純文学原理主義過激派。
にも関わらず、ここ数年、地元の政治に関与してしまい、結局、保守にもリベラルにも絶望する羽目となった。
マッチョで、ついて行くことのできない人間を切り捨てる資本主義に対して、内ゲバだったり、他者を平気で罵倒するリベラルと、どちらの政治形態を取っても、人間の本質は何も変わらず、結局は人は人を救えないのでないかと絶望している。
全てが駄目だと思った時、そういう時にこそ、昔から純文学という存在はあった。
既存の全てのものが駄目ならば、純文学で何かを作れないか。
それすらも無理ならば、純文学は、せめてそういった人間の、ただひとつの慰めであってもいいではないか。
そんな思いを最近は強くしており、こういった観点から、自らも、何か世に、純文学の作品を出せないかと画策するこの頃。
みなさん、どうぞ、よろしくお願い致します。
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