。筆者のようなドイツ・アカデミズム界の人は、「過去の克服」など戦後ドイツも日本が学ぶべき「普遍」として理想視した方がおそらくポジション的に楽なはずであるが、そうしない点は好感できる。
筆者のスタンスについては、本書中のフランス革命への醒めた筆致や、ドイツで師事したのがH・A・ヴィンクラーやH・メラーといった必ずしも国民国家を全否定しない研究者であったことからも窺い知れる。研究対象としてドイツを過度に理想視はしないが、本書中の用語改革の試み(オーストリアを「エステルライヒ」と表記、「ナチズム」は政治闘争用語なので使用しない等)にも示されるように、ドイツの文脈に沿って理解しようとする姿勢は共感できるので、今後も刺激的なドイツ論を期待したい。
ミステリや歴史関係を好んで読みます。
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人権や環境といった看板を掲げ、EUや国際政治を指導しようとしたメルケル政権の姿勢は、ドイツの戦後的思潮の当然の帰結であり、こうしたドイツに対して本来「普遍」の本場であったはずの英米仏が苛立ちを募らせるのも容易に理解できる。ただし、本書は必ずしも「普遍」礼賛一辺倒ではなく、「固有」復権の動きにも眼差しを向けている点に特徴がある。筆者のようなドイツ・アカデミズム界の人は、「過去の克服」など戦後ドイツも日本が学ぶべき「普遍」として理想視した方がおそらくポジション的に楽なはずであるが、そうしない点は好感できる。
筆者のスタンスについては、本書中のフランス革命への醒めた筆致や、ドイツで師事したのがH・A・ヴィンクラーやH・メラーといった必ずしも国民国家を全否定しない研究者であったことからも窺い知れる。研究対象としてドイツを過度に理想視はしないが、本書中の用語改革の試み(オーストリアを「エステルライヒ」と表記、「ナチズム」は政治闘争用語なので使用しない等)にも示されるように、ドイツの文脈に沿って理解しようとする姿勢は共感できるので、今後も刺激的なドイツ論を期待したい。