『誰しも理想の女を書きたい。女のみではない、理想の人、すぐれた魂、まことの善意、高貴な精神を表現したいのだ。それはあらゆる作家の切なる希ひであるに相違ない。私とてもさうである。』『私といへども、私なりに、ともかく、理想の女を書きたいのだ。否、理想の人間を、人格を書きたいのだ。たゞ、それを書かうと希願しながら、いつも、醜怪なものしか書くことができないだけなのだ。』と読んで、坂口安吾は、とてもロマンチストだと思いました。
日本の文学や作家を、坂口安吾がケチョンケチョンにけなしているのを読んでいると、そもそも、日本文学界において、理想の人格を書きたいなどと高尚な事を考えているのは、坂口安吾只一人なのではないのかと思ってしまいました。
傑作もしくは水平線の神秘
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『誰しも理想の女を書きたい。女のみではない、理想の人、すぐれた魂、まことの善意、高貴な精神を表現したいのだ。それはあらゆる作家の切なる希ひであるに相違ない。私とてもさうである。』『私といへども、私なりに、ともかく、理想の女を書きたいのだ。否、理想の人間を、人格を書きたいのだ。たゞ、それを書かうと希願しながら、いつも、醜怪なものしか書くことができないだけなのだ。』と読んで、坂口安吾は、とてもロマンチストだと思いました。
日本の文学や作家を、坂口安吾がケチョンケチョンにけなしているのを読んでいると、そもそも、日本文学界において、理想の人格を書きたいなどと高尚な事を考えているのは、坂口安吾只一人なのではないのかと思ってしまいました。