「ヒトラーが将帥の意見を無視した」といった、いわば「負のヒトラー神話」に関しては、マンシュタインも含めて軍人たちの側にも失敗があったにもかかわらず「独裁者」へ転嫁している部分も大いにある(pp. 282-3)とし、将軍たちが自らの担当する「戦区」を第一に考えがちだったことを考えると、同盟国の反応とかも考えたヒトラーの視点は単なる「我執」ではない場合もある(p. 66)とする。そして、そもそも「城塞」作戦自体が情勢的にも戦力的にもドイツ軍には「実行不可能」だったと結論している(p. 282)。容赦がない。
ティーガー戦車の傾斜装甲や操向変速機の信地旋回時といった利点(pp. 78-80)、シュルツェンについて(pp. 85-87)も、どこが優れていてどこが扱いにくそうに思われたかなどが解説されている。T-34は乗組員の人数という、「車長が砲手を兼任せねばならない」という指揮統制能力を除けばドイツ側の戦車を圧倒していた(p. 93、p. 109)とする。自分のようなそういった方面に明るくない人間も納得させられた。戦車の基準は「指揮統制面の性能、火力、機動性、防御力」の四要素(p. 87)だそうで面白い。
指揮官に自己の判断を求める「前方指揮」(p. 147、p. 188-9、pp. 257-258。大木先生がこないだ『戦史の余白』で書かれていたやつだ)のドイツ軍と上意下達(p. 166-7)ソ連軍を対比するような記述が幾度か登場する。確かに「敵の被害は甚大」という「楽観的」(p. 94、p. 98)な報告を信じて優勢なドイツ軍に幾度も向かって来たソ連側には「忖度した報告を鵜呑みにする」というスターリン体制の欠陥がなかなか消えなかったように思えなくもない(p. 264)。
確かに占領地の維持には歩兵が必要(p. 100)であるにもかかわらず、ソ連の野戦軍を殲滅することがドイツ側の目標であり続け、「占領地の拡大」は二次的(p. 135)という見方が残り続けたのはドイツ側の問題だったように思われる。そしてドイツ兵たちは「数的優位」に対し優秀な兵器に頼るしかなかった(p. 109)が、しかし頼みの綱の新型戦車の配備は不均衡で不満の残るものだった(pp. 110-1)という。
ドイツの戦時日誌にも自分の隊の失敗を示すようなことは書かれていない(pp. 170-1、p. 190、p. 284)など手厳しい。クルスクという「決戦」で趨勢が変わったのではなく、クルスクとはドイツ側が守勢に移ったことを示す出来事のひとつ(p. 273)という結論も、著者の安易な単純化を許さない姿勢が表れている。しかしこういった抑制的な姿勢が現在のロシアではますます難しくなっている(pp. 290-1)のが偲ばれる。
独ソ戦における所謂„Massenverbrechen“(大規模犯罪)については部分的に触れられている。パルチザン制圧「ジプシー男爵」作戦の捕虜は全員殺されている(p. 71)とかはすごい。モーデルについては自ら精力的に査閲を行ったりして(p. 106)ヒトラーの„Feuerwehrmann“と呼ばれていたことしか知らなかったが、焦土戦術を命じてフォン・クルーゲが「大規模な建物」だけを燃やすよう調節したりしていたようだ(p. 236)。もし生き残っていたらこの人もどう評価されていただろう。
あとマンシュタインの「後手からの一撃」はしっかり„Schlagen aus der Nachhand“(p. 50)とドイツ語で表記されている。初心者向けの『どくそせん』だと「バックハンドブロウ」と書かれており、「ドイツ人は英語が普通に通じるしマンシュタインも英語で呼んでいたのか?」とぼんやり思っていたが違ったようだ。グリレ型自走砲の「不平屋」という連合国側の呼称はドイツ側にはない(p. 83)とかも細かいながら正確性を高めておりありがたい。
この本の欠かすべからざる魅力の一つは、冒頭も冒頭だが訳を担当された大木毅先生による「麾下」と「隷下」の違い(p. 6)やドイツ軍の番号は伝統的にローマ数字で表記される(p. 5)などの情報である。こういった情報にかつてはどれほどの人間が触れられただろうか。「瞰制高地」(p. 176)とか「火制」(p. 184)なんて単語は初めて知りました。大木毅先生が本書を訳してくださった栄光は赤城毅先生が半井優一准教授を世に送り出してくださった栄光とともに不朽のものとなるでしょう。
あとパウル・カレルが後で書いたという「城塞」がうまく行かなかったのは「スパイが情報をソ連に渡していたせい」という「矯激」なる言動も取り上げられている(pp. 124-5)。そういやドイツ側でもソ連側に投降する兵士が出る中、スロヴェニア人、エルザスやロートリンゲン出身者への疑念(pp. 132-3)が生じたらしい。そのスロヴェニア兵もやはり「民族ドイツ人」だったのだろうか? しかしアルザス=ロレーヌ出身者に対しては間違いなく「中央」からの一方的な目線のようなものが感じられる。
東ヨーロッパとか吸血鬼とか好き。(25. 11. 2020)自分が始めるきっかけになった先達の人々にページ数が追いついたので、試験的に漫画も登録開始。途中で「反則」と感じたら消すかもしれません
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「ヒトラーが将帥の意見を無視した」といった、いわば「負のヒトラー神話」に関しては、マンシュタインも含めて軍人たちの側にも失敗があったにもかかわらず「独裁者」へ転嫁している部分も大いにある(pp. 282-3)とし、将軍たちが自らの担当する「戦区」を第一に考えがちだったことを考えると、同盟国の反応とかも考えたヒトラーの視点は単なる「我執」ではない場合もある(p. 66)とする。そして、そもそも「城塞」作戦自体が情勢的にも戦力的にもドイツ軍には「実行不可能」だったと結論している(p. 282)。容赦がない。
ティーガー戦車の傾斜装甲や操向変速機の信地旋回時といった利点(pp. 78-80)、シュルツェンについて(pp. 85-87)も、どこが優れていてどこが扱いにくそうに思われたかなどが解説されている。T-34は乗組員の人数という、「車長が砲手を兼任せねばならない」という指揮統制能力を除けばドイツ側の戦車を圧倒していた(p. 93、p. 109)とする。自分のようなそういった方面に明るくない人間も納得させられた。戦車の基準は「指揮統制面の性能、火力、機動性、防御力」の四要素(p. 87)だそうで面白い。
指揮官に自己の判断を求める「前方指揮」(p. 147、p. 188-9、pp. 257-258。大木先生がこないだ『戦史の余白』で書かれていたやつだ)のドイツ軍と上意下達(p. 166-7)ソ連軍を対比するような記述が幾度か登場する。確かに「敵の被害は甚大」という「楽観的」(p. 94、p. 98)な報告を信じて優勢なドイツ軍に幾度も向かって来たソ連側には「忖度した報告を鵜呑みにする」というスターリン体制の欠陥がなかなか消えなかったように思えなくもない(p. 264)。
確かに占領地の維持には歩兵が必要(p. 100)であるにもかかわらず、ソ連の野戦軍を殲滅することがドイツ側の目標であり続け、「占領地の拡大」は二次的(p. 135)という見方が残り続けたのはドイツ側の問題だったように思われる。そしてドイツ兵たちは「数的優位」に対し優秀な兵器に頼るしかなかった(p. 109)が、しかし頼みの綱の新型戦車の配備は不均衡で不満の残るものだった(pp. 110-1)という。
ドイツの戦時日誌にも自分の隊の失敗を示すようなことは書かれていない(pp. 170-1、p. 190、p. 284)など手厳しい。クルスクという「決戦」で趨勢が変わったのではなく、クルスクとはドイツ側が守勢に移ったことを示す出来事のひとつ(p. 273)という結論も、著者の安易な単純化を許さない姿勢が表れている。しかしこういった抑制的な姿勢が現在のロシアではますます難しくなっている(pp. 290-1)のが偲ばれる。
独ソ戦における所謂„Massenverbrechen“(大規模犯罪)については部分的に触れられている。パルチザン制圧「ジプシー男爵」作戦の捕虜は全員殺されている(p. 71)とかはすごい。モーデルについては自ら精力的に査閲を行ったりして(p. 106)ヒトラーの„Feuerwehrmann“と呼ばれていたことしか知らなかったが、焦土戦術を命じてフォン・クルーゲが「大規模な建物」だけを燃やすよう調節したりしていたようだ(p. 236)。もし生き残っていたらこの人もどう評価されていただろう。
あとマンシュタインの「後手からの一撃」はしっかり„Schlagen aus der Nachhand“(p. 50)とドイツ語で表記されている。初心者向けの『どくそせん』だと「バックハンドブロウ」と書かれており、「ドイツ人は英語が普通に通じるしマンシュタインも英語で呼んでいたのか?」とぼんやり思っていたが違ったようだ。グリレ型自走砲の「不平屋」という連合国側の呼称はドイツ側にはない(p. 83)とかも細かいながら正確性を高めておりありがたい。
この本の欠かすべからざる魅力の一つは、冒頭も冒頭だが訳を担当された大木毅先生による「麾下」と「隷下」の違い(p. 6)やドイツ軍の番号は伝統的にローマ数字で表記される(p. 5)などの情報である。こういった情報にかつてはどれほどの人間が触れられただろうか。「瞰制高地」(p. 176)とか「火制」(p. 184)なんて単語は初めて知りました。大木毅先生が本書を訳してくださった栄光は赤城毅先生が半井優一准教授を世に送り出してくださった栄光とともに不朽のものとなるでしょう。
あとパウル・カレルが後で書いたという「城塞」がうまく行かなかったのは「スパイが情報をソ連に渡していたせい」という「矯激」なる言動も取り上げられている(pp. 124-5)。そういやドイツ側でもソ連側に投降する兵士が出る中、スロヴェニア人、エルザスやロートリンゲン出身者への疑念(pp. 132-3)が生じたらしい。そのスロヴェニア兵もやはり「民族ドイツ人」だったのだろうか? しかしアルザス=ロレーヌ出身者に対しては間違いなく「中央」からの一方的な目線のようなものが感じられる。