ボリシェヴィキは民衆の不満を糾合したがその目的が民衆の求めるものと必ずしも一致していなかった(p. 102)というのはそれっぽい。「これらの動きはそれぞれ別個のエネルギーと願いを秘めており、ボリシェヴィキのスローガンのなかに収まりきる性質のものではなかった」(p. 107)。フランス革命みたいだ。あれは「貴族政を革命家が転覆した」だけでは到底表現しきれないところは少し調べれば誰の目にも明らかなことである。ひょっとして日中戦争後の中国共産党伸張もそういうところがあるかもしれない。
「実際には2月革命の犠牲者の数は、10月革命のときよりも多かった」(p. 35)。これは俺も知らなかった。政治犯とかと一緒にただの犯罪者も出してしまったかららしく、ただそれは現代人の目には奇異に映るが、戦後に対ナチ協力者にも「軽犯罪者」として恩赦を出したみたいなのと同じかもしれない。この辺の大雑把なところは21世紀の人間にはさっぱり理解できないがこういった方面で精査を行うというのもけっこう最近になって始まったことなのだろうか。
二月革命で一気に様々な不満が噴出する中で、使用人たちから雇い主からの「お前」という呼称をやめろとかウェイターから「チップの廃止」みたいな主張が出た(p. 55)というのは面白い。そういうのも当然あるだろう。しかしこういったごく日常的な不満の声も二月革命を作った臨時政府の「民衆の不満に対応できない」という悪評を後で形作ることになったわけで、二月革命政府が第一次世界大戦という非常事態の最中に成立したのはまったく不運なことであった。あとコルニーロフの写真は初めて見た(p. 89)が確かにアジア系の混血に見える。
あとケレンスキーの写真が割と掲載されている。石井先生が「ロシア人は『ケーレンスキイ』と発音するのでいつも気になる」と仰せられていた。自室にナポレオンの胸像を飾っていた(p. 75)とか、前線を視察するときナポレオンっぽいポーズをとっていたとか、あるいは軍服を着て昭和天皇やスターリンのような「軍事的指導者」を装う一方、毛沢東やスターリンのような人民服というかコミッサールの服を着た姿もある(p. 85)。池田嘉郎先生はこうした彼の振る舞いを「20世紀的指導者像」と評されていた。ロシアもまた世界の一部である。
あと歴史学者で外相となったパーヴェル・ミリュコーフが戦争中である以上ロシアと協商国との間の契約を履行して戦争は継続すると複数回声明している件についても触れられている。カルパチア・ルーシについては、ミリュコーフはハプスブルク領の「小ロシア人地域」は「我がウクライナ」に編入される(篠原琢『名前のないくに』。大津留厚編『「民族自決」という幻影』昭和堂、2020年、p. 141)とマサリクへの電報で言っていたようだ。実際ロシア帝国時代のロシアの官僚がどれだけこの辺を理解し認識していたのかは気になるところではある。
東ヨーロッパとか吸血鬼とか好き。(25. 11. 2020)自分が始めるきっかけになった先達の人々にページ数が追いついたので、試験的に漫画も登録開始。途中で「反則」と感じたら消すかもしれません
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ボリシェヴィキは民衆の不満を糾合したがその目的が民衆の求めるものと必ずしも一致していなかった(p. 102)というのはそれっぽい。「これらの動きはそれぞれ別個のエネルギーと願いを秘めており、ボリシェヴィキのスローガンのなかに収まりきる性質のものではなかった」(p. 107)。フランス革命みたいだ。あれは「貴族政を革命家が転覆した」だけでは到底表現しきれないところは少し調べれば誰の目にも明らかなことである。ひょっとして日中戦争後の中国共産党伸張もそういうところがあるかもしれない。
「実際には2月革命の犠牲者の数は、10月革命のときよりも多かった」(p. 35)。これは俺も知らなかった。政治犯とかと一緒にただの犯罪者も出してしまったかららしく、ただそれは現代人の目には奇異に映るが、戦後に対ナチ協力者にも「軽犯罪者」として恩赦を出したみたいなのと同じかもしれない。この辺の大雑把なところは21世紀の人間にはさっぱり理解できないがこういった方面で精査を行うというのもけっこう最近になって始まったことなのだろうか。
二月革命で一気に様々な不満が噴出する中で、使用人たちから雇い主からの「お前」という呼称をやめろとかウェイターから「チップの廃止」みたいな主張が出た(p. 55)というのは面白い。そういうのも当然あるだろう。しかしこういったごく日常的な不満の声も二月革命を作った臨時政府の「民衆の不満に対応できない」という悪評を後で形作ることになったわけで、二月革命政府が第一次世界大戦という非常事態の最中に成立したのはまったく不運なことであった。あとコルニーロフの写真は初めて見た(p. 89)が確かにアジア系の混血に見える。
あとケレンスキーの写真が割と掲載されている。石井先生が「ロシア人は『ケーレンスキイ』と発音するのでいつも気になる」と仰せられていた。自室にナポレオンの胸像を飾っていた(p. 75)とか、前線を視察するときナポレオンっぽいポーズをとっていたとか、あるいは軍服を着て昭和天皇やスターリンのような「軍事的指導者」を装う一方、毛沢東やスターリンのような人民服というかコミッサールの服を着た姿もある(p. 85)。池田嘉郎先生はこうした彼の振る舞いを「20世紀的指導者像」と評されていた。ロシアもまた世界の一部である。
あと歴史学者で外相となったパーヴェル・ミリュコーフが戦争中である以上ロシアと協商国との間の契約を履行して戦争は継続すると複数回声明している件についても触れられている。カルパチア・ルーシについては、ミリュコーフはハプスブルク領の「小ロシア人地域」は「我がウクライナ」に編入される(篠原琢『名前のないくに』。大津留厚編『「民族自決」という幻影』昭和堂、2020年、p. 141)とマサリクへの電報で言っていたようだ。実際ロシア帝国時代のロシアの官僚がどれだけこの辺を理解し認識していたのかは気になるところではある。