«на чай»(お茶代)がウォッカの意だというやつ(p. 33)、レールモントフの『現代の英雄』の昔の訳に出て来た「酒手」かな。あとスターリンの人がウォッカの製造に関して「外国資本に従属するよりよい」(p. 73)と言ったというのは、まあエピソード的な話というかどこまで確実に信用できるかわからない話ではあるが、スターリンにとって資本主義とは「他国に経済的に従属すること」だったので、一応重要な点を押さえていなくもない気はする。彼の中だと経済的自立と社会主義と「大国」たることはほぼ同義なのである。
ピョートル大帝がバケツ一杯分ウォッカを飲めるやつだけ外交官にした(p. 56)って本当かな。まあ多少誇張が入ってるんだろうが、今より外交官が騙し合いの世界だったのは事実だろう。昔は『レッド・オクトーバーを追え!』で出て来たウォッカよりワインが好きなソ連の外交官に「そんなロシア人いるの?」と思ったが、実際今ではビール党もだいぶ増えたらしく、ただしかつての農民がお祭りの時に飲んでいたのはビールだったそうで(『諺で読み解くロシアの人と社会』、pp. 28-29)、長期的には先祖返りのような状況なのかもしれない。
「非ロシアの会社ほどロシア風の名前をつける傾向がある」(p. 130)。ハーゲンダッツがコペンハーゲンみたいな名前だけど別にヨーロッパの会社じゃないみたいなやつだ。帝政時代に雇用主が金じゃなくウォッカを渡して来た(p. 31)というのは、スターリンの父親も時々代金を酒で受け取っていたみたいな話があり(S. Kotkin, “Stalin: Paradoxes of power, 1878-1928”, Penguin Press, 2014, p. 17)、どこまでロシア帝国全体で共有していたのだろうか。
ウォッカが本質的には「国を問う意味がない」(p. 159)ので差異化には香りや蒸留にこだわる他にボトルやラベルもものを言う(p. 91)というのはまあ人間の一側面という気がする。実際に高値で売れている以上、こういった非合理性も否定しがたく存在する一要素であろう。まあ冷戦が始まったら人気が落ちた(p. 85)とか、007の『ドクター・ノオ』でマティーニを作る場面が出たら人気が跳ね上がり、今ではアメリカがプレミアムだと世界の消費の61%を占める(p. 128)とか、本来は全く無関係なはずの話ですからね。
«на чай»(お茶代)がウォッカの意だというやつ(p. 33)、レールモントフの『現代の英雄』の昔の訳に出て来た「酒手」かな。あとスターリンの人がウォッカの製造に関して「外国資本に従属するよりよい」(p. 73)と言ったというのは、まあエピソード的な話というかどこまで確実に信用できるかわからない話ではあるが、スターリンにとって資本主義とは「他国に経済的に従属すること」だったので、一応重要な点を押さえていなくもない気はする。彼の中だと経済的自立と社会主義と「大国」たることはほぼ同義なのである。