2024年10月の読書メーター 読んだ本の数:1冊 読んだページ数:672ページ ナイス数:321ナイス ★先月に読んだ本一覧はこちら→ https://bookmeter.com/users/1124113/summary/monthly/2024/10
本書には、「エロティックス」というムックにとりあげられた三篇が収録されているが、谷川が“「例のあの詩」としか言ってくれないとする人がいる”とした詩も収録されている。この詩は、じっくりと読むと梵我一如の思想に近い世界観・宇宙観が描かれており、谷川自身もそのような含みがあることをコメントしている。しかし、谷川自身が朗読したものを聞いてみると、そのような達観・解脱した思想ではなく、野性的であり、「文庫あとがき」では、“私も自分で読むのを楽しんでいる”というのがわかるような朗読である。
ちなみに2023-24年に朝日新聞のインタビューでは、谷川は、この詩の朗読の動画撮影については、「この年になると元気に読めないから」と言ってNGを出している。一方、この時、最晩年の谷川が動画で朗読した「生まれたよ ぼく」などは、最晩年の作者ならではの朗読であり味わいは深い。
ここでは、さらに「救いや癒しを渇望していた少女たちにとって、長与は、飛鳥は、そしてダンプは、自らの身を削って戦う殉教者であり、救済者であると同時に、自分自身でもあったp53」としている。これは、当時の女子プロレスが単なるスポーツエンターテイメントを越えるものであったことを見事に集約しているといえる。
荒野の狼さん おはようございます。 ご紹介頂き、拝読出来ました!💫 とても判り易く、永瀬清子の人生や生活姿勢や、引き寄せた良き一達との邂逅などには、学びが散りばめられて居ました!🌟 私も少しでも見習い、私の歩幅で🐢さんの一歩一歩にて、進みたいと思わされました。 何時も感謝です!🍀 今日も穏やかな、良きひと日で在ります様に!✨ 宵待草
その結果として、社会に大きな不幸が起こり得るのであるが、それが個々の人物に影響する度合いは、ある人にとっては死の転帰にすらなるが、多くの人にとっては、忍耐の許容範囲のものであったりする。そうした場合、自分とあまり関係のない人の大きな不幸を防止するために、社会の慣習を破ったり、超えたりする勇気のある人物は少ない。
ゆえに、小説で描かれた「殺人」を、「社会の不正義」「戦争」「政治腐敗」「一党独裁」「パワハラ」といった自分の身の回りに起こっている変革可能な事象と置き換えると本小説は他人事ではなくなる。他人から男らしく見られなくなることを恐れて殺人をおこすジェスチャーを見せる兄弟、殺人を容易にとめられるのにそれをしない一般市民、自分に向けられた非難を生贄となる無関係の男の名を挙げることで矛先を変えようとする花嫁、すべてが間違っているのだが、この修正ができないのが、現代社会であり、日本の典型的な社会構図である。
本書の大統領のモデルは、複数の独裁者であるが、具体的には、本書の後半で登場する大統領の側近サエンス=デ=ラ=バラは、ドミニカのトルヒーヨ大統領のもとで、弾圧・殺戮を行ったジョニー・アベスを思わせる。本書では、大統領が行う数々の虐殺・悪行が、延々と、しかも繰り返し終わりのないかのように描かれる。すなわち、一人の人物(=大統領)が100年間にわたり行った、あるいは同一の時代に行った虐殺・犯罪の繰り返しの描写である。
ところが、これらの描写は、実は、ラテンアメリカ諸国で、歴史の中で繰り返された(米国によって擁立された)複数の独裁者の横暴を象徴化したような形になっている。ここにおいて、悪の根源は(直接的に暴政をおこなった独裁者ではなく、間接的にそれをコントロールし許容した)米国である。こうしたラテンアメリカ諸国の悲惨な歴史は、E・ガレアーノ著「収奪された大地」がロングセラーとして知られるが、本書は、実際、歴史に登場した傀儡政権の独裁者の実像を体感できる小説と言える。
Amazonのレビューは2009年くらいから投稿しております。本の長めの感想は、アマゾンの「荒野の狼」の上記URLをご参照ください。本職は医学部で微生物学・免疫学・神経難病などの教育・研究をしております。現在は大阪在住ですが、アメリカで21年間医学教育・研究をしておりました。職場のURLは以下です。
https://www.med.kindai.ac.jp/microbio/
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その結果として、社会に大きな不幸が起こり得るのであるが、それが個々の人物に影響する度合いは、ある人にとっては死の転帰にすらなるが、多くの人にとっては、忍耐の許容範囲のものであったりする。そうした場合、自分とあまり関係のない人の大きな不幸を防止するために、社会の慣習を破ったり、超えたりする勇気のある人物は少ない。
ゆえに、小説で描かれた「殺人」を、「社会の不正義」「戦争」「政治腐敗」「一党独裁」「パワハラ」といった自分の身の回りに起こっている変革可能な事象と置き換えると本小説は他人事ではなくなる。他人から男らしく見られなくなることを恐れて殺人をおこすジェスチャーを見せる兄弟、殺人を容易にとめられるのにそれをしない一般市民、自分に向けられた非難を生贄となる無関係の男の名を挙げることで矛先を変えようとする花嫁、すべてが間違っているのだが、この修正ができないのが、現代社会であり、日本の典型的な社会構図である。