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2024年4月の読書メーターまとめ

無重力蜜柑
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感想・レビュー
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2024年4月に読んだ本
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2024年4月のお気に入られ登録
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2024年4月にナイスが最も多かった感想・レビュー

無重力蜜柑
ネタバレ再読。森見登美彦は割と好きな作家だが本作だけは別。昔読んだときには「なんだこのつまらない小説は」と思ったし、日本SF大賞受賞作と知って驚愕した。しかし五年ぶりに再読してみれば受賞の理由がよく分かったし昔よりは腑に落ちる作品だった(面白いかと言われれば微妙だが)。これは要するに「科学的思考の児童文学化」の試みなのだろう。科学少年である主人公の思考は常に論理的かつ明晰だが、知識や経験の不足ゆえに随所で観念連合の不具合を起こす。それは大人から見れば微笑ましい屁理屈だが当人にとっては筋の通った弁論に他ならない。
が「ナイス!」と言っています。

2024年4月の感想・レビュー一覧
11

無重力蜜柑
ネタバレなんという駄作だ。デスゲームで生活する少女の話らしいが、頭脳戦もドラマもサスペンスも希薄か皆無。一体何を楽しめばいいのか。そもそも本作の「ゲーム」は物語を成立させ得る水準に達していない。ルールはどれも深みと面白みを欠くお粗末極まるもの(特に一部ラストはひどい)で、まともな「攻略」は成り立たない。第二部に至っては一人のスポイラーが全てを破壊する。これはクソゲーか、ゲーム以下の何かだろう。デスゲームからゲームを除けば残るのは一方的な殺害と自動的な死亡、つまり悪趣味なスプラッタのみだ。自分にリョナ趣味はない。
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無重力蜜柑
人が機械を使うのか、機械が人を使うのか。技術の哲学の分野ではこうした対立を伝統的に道具説と自律説の対立という(ちなみに筆者はp.15で社会的構成論を道具説の類似概念としているが、これは明確に誤り)が、それに対し筆者は人間と技術が結び付き新たなアクターへ「生成」されるという媒介説の立場をとる。機械の論理でも人間の論理でもなく、両者がハイブリッドされた機械―人間の論理。こうした思考自体はそこまで目新しくもないが、本書はその生成の様を文化人類学の細密な筆致で描き出すあたりに、空理空論を超えた面白さがある。
無重力蜜柑
2024/04/27 03:06

特に白眉なのが第2~4章の電王戦を扱った章である。人間とAIの認知の差異。それが将棋という最高峰の知的営為において如何に現れたのか。そして、人間と機械の相互作用によって両者が、そして将棋やそこにある概念が如何に変容したのか。機械人間の生成を描く文章の力強さと面白さは小説顔負けで、なるほどこれがエスノグラフィーかと思わせられる。一方、朝井リョウやニコニコ動画、Twitterなどを例に公共圏の変容を論じた第6、7章は面白くなかった。描写の具体性が失われたためでもあろうが、議論が既に古びてしまっているのが痛い。

無重力蜜柑
2024/04/27 03:18

筆者は炎上のリスクなどに一応触れつつも、人称の変容をもたらすSNSを新たな機械人間の生成へ繋がる技術として比較的肯定的に評価している。だが本書が発行されて六年経った現在、憎悪と偏見と党派性を煮詰めて社会の分断ばかりを加速させる現代のソドムと化したSNSに、同じ視線を向けるのは難しい。第8章では機械の進化による人間概念の再帰的変容が論じられていたが、なかなか観念的で飲み込みがたい。これは5章以降すべてに言えることだが、文化人類学のスタイルは事物の具体性を離れた瞬間に極度に胡乱になるところがある。

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無重力蜜柑
よくもまあ、これだけ薄い内容をポエムで嵩増しできるものだ。著者の主張は以下のように要約できる。「人間は公共圏=言語的な世界を築いてきたが、その外側に感覚的でリアルな自然が存在することが地球温暖化により明らかとなった。この現状に対応するため人文学の革新が必要だ」。本書の三割は勿体ぶった言い回しと比喩、三割は同じ主張のリフレイン、三割は学者や芸術家からの引用(その全てを筆者は驚くべき単調さで自身の主張に直結する)である。よって論旨に必要な記述だけ抜き取って再構成すれば本書の分量は1/10以下で収まるだろう。
無重力蜜柑
2024/04/24 15:00

自然が人類の存在基盤を揺るがすものになったのは近代科学文明のせいであるかのように筆者は論じるが、前近代文明が自然災害から受けた被害の数々を彼は知らないのだろうか。科学技術が結果として地球環境を改変しているのが事実だとしても、科学技術が同数以上の人命を自然から守って来たのを無視するのはフェアではない。筆者が心底恐れる豪雨や台風の中を何事もなく生き延びてぬくぬくと本を書けるのも、近代文明の産物たる建築技術と都市インフラのおかげであろう。

無重力蜜柑
2024/04/24 15:05

ところで筆者は阪神淡路大震災から復興した街の光景に対し「人間が住むための空間に作り変えられ、人間的尺度に従わされている」と暗に批判めいた言動をするが、ではいつまでも「人間的尺度に従わされた状況を揺さぶる」悲惨な光景が残っている方が良かったとでも言うのだろうか。関西出身の人間としては不快極まる。こういうインテリ特有の高踏な無見識とでも言うべき記述は随所に見えて、重要なインフラである自動車道路を「空虚な空間」呼ばわりし、非言語的な世界を説明する事例としてマニアックな現代アートばかりを引用する。全くうんざりだ。

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無重力蜜柑
「名言から読み解く武士のメンタリティ」という切り口は面白い。思想史とか社会史的な内容だと思って手に取った。しかし実際の内容は、各事件や人物についての学説史の解説と筆者によるその検分、つまりガチガチの実証史学だった。近代以前の日本史に疎く大河ドラマや歴史小説とも縁遠い自分には正直退屈だった。取り上げられたセリフも半分以上知らないし。ただ、前近代を対象にしたスタンダードな歴史学という日頃読まない分野に触れられたのは良かった。自分が馴染み深い近現代史、特に科学史や技術史、経済史、軍事史なんかとはまるで違う。
無重力蜜柑
2024/04/20 00:08

ところで呉座勇一といえば例の事件だが、これほど該博かつ堅実な実証史学をやっている学者を、鍵垢で悪口言ってたくらいの理由でポスト剥奪せんとするアカデミアの党派性には驚かされる。

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無重力蜜柑
長らく積んでいたがようやく読んだ。「暗黙知」は非言語的な知識、技術知、或いはもっとざっくりと勘くらいの意味で使われる言葉だが、日本語として普及したのは原書が初訳された80年代らしい。日本ではビジネスとかマネジメントの領域で使われる言葉だが、どことなく胡散臭い感じがするのは自分が商売嫌いだからだろうか。とはいえ本書の内容はビジネスとは関係ない。「暗黙知」は当時の心理学の知見に基づいて提唱された概念だし、そこから展開されるのは生命や存在、社会についての壮大な思弁だ。まあ胡散臭いことには変わりないか。
無重力蜜柑
2024/04/19 03:09

以上が第Ⅰ章「暗黙知」で展開される主張である。なかなか面白い発想だと思う。そこから「全てを明晰に実証化し尽くそうという科学の試みの原理的不可能性」を主張するあたりは特に。しかし、続くⅡ章「創発」Ⅲ章「探求者たちの社会」の内容はやたら壮大で、はっきり言ってスピってる。Ⅱ章はⅠ章で説明した部分と全体の関係を、物質から生命へという存在論的階梯に一般化(?)する試みであり、Ⅲ章はその階梯の果てに生まれた我々人間が今後構築すべき倫理の話だ。書かれたのが50年代ということもあり、この辺の議論は正直あまり面白くない。

無重力蜜柑
2024/04/19 03:23

ただまあ、ポランニーの狙いがⅢ章にあることは明白。彼の念頭にあったのは当時世界中で猛威を振るっていたスターリン主義の脅威である。科学と理性の産物である(というのは当時の認識だが)マルクス主義が、どうしてこれほどの思考停止と全体主義を生んだのか? ブハーリンとの議論でそんな疑問を覚えたポランニーは、その原因を近代の懐疑主義(無神論)と完全主義だと考えた。両者の背後にあるのは徹底的な経験主義だ。故に彼は暗黙知という経験主義によっては尽くせないメカニズムを提唱した。つまりスピってるくらいで丁度いいのである。

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無重力蜜柑
靖国神社にまつわる(主に右派の)ディスコースを文献学的に分析し、その思想の歴史的背景を明らかにして相対化してやろうという本。著者が日本史や日本思想ではなく中国思想の専門家である点と、かなり軽いエッセイ的な書き方をしている点から、記述の実証性については相当差っ引いて読むべきだろう。しかし着眼点や手法にはオリジナリティがあり、これ自体が一個の思想書としてかなり面白い。そんな筆者の主張は、「靖国問題とは外交問題という以前に国内問題である」というものだ。そして彼は第二次世界大戦ではなく明治維新に目を向ける。
無重力蜜柑
2024/04/16 02:50

つまり勝てばなんとやらというやつで、官軍と賊軍を分けるのは勝敗のみであり、勝ったのは薩長閥であったというだけの話だ。そして従来は薩長のお仲間を祭り上げるための施設だったものが、西南戦争と日清・日露の対外戦争を経て「日本の」施設となっていった……。これが筆者の指摘する「国内問題」である。自分は幕末明治の歴史に詳しくないのでこの辺の記述の妥当性はよく分からないが……正直、地方が衰退しまくってるこの時代に藩閥時代の確執を指摘されてもなあという感じ。これをアクチュアルな問題として言い立てるのは流石に無理がある。

無重力蜜柑
2024/04/16 02:55

あと、勝てば官軍負ければ賊軍の論理から「第二次世界大戦で負けた日本は賊軍になってしまった」と筆者は言うが、これも無理がありすぎる主張に思える。天皇制というシステムの中で大義名分を争っていた薩長と幕府の間ならともかく、システムの外側に立つ合衆国との戦争に負けても米軍が官軍=天皇の軍隊としての大義を得るわけではなくないか。合衆国大統領はワシントン幕府の将軍ではないわけで。いや、もしかしたら筆者はそう思ってるのかもしれないけれど……。

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無重力蜜柑
「武士道といふは、死ぬ事と見付けたり」の一句が極めて有名な武士道書『葉隠』。戦時にはそれこそ日本軍国主義の思想的淵源の一つとなった書で、いかにも禍々しいイメージがある。最期には市ヶ谷で自刃した三島が好んでいた理由もそうした「死」や「献身」といった辺りにあるが、本書を読んでみると意外にも『葉隠』の実用的ハウツー本としての側面が強く印象に残る。具体例を挙げるなら「くしゃみの止め方」「化粧の仕方」などだ。それもそのはず。『葉隠』は隠居した老侍から若い侍に向けられた自己啓発本だったのだ。
無重力蜜柑
2024/04/13 04:59

しかし、自己啓発本とはいえ著者・山本常朝は武人である。ある種牧歌的で常識的なアドバイスと全く対等に「死」に関する異様な信念もまた並んでいて、そうした文章に触れた瞬間に我々現代人の意識は圧倒的な断絶を感じてしまう。彼らとは死生観からして違うのだと。ではそんな『葉隠』の「入門書」を著した三島はどうだったのだろうか。彼が『葉隠』の「死」の匂いに強く惹かれていたのは先述の通りである。特に第三章にそれは顕著だ。僅か10ページに満たないこの観念的な小文には、「死と生」「宿命と自由」に関する三島の思索が結晶化している。

無重力蜜柑
2024/04/13 05:20

三島が『葉隠』に共感するのはそこだけでない。戦国が遠くに過ぎ去り武士が官僚化し始めた江戸時代。帝国が滅び去り自由と生命の礼賛が始まった戦後日本。二人の生きた時代は相似形で、時代の敗残兵という点で二人自体も相似形だ。ゆえに「当世」に対する常朝の嘆きを、彼は己の嘆きとして引用する。本編の大部分は三島による『葉隠』の抜粋と解説だが、その多くはこうした当世批判と先述のハウツーで、彼と笑いながら茶飲み話でもしているような気がしてくる。しかし、それに紛れて不意に「死」が顔を出すのだ。そこにおいて三島は我々と断絶する。

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無重力蜜柑
ネタバレ「探偵の倫理/美学/生き様」とかいうギャグみたいなテーマをクソ真面目に論じるのがシュールすぎて、ミステリ部分の内容が全て吹き飛んでしまった。作中でも言われてるけれど、探偵って職業でも何でもなく法的権限も社会的地位も持たない趣味(生き様とかカッコつけた言い方してもいいけど)なんだから、善悪とか責任みたいな大層な話をされてもな。というかそもそも探偵って実在しないやん。なんでそんな本気になれるんや。登場人物たちも全員、何のかんの言ってこの非常時にクソ真面目に探偵を論じ始めるし。みんな頭がおかしいよ。
が「ナイス!」と言っています。
無重力蜜柑
ネタバレ再読。森見登美彦は割と好きな作家だが本作だけは別。昔読んだときには「なんだこのつまらない小説は」と思ったし、日本SF大賞受賞作と知って驚愕した。しかし五年ぶりに再読してみれば受賞の理由がよく分かったし昔よりは腑に落ちる作品だった(面白いかと言われれば微妙だが)。これは要するに「科学的思考の児童文学化」の試みなのだろう。科学少年である主人公の思考は常に論理的かつ明晰だが、知識や経験の不足ゆえに随所で観念連合の不具合を起こす。それは大人から見れば微笑ましい屁理屈だが当人にとっては筋の通った弁論に他ならない。
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無重力蜜柑
ネタバレ戯言シリーズやんけというのが第一の感想。嘘つきみーくんと戯言遣いいーちゃん、壊れたまーちゃんと青色サヴァン玖渚友。この二キャラは似てるってレベルじゃない(特に主人公勢)し、二組の共依存的な関係性も相似形。殺人鬼や空間認識障害という小道具や胡乱歳上お姉さんな脇役、さらには「えっちぃことしようぜ」「エロいことするぞ」などのセリフレベルでも似ているので言い逃れできん。まあ個のキャラの異常性に振り切れた戯言より関係性が主軸なのかなと思うが。その関係性も戯言だしねえ。パクリ寄りのフォロワーくらいの評価になる。
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無重力蜜柑
極めて良著。武士道という日本人なら誰でも知っていて、かつ知らない思想の内実と変遷を、各時代の社会構造を念頭に置いて平易に説き明かした本。簡単に言えば「今の日本人がイメージする武士道は偽物」「本物の武士道を教えてやるよ」という話。筆者の整理によると武士道は時代ごとに三種に大別できる。戦国時代までの「武士道」、江戸時代の「士道」、近代以降の「明治武士道」である。現代日本人が想像する武士道は一番最後のものだが、これは実際には最初の武士道からは程遠い。故に本書のタイトルは武士道の「逆襲」となっているわけだ。
無重力蜜柑
2024/04/02 03:32

明治武士道の成立にはいくつかの要因があった。第一に成立したばかりの帝国陸軍が拠って立つ思想的基盤を準備する必要があったこと。時代は自由民権論へ向いたが軍隊は自由や民権ばかりでは成り立たない。軍隊的統制を根拠づけるため、武士道が利用された。といっても明治初期にはまだ武士道を大っぴらに称賛するような言説は少なかった。西南戦争など「士族の叛乱」の記憶は生々しく、武士道は腫物だったのだ。ところが明治後期から話が変わってくる。軍人や国民一般の道徳的基礎を武士道に求める言説が増えてくるのだ。

無重力蜜柑
2024/04/02 03:39

大きいのは『教育勅語』の制定である。国民道徳の基盤を日本の伝統(国体)に求める議論が正式化されたため、武士道を含むあらゆる伝統を階級的限定性を無視して国民一般へ直結することが可能となり、かくして「日本人一般の武士道」である「明治武士道」が成立する。ここには黄禍論に対抗して自国の伝統の中に普遍性を見つける必要のあった国家主義者や、キリスト教と日本の接点を発見せねばならなかったキリスト教徒の思惑もあった。特に後者の新渡戸稲造の武士道論は欧米でも有名となり、以降の武士道像に多大な影響を与えることになる。

が「ナイス!」と言っています。

ユーザーデータ

読書データ

プロフィール

登録日
2019/06/29(1779日経過)
記録初日
2019/04/10(1859日経過)
読んだ本
945冊(1日平均0.51冊)
読んだページ
302439ページ(1日平均162ページ)
感想・レビュー
812件(投稿率85.9%)
本棚
18棚
性別
職業
大学生
自己紹介

人文系の学生。専門は科学史。
他には哲学、冷戦史、軍事学、左翼思想、大日本帝国など。
小説はSFとラノベ中心。
歴史改変、ミリタリーSF、サイバーアクション、現代異能バトルなど。
英雄と運命を強靭に肯定する小説が読みたい。

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