(2)いても語られており、その点についても考えさせられることがあった。古今東西、政治に翻弄される庶民の姿は変わらない面がある、というのは感じられたが、一方で、江戸時代と現在ではその様相が大きく異なるということも感じさせられた。短絡的に過ぎるかもしれないが、私が感じる様相の違いの最たるものは、国民と政治家の信頼関係といったものである。江戸時代が多様な環境危機に見舞われながらも、世界に冠たる循環型社会を形成できたのも、その信頼関係の作用が大きな要因としてあったのではないか。例えば、幕府や藩といった政治→(3)
(3)機構の側からは、単なる強権的支配というだけでなく、飢饉の救済といった庶民に対する慈しみや、森林保護のために庶民の欲望を抑える施策を打つなど、大局的見地からの責任感が感じられ、庶民の側にもそれに応えようとする信頼感情があったようにも感じられた。それに対し現在は、欲望の制御を無効化し、それに反比例するかのように責任感を薄れさせ大衆化した庶民が、政治への関心を益々失って行く。そしてそれに連動するかのように、政治家の倫理観や責任感も失われていく。まさに、本来分断されようもないはずの国民感情と政治の分→(4)
(4)断が生じている。そのような悪循環に陥っている現在が、かの時代以上に深刻な環境問題を抱えている、ということを思えば、それを乗り越えることが相当に悲観的な状況であるということも本書を通して感じさせられた。
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(2)いても語られており、その点についても考えさせられることがあった。古今東西、政治に翻弄される庶民の姿は変わらない面がある、というのは感じられたが、一方で、江戸時代と現在ではその様相が大きく異なるということも感じさせられた。短絡的に過ぎるかもしれないが、私が感じる様相の違いの最たるものは、国民と政治家の信頼関係といったものである。江戸時代が多様な環境危機に見舞われながらも、世界に冠たる循環型社会を形成できたのも、その信頼関係の作用が大きな要因としてあったのではないか。例えば、幕府や藩といった政治→(3)
(3)機構の側からは、単なる強権的支配というだけでなく、飢饉の救済といった庶民に対する慈しみや、森林保護のために庶民の欲望を抑える施策を打つなど、大局的見地からの責任感が感じられ、庶民の側にもそれに応えようとする信頼感情があったようにも感じられた。それに対し現在は、欲望の制御を無効化し、それに反比例するかのように責任感を薄れさせ大衆化した庶民が、政治への関心を益々失って行く。そしてそれに連動するかのように、政治家の倫理観や責任感も失われていく。まさに、本来分断されようもないはずの国民感情と政治の分→(4)
(4)断が生じている。そのような悪循環に陥っている現在が、かの時代以上に深刻な環境問題を抱えている、ということを思えば、それを乗り越えることが相当に悲観的な状況であるということも本書を通して感じさせられた。