2002年に近畿大学の教員が集まって選定および刊行されたブックリスト『必読書150』(http://bookmeter.com/b/4872336569)は、15年近く経った現在でも人文科学系の教養を築き上げるための目安として持ち出されることが少なくありません。
しかし、ネットを眺める限り、ブックリストに対する賛否両論は多数寄せられているとはいえ、選定された本の全てを読んでいる読書人はなかなか見当たりません。
果たして『必読書150』に挙げられた名著の数々は読むに足るものなのでしょうか? 名だたる選定者たちを前にしてそのような疑問を投げかけるのは僭越にしても、それ以前に読んで面白いものなのでしょうか?
かつてに比べると読みやすい新訳が普及し、手厚い入門書なども充実している昨今にあってはこの難業に挑戦するべき時期がようやくやってきたのではないかと思います。とはいえ、難解にして重厚なタイトルが並ぶのを前にして理解の面でもモチベーションの面でも一人で取り組むのは難しいので、仲間を募るためにこのコミュニティを立ち上げました。
同じく『必読書150』の読破を目指す方、全てとは言わずとも基礎体力をつけるためにブックリストに手を付けてみたい方、そもそも全部読んでいるけれど後ろをついてくる者の尻を叩く趣味があるから協力してやるつもりだという方など、様々な読書人の参加をお待ちしています。
以下が『必読書150』のラインナップとなっております。
人文社会学
http://bookmeter.com/c/335705/t/9899
海外文学
http://bookmeter.com/c/335705/t/9900
日本文学
http://bookmeter.com/c/335705/t/9901
参考テクスト70
http://bookmeter.com/c/335705/t/9902
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よろしくお願いします。コミュニティ自体は2年近くほったらかしにしていますが、最近はリストに載っている本をちょこちょこ読んではやっぱり必読書150の選定って優れていたんだなあ、などと感嘆しております。
特に近頃は未読のままでいた岡倉天心や九鬼周造に関心が向いておりまして、また活動を細々と再開させようかな、とも企図しております。
初めまして。必読書150ははじめて知りましたが、最近哲学書を読んでみようかと思い始めたときにこのコミュニティがたまたま目にとまったので参加させていただきます。
よろしくお願いします。3年前に立ち上げたこのコミュニティも管理人の多忙や怠惰により閑古鳥が鳴いていました。そんな中で新しく参加してくれる方がいらっしゃるのは嬉しい限りです。これを機会に重い腰を上げて改めて私も猿から人間へと進化しようと思います(もっとも63冊は大分読んでいる方でしょう。アウストラロピテクスくらいにまでは進化しているはずです)。
ソシュールの新訳は読みましたがあれは確かに旧訳よりも読みやすいですね。これを機会にリストを改訂しようと思います。
そのほかにも精神現象学はポータビリティに優れていて、かつ学術的にも優れている熊野訳が出ましたね。一方で柳瀬が亡くなったことでユリシーズの完全なる別訳は姿を見せることがなくなったり、色々なことがこの三年ほどで起こったと痛感する次第です。
初めまして。自己紹介が遅れてすいません。『必読書150』でた当時から気になっていて、既読書をチェックしていましたが、ある程度読んだつもりになっても、既読書の数があまり増えた気にならならないのが、われながら不思議です(笑)。因みに気読書は63冊。猿から人間への道はまだまだ遠そうです(苦笑)。
大きなお世話かもしれませんが、ソシュールの『一般言語学講義』は小林英夫訳ではなく、町田健の新訳のほうがずっと読みやすいと思います。
とにかくよろしくお願いします。
よろしくお願いします。
私も高校の頃はカバンに文庫本を入れてボロボロにしていたものです(していただけですが……)。
難儀なものが多いですがお互いに頑張りましょう。
ボードレール『悪の華』を読了しました。ボードレールといえば象徴主義の代表的詩人として偉大なイメージがつきまとい、敬遠しがちですが、実際に詩を読んでみると仰々しい詩句の中に意外な単語が混ぜ込まれて驚きました。それは「猫」です。しかも猫はボードレールのお気に入りだったのか、特権的な役割をもって詩にたびたび登場してきます。例えばこんな感じで……「おいで、私の美しい猫、恋に脈打つ私の心臓の上に。/その足の爪を引っこめて、/金属と瑪瑙の混じり合う、きみの美しい眼の中に/私をとびこませてくれたまえ」なんともキュートな詩です。なぜボードレールが猫を詩の中に登場させたのか、このあたりの研究もそれなりに進んでいるようで、愛猫家でない者なれど興味が湧いてくるところです。
シュミット『政治神学』を読了しました。もっとも興味深く思ったのは、(本書において重要視されている)「例外状態」がなぜそれまでの法学で重要視されなかったかといえば、「例外状態」がむき出しになるようなことがなかったからだ、と述べている点です。19世紀のヨーロッパは(100年戦争や30年戦争などしょっちゅう戦争をやっていた頃に比べ)安定した秩序にありました。有名なところでは、第一次世界大戦は長期化することなく早期終結するだろうと誰もが思っていた、なんていう話もあります。現実に「例外状態」が出来しなければ誰もそれを考えやしない、だが、「例外状態」は法の内側に不可避的に存するものなのだ、とシュミットはおおよそそんな風に論旨を展開するわけですが、これは今日シュミットを単なるナチスの加担者としてでなく、れっきとした思想家として扱っている現代の目線からしてみると説得力を感じます。第二次世界大戦後の国際社会は冷戦という大きな対立軸があったとはいえ、全面戦争に発展することはなく比較的穏やかな秩序が保たれていました。が、冷戦の終結に伴ってあちこちで内戦やテロが起きるようになり、これまでの秩序に対する観念ではとらえきれない事態が出来するようになりました。それまで法哲学や政治学の分野で専門的に理解されているだけだったシュミットが、アガンベンやムフといった現代思想系の哲学者によって再発見されたのも冷戦終結後の話です。その点を考えれば、シュミットを読み直すなんていうことはできれば避けるべき事態なのかもしれません。
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