幼少の頃、私は本好きではなかったと思う。
教育の為に読み聞かされる紙芝居の途中でウトウトと寝てしまったとき、母に叩かれた。私はいけないことをしたのだと思い、その夜、泣きながら謝った。母は私の頭を撫でながら、いいのよ、と言った。だけどもう本も紙芝居も読んでくれなくていい、と枕に顔を押し付けて、はっきりと思った。
小学校に入ってから、長い昼休みにはいつも図書室にいた。教室にいても話し相手が見つからなかった代わりに、知らない人達の物語と出会い、思うこと、感じること、会話することを覚えた。中でもヘレンケラーやモーツァルトの伝記が気に入りだった。
中学、高校は本の虫だと揶揄されるほど読書に熱中した。そして私は本が好きなのだと思った。この時期は特に村上春樹ばかりを読んでいた。やれやれ、おかげですっかり偏見持ちになってしまった。ということもありつつ、当時受けた影響の余波を未だに自覚する。
母は、成長して自ら本を手にする私に一切の関心がないようだった。けれど、ほとんど語彙を持たなかったあの頃に本を読み聞かせてくれた母には、私はとても感謝している。でなければきっと、大人になった今でさえ満足に私は自分の思うことを他人に伝えることができなかっただろう。他人の言わんとしていることを察することができなかっただろう。
いくら多くの理屈や感情があったとしても、言語化する術を持ち合わせていなければ誰かに何かを分かってもらうのに時間がかかり過ぎる、あるいは広範囲な無理解の中で、息を潜めて不本意に生きているしかなかったのではないかと、なんとなく感じる。そういうのは、想像するだけでも少し怖いではないか。
自分勝手な読み方しか知らないけれど、今後も自由に読書ができる日々であってくれれば、私はそこそこ幸せだと思う。
あ、あと美味しいお酒もね。
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