たり西軍についたり両軍入れ替わりするので話がややこしくなる。この乱は結局東軍が勝つのだが東軍の大将・細川勝元の当初の真意は、足利義政→義尚という伊勢路線でもなく、足利義政→義視という山名路線でもなく、足利義政→義視→義尚という規定路線の維持だったと考えられる。また乱の前に伊勢貞親・季瓊真蘂(きけいしんずい)・斯波義敏らの失脚=文正の政変があり伊勢貞親という共通の敵がいなくなると、細川勝元と山名宗全の激突は避けられないものになったという。応仁の乱が勃発した要因は複数あるが、直接の引き金になったのは畠山氏の→
家督争いである。つまり政長と義就の争いである。そして朝倉孝景の寝返りが応仁の乱の戦局の転換点であったことは学界でも共通認識となっているらしい。(朝倉孝景は東軍に寝返った。)詳細→ https://takeshi3017.chu.jp/file10/naiyou34402.html
こんにちは。興味本位で登録してみました。月3冊くらいしか読めない超遅読な私ですがよろしくお願いします。読む本のジャンルは主に小説、特にミステリが好みです。ですが、最近は歴史系の教養本を読むことも多くなりました。HPで今まで読んだ本を記録しています。URLは https://takeshi3017.chu.jp/
この機能をご利用になるには会員登録(無料)のうえ、ログインする必要があります。
会員登録すると読んだ本の管理や、感想・レビューの投稿などが行なえます
たり西軍についたり両軍入れ替わりするので話がややこしくなる。この乱は結局東軍が勝つのだが東軍の大将・細川勝元の当初の真意は、足利義政→義尚という伊勢路線でもなく、足利義政→義視という山名路線でもなく、足利義政→義視→義尚という規定路線の維持だったと考えられる。また乱の前に伊勢貞親・季瓊真蘂(きけいしんずい)・斯波義敏らの失脚=文正の政変があり伊勢貞親という共通の敵がいなくなると、細川勝元と山名宗全の激突は避けられないものになったという。応仁の乱が勃発した要因は複数あるが、直接の引き金になったのは畠山氏の→
家督争いである。つまり政長と義就の争いである。そして朝倉孝景の寝返りが応仁の乱の戦局の転換点であったことは学界でも共通認識となっているらしい。(朝倉孝景は東軍に寝返った。)詳細→ https://takeshi3017.chu.jp/file10/naiyou34402.html