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サブカル・スーパースター鬱伝 (徳間文庫カレッジ よ 1-1)

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吉田 豪
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いじめのある世界に生きる君たちへ - いじめられっ子だった精神科医の贈る言葉

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きっかけはジュディス・L・ハーマン『心的外傷と回復』の訳者あとがき。闇バイトや…続きを読む

ユーザーデータ

読書データ

プロフィール

登録日
2013/01/06(4339日経過)
記録初日
2006/01/06(6896日経過)
読んだ本
624冊(1日平均0.09冊)
読んだページ
170939ページ(1日平均24ページ)
感想・レビュー
280件(投稿率44.9%)
本棚
1棚
性別
職業
無職
URL/ブログ
http://akisibu.hatenablog.com/
自己紹介

隠れコミュニティ、「エニートたちの読書会」のぬし兼目利き担当候補者。

攻略中のブックリストがある。

偏ってます。
ブッククロッシングとコロプラのような位置ゲーと旅と温泉と史跡散歩あたりを絡めたら楽しそうな気がする。
読んでみたい本を片手にちょっと遠出して読み終えた本を手放して、縁のある本を連れて帰って…本も人もまた旅に出る。

どのくらい本読んでるんですか?と聞かれて。

考え込んでしまった本の数え方について。
冊数はあてにならないと思ってはみたものの、
ページ数、
文字数、
重ねておいての高さ、
横に並べておいての長さ、
ならば重量(10キロとか)、
ならば体積(2リットルとか段ボール1つとか)…
本の量り売りは見たことないけど
本とのかかわりは運ぶことがメインだったような気がする自分にとってはやはり重さだろうか。
水を吸うと大変だが。
重さがない電子書籍はどう数えようか。

プロフ更新20220206
隠遁者。
曾て学び働いていた頃は都市にありしが、
人々の欲望渦巻く濁流に揉まれ、
己がスペックを鑑みて努めても届かぬ程を知り、
汚濁の行き着く果てを思い、昇進の望み失せて、
世俗の穢れを避け、鄙びたる地に向かい、
深山の奥、幽幻の仙境にて、
思索と逍遥と鍛錬に愉しみを見出し、
召喚魔法を得意とし、ネット検索で身につけし知識、技など用ひて、
雅たる暮らしをなし、10年ほど経つ。
たまに里に現れ、賢者と呼ばるるも、
まだその有り難き域に及ばずと自戒す。
噛めば噛むほどに、とスルメ系哲学者と呼ばるるも、あったりめぇだろ!と自信満々に返す能わず。当たり前を疑い、吟味するゆえに。

今のところは産まず育てず働かず。
あとは死ぬだけ。死ぬことだけで大仕事。

20200519
きーめた。
それだったら、幼いころから今まで散々雑食してたけど儂は読むことで邪悪化するようなコンテンツはインプットしない原則にしよう。
読まない本のジャンルを決めるだけで読みたい本にかけられる時間が増大するわけだから。

ブクログ(注力してた。2014.05.10~2020.10.25)
http://booklog.jp/users/murarara

立ち読みにアクセスしやすい利便性と濃ゆい感想をシェアし合うには読書メーターのほうがコミュニティの雰囲気としては向いている感触を得るので、使い分けで行こうと思う。(ほんとは両方にインポートエクスポートしたかった。)

20200521(甲子)更新。

データベース検索技術とコミュニティマネジメントの他流試合でインテリジェンススキルを爆上げ中。

その高めた登攀スキルで巨人の肩に攀じ登る。
nani gigantum umeris insidentes

ゆっくりゆっくり一息つきながら途中の景色も味わって、見渡せるものを海馬に刻む。

cf.Ulysses Tennyson, Alfred Lord 18 I am a part of all that I have met;

https://blog.goo.ne.jp/gtgsh/e/890818f504350e50de972a845f49add5

肩の上に立った時、何を思いながらそこまで辿り着いたのやら走馬灯のように振り返ることになるだろう。

しみじみと感じ入って、をかしもあはれもないまぜに。

あくまでも日本人の情緒の立場で、地球文化の現代における後継者という立場から味わえるものを目いっぱい存分に味わって。

そして、どこまで彼方を見渡せるか。すっかり見てしまって、さあこれから。っていうときに心身が限界で衰えてもはや残り時間が僅かしかないというのは、
儂なら絶対…
後悔する。
これまで地上で繰り広げられてきたどれほどたくさんの人生が、命の灯が尽きそうな終末期の瞬間になってやっと一端でも垣間見て、見えてしまって「あ!」っという間に骨になったのだろう。

若くてエネルギーのある充実した肉体に鋭敏な精神が保たれているうちに、肩の上まで登ってしまいたい。

Festina lente!

数量化して最短効率で一直線という戦略ではかえって見落としが多そうだ。

寧ろ、大いなる道草を経てきた方がいいとはっきりと直感がふってきた当時、まだ24歳だった。

そのようなことを予見しながら登っているが、アトラースが肩をすくめてしまったら、転がり落ちてしまうかもしれない。cf.Atlas Shrugged, Ayn Rand

ここで文法解析。
gigantumの性数格は男性名詞・複数形・属格。
よって、巨人は複数形に注意する。

なんとなく巨人族が組体操して人間ピラミッドしてる様を想像し、てっぺんの巨人が調子こいたのかドドドと崩れて戦場に残された死体の山になってて(cf.ワールシュタットの戦いでワールシュタットがそんな風に訳されてたのを読んだ)
矮人がうろちょろしてる様まで妄想した。
スーファミのレディストーカーで寝ている巨人の周囲をちょろちょろするダンジョンを攻略したような遠い記憶。
https://w.atwiki.jp/gcmatome/pages/274.html


”Giants”
https://www.tamagawa.jp/graduate/educate/column/detail_10588.html

リヴァイアサン (ホッブズ) の絵の、人々で構成される王冠を被った「リヴァイアサン」も巨人かなと思いが飛んでった。

学士会会報のデータベース検索。https://www.gakushikai-salon.jp/contents_search/

ジャパンナレッジは機関で月額330円で利用する裏技発見で東洋文庫シリーズもじっくりと読める。

大宅壮一文庫は雑誌記事索引検索データベースだけ、いつか入館利用してみる。https://www.oya-bunko.or.jp/guide/tabid/67/Agg551_SelectTab/4/Default.aspx

国会図書館デジタルコレクションは明治大正昭和初期が充実。https://dl.ndl.go.jp/

山下泰平の趣味の方法のブログはもちろんチェック。https://cocolog-nifty.hatenablog.com/

主に西洋古典はインターネットアーカイブに潜る。https://archive.org/



未体験。ルーラル電子図書館のデータの本体のアクセス・閲覧。

20200522

プレイ回数ごとに、
今まで使い道が思い浮かばなくて捨ててたけど、
なんか使えないかなと思ってググるターンを重ねる。
その結果、これやろう!という実験の筋が見えてくる。
実験して、過程や考察をログに残す。
書きながらさらにその先を考えるうちに、
知恵に厚みがでてきたように思う。

生活体験が万学に通じ、全体を見渡すことができ、真理の知識体系の体現者として生きることができた昔の人を末裔は妄想する。アルス・マグナ、オプス・マグヌムの使い手を。
学問が細分化され、狭く深くやりこむ専門人となることを求められる末裔たちは随分と矮人化している、というような昔の人と今の人を比べて賢愚をジャッジする議論は色んな場所で色んな人々の間で長年行われてきた。

主にビジネスの文脈などで、
ライバルに差をつけて、どんどんスケールし続けるのが目的で、
そのためには、勝てそうな専門領域をごく狭く限定し、試行錯誤と反復練習を爆速でありえない量を繰り返すことでブレイクスルーが起こって量から質の転換につながるから、あいつらとうちはこんなにも違うと差別化アピールできるようになる。
そういうメソッドで若い時間、お金、エネルギーといった使えるリソースを集中投下することを勧めている記述を複数回読んだことがある。短く言えば「選択と集中」というフレーズで。

「ありえない量を繰り返す」という部分において、時間的に継続性がないとこれは成立しないが、繰り返しに飽きるという問題もあって、繰り返すことが苦にならないことが条件になる。

やや積極的に解釈して、「好きなこと」なら繰り返すのも耐えられるだろうという考えから「好きを仕事に」というフレーズというのが出てきたんだろうけど、「自分の気が変わるので好きなものを死ぬまで好きでい続けるとは限らない」というシビアな命題は見なかったことにしているんだろうか。

狭隘過ぎる専門人としての知的生活態度に、
残りの健康寿命を費やすのに気が進まないくらい、
まだ何にでも興味があって、まだ何にも知らなくて、まだなれるものの選択肢を残しておきたい素養の持ち主は、
決断を可能な限り先延ばしにするモラトリアムを生きる。
later specialization
さっさと専門的職業を決めてしまい、伴侶を決めてしまい、リソース分捕り合戦の金稼ぎに追われるさまを横目に、まだ決めてない自分が置いてけぼりにされたような気持ちで「いいなあ。人生捗ってて」なんてうっかり言ってしまいそうになる唇をきゅっと噛みしめる。けてこー、平常心。(標準語訳:かえってこい、平常心)

早くから決めてしまう生き方も一長一短なのは、幼少期から訓練を受けてデビューしたタレントやアスリートなど一芸枠を見ればなんとなく分かる。一見有利そうに見えるけど、早くから「お仕事」で忙しくなるわけだから、そのままだと教養を身に着けるには時間がなさすぎる。きっと活動休止期間中か引退後にでもなったら、そういう閑暇を持てるだろう。過度のアウトプットに偏って、過去のインプットで蓄えてきたネタが枯渇したらいったん休止して、その後何か見性悟道して、滾々と湧き出るインスピレーションの泉へのアクセス権を得たら活動再開。なんてパターンをひたすらwikipediaで読み取ってきた。

泉へのアクセス権がいつまで権限付与してもらえるかはわからない。若くて色々浮かんでくる時代が長続きするかというとそうでもないのかもしれない。若くても何にも浮かばない人もいるかもしれないし、決まった生活に決まった仕事を単調に繰り返す中で鈍感力を求められるのに応えるうちに鋭敏な精神がスポイルされる罠にはまるかもしれない。
老い衰えて脳が壊れたらアクセス不能になるかもしれないし、精神が肉体を凌駕し続けていて、肉体が限界突破したら、もはや叶わないかもしれない。

ただ、今からでも色々浮かんだあれこれを書き留めておくことはできる。インスピレーションの泉を味わった残滓を残し、ああ、あの頃はこんなこと考えてたのか、と振り返る未来に手紙を送る。
そんなことをぼんやりと感じていたけど、あまりはっきりと言語化することはできなくて。
でも、自分にとっては大事なことだなと直感したから19歳から、儂はブログを書き続けているし、まだまだ書き続けるだろう。ときどき止まることもあったし、これからも止まることは予感しているけど。
気づいたら15年が経とうとしていて、テキストも膨大だ。
うら若い広義のJDも羽化が進む。進む先に、魯迅の『故郷』に出てくる五十前後のコンパスみたいな女もありうるかな、なんかやだな。私がオバさんになっても、なんてキャピキャピ歌うことはなかったけれど。
参考。魯迅『故郷』
https://www.aozora.gr.jp/cards/001124/files/42939_15330.html

書くのが好きとか好きじゃないとか、そういう次元じゃない。
しみっしみに恨みについてるんだと思う。」

禅僧が語る 篠原大雄老師 「恨みにつく」
https://www.youtube.com/watch?v=BD9hq1FbnHw

20190328更新。

ジャパンナレッジ Personal+Rでデータベースの海をゆらゆらと漂い中。

みんなで翻刻を眺めながらくずし字(御家流)の手習い。

文人趣味の世界にも少しずつ足を踏み入れ始めている。

20180907更新。

前回更新時と異なるのは、ゆるくだけど決まった時間に仕事していることぐらいだろうか。

大本に健康があって、生活が土台になって、その一つ上に趣味があって、そのちょこんと小さく上に乗っているのが仕事、みたいな円錐型ワークバランス。

家族活動はもっぱら孫ちゃん業。地域社会の活動は草刈りとかゴミ拾いとか近所の子供ら(両親共働きが多い)の勉強をそっと隣で見てることとか。

働き盛りの年代の健康な大人は仕事に時間も身柄も持ってかれて、そばについて目をかけて遣れない。大人の目がない分、地域の防犯力も低下しやすい課題もある。

少しばかり学問を修めて、図書館とも本とも縁遠くない文化資本の塊みたいな大人がそんなところに飛び込んだらどうなるか?という実験。

職を投げ打って無位無官の村人Aとして村に紛れ込んで、そこそこ暇で朝もごゆっくりだし、昼間もぶらぶらし、しばしば温泉に浸かる。

最近、「おぬし、只者じゃないな」と言われてきてしまい、まだまだ村人Aに徹しきれてないな、まだまだ修行が足りんなといったところ。

趣味は修行。

20161003更新。

転勤族で、家の中の言語と地元の言語が違う環境で育つ。小学生の時エスペラント語に触れる。

高校時代に理系白書を読んで、理系がそれまであまり報われそうにない進路だったように思い、文系を選択。

黒板にギリシャ語の単語がスラスラ書けて休み時間にラテン語の基礎を教えてくれた高校倫理の先生から勧められて、

竹内 洋の教養主義の没落―変わりゆくエリート学生文化 (中公新書)を読んだらかぶれて、

幅広い教養を身につけた高等遊民になるために

大学ではリベラルアーツをやろう、人格を陶冶しに行こうって入った。

そんな時代錯誤な大学生、教養部が解体され、職業に役立つ専門教育に重きを置く現代の大学では浮く浮く。自分の中で、学部は哲学部で教養を一通りやったら、院で医・法・神の専門教育をやるという目論みだったのだが。

祖父母が宮城県なので大学は自分のルーツをたどるには最高の教育環境だったので、

授業外で趣味で始めた姓名・地名・神社仏閣・聖域を文献調査し、現地にフィールドワーク。

博物館もチェックし、温泉も入るというのをやっていた。


出雲や屋久島にも手を広げ、日本国内の土着の聖地巡礼…はまだ今も続いている。

熊野古道、月山、湯殿山、蔵王山、白山、三輪山、高野山、諏訪など。

ついでに在学中に関西語学留学をする。水の飲み比べや豆腐文化、蕎麦文化もチェック。


大学卒業後は、東京で法の分野を少々。法と工学って近いなと思う。

ギャップイヤーで図書館情報学を独学してみて、

学問知識全体を見渡せてアクセス可能になる学問ってこれじゃん。と思った。

今は検索屋さんをやっている。文字による検索のため語学が生きる。

wikipediaの記事を多言語で読めたら楽しそうだなと、

西洋哲学やるなら語学は必須だからと古典語にも手を出していたのはよかった。

印欧祖語に興味があったが、印欧祖語の講義は見つけられなかったので、

ラテン語、ギリシャ語、サンスクリット語を少々。ドイツ語(第二外国語)、フランス語、中国語、イタリア語を文法だけ少々。スペイン語はさわりだけ。マヤ文字もさわりだけ。朝鮮語は就職してから語学研修(英・中・韓)で。就職したらそれまでノーマークだったアジア系中心に諸言語も触れることに。タイ語、マレー語、インドネシア語、タガログ語、イスラム語、ロシア語、モンゴル語、ポルトガル語、アフリカ諸国…でも、海外旅行したことなくて日本国内から出たことないんですけど。

石川県西田幾多郎記念哲学館http://www.nishidatetsugakukan.org/に足を運ぶくらいは哲学に興味ああって、鈴木大拙館http://www.kanazawa-museum.jp/daisetz/をぶらぶらするくらいには禅にも興味がある

最近は、QOLが上がるかどうかが判断基準で、睡眠覚醒リズムを良好に保つことや運動、環境に配慮した家事スキルの向上、産直所で新鮮でバイタリティ溢れる農産品の吟味と調理、水源調査、山歩きによる自然観察とハーブなど薬草のガーデニング、山に薪を取りに行く薪活や水汲みを優先しているため、余暇にネットをやるのは調べもののためで、ソーシャルには時間を制限気味でたまに見に来るくらい。

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