「初期作品最高傑作説」。それは、一般にいわれるような後期あるいは円熟期の洗練された作品をもってその作家の最高傑作とするのではなく、デビュー作品もしくはそれに続く初期作品こそがその作家の最高傑作とする考えだ。初期作品を人に描かせる初期衝動と呼ばれるものが、まだ技術や形式という武器もしくは枷を持っていないがゆえに、作品としての良し悪しなど最初から飛び越えているところのそのあらぬ方向への飛び越えを「初期作品最高傑作」は讃える。新人という作家としての孤独性(断絶性)と、既成のマンガ作品の破壊性とが、
本書の唱える「破壊の形而上学(MOD)」と私の中で二重写しになる(余談ながら、私は異世界転生ものは地図の中に書き込まれた破壊であり、この初期作品こそが地図そのものを破棄する破壊だと考える〕。そして、私の本『トートロジー考』でスポットライトが当たった「トートロジー」の探究。日常や自然において毎日・毎年同じことが繰り返されると言われるものの、本当に一分の隙もないほど同じことを繰り返すことなどそもそも不可能である。同じでないからこそ繰り返すことができる、という矛盾した言い方が成り立つのがトートロジーであり、
繰り返すという時間性が弱い破壊を何度ももたらし得る。トートロジーは同じところを堂々巡りする円環のように見えながら、実際は螺旋状に未来へ進む。その螺旋の巻き起こす渦が螺旋自体をも破壊することができる。トートロジーは弱い破壊でありながら、知らないうちに破壊自体をもじわじわと破壊できる退隠性の破壊をも呼び込み得る。 さらに、自説あるいは自作のドローン的視点からの全体化や構造化に抗うために、本書ではベンスーザンの「中断」という概念がクロースアップされているが、私が考えていたのは「予感」と「面影」という概念だ。
「予感」と「面影」の差はその時間性であり、「予感」は物事(例えば破壊)の到来前に見えない未来のにおいを嗅ぎとり、「面影」は物事(例えば破壊)の到来後にすでに見えなくなったそれの残り香を嗅ぎとる。どちらも時間にかかわりながらも時間から断絶されており、であるがゆえに実は入れ替え可能でもあると私は考える。その入れ替え可能性は偶然性とかかわる。…本書と関係のない方向へと感想を広げてしまったように見えるが、しかしこれこそ本書風の読み方であるだろう。
一つ目のコメントにある「「初期作品最高傑作」は讃える」→「「初期作品最高傑作説」は讃える」
趣味で評論や小説を書いたり別名で漫画を描いたりしています。http://kounotori0.blog.shinobi.jp/http://countdown00.hatenablog.com/
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「初期作品最高傑作説」。それは、一般にいわれるような後期あるいは円熟期の洗練された作品をもってその作家の最高傑作とするのではなく、デビュー作品もしくはそれに続く初期作品こそがその作家の最高傑作とする考えだ。初期作品を人に描かせる初期衝動と呼ばれるものが、まだ技術や形式という武器もしくは枷を持っていないがゆえに、作品としての良し悪しなど最初から飛び越えているところのそのあらぬ方向への飛び越えを「初期作品最高傑作」は讃える。新人という作家としての孤独性(断絶性)と、既成のマンガ作品の破壊性とが、
本書の唱える「破壊の形而上学(MOD)」と私の中で二重写しになる(余談ながら、私は異世界転生ものは地図の中に書き込まれた破壊であり、この初期作品こそが地図そのものを破棄する破壊だと考える〕。そして、私の本『トートロジー考』でスポットライトが当たった「トートロジー」の探究。日常や自然において毎日・毎年同じことが繰り返されると言われるものの、本当に一分の隙もないほど同じことを繰り返すことなどそもそも不可能である。同じでないからこそ繰り返すことができる、という矛盾した言い方が成り立つのがトートロジーであり、
繰り返すという時間性が弱い破壊を何度ももたらし得る。トートロジーは同じところを堂々巡りする円環のように見えながら、実際は螺旋状に未来へ進む。その螺旋の巻き起こす渦が螺旋自体をも破壊することができる。トートロジーは弱い破壊でありながら、知らないうちに破壊自体をもじわじわと破壊できる退隠性の破壊をも呼び込み得る。 さらに、自説あるいは自作のドローン的視点からの全体化や構造化に抗うために、本書ではベンスーザンの「中断」という概念がクロースアップされているが、私が考えていたのは「予感」と「面影」という概念だ。
「予感」と「面影」の差はその時間性であり、「予感」は物事(例えば破壊)の到来前に見えない未来のにおいを嗅ぎとり、「面影」は物事(例えば破壊)の到来後にすでに見えなくなったそれの残り香を嗅ぎとる。どちらも時間にかかわりながらも時間から断絶されており、であるがゆえに実は入れ替え可能でもあると私は考える。その入れ替え可能性は偶然性とかかわる。…本書と関係のない方向へと感想を広げてしまったように見えるが、しかしこれこそ本書風の読み方であるだろう。
一つ目のコメントにある「「初期作品最高傑作」は讃える」→「「初期作品最高傑作説」は讃える」