2024年5月の読書メーター 読んだ本の数:13冊 読んだページ数:1023ページ ナイス数:482ナイス ★先月に読んだ本一覧はこちら→ https://bookmeter.com/users/1124113/summary/monthly/2024/5
「風の又三郎」では迷った際に「山男」に関する話が一行だけ登場するが、本作では山男が夢に登場したり、その他、不思議な「可愛らしい女の子」も登場するなど、恐怖と幻想のレベルは高い。 「風の又三郎」では、三郎が風を呼ぶ歌があり擬音語がユニークだが、本作では剣舞の様子を書かれた詩(「春と修羅」に掲載の「原体剣舞連」と内容は近い)が掲載され、ここに鬼剣舞の太鼓のユニークな擬音(ダー、ダー、ダースコ、ダーダ)が書かれている。
原作と映画を比較して感じるのは、賢治の風景描写(風、雲、植物など)の豊かさで、本来ならば映像の映画が優るはずの状況描写が、原作のほうがはるかに生き生きと描かれているのは驚きである。なお、本作には賢治の短編「種山ヶ原」「さいかち淵」が挿話として入っており、これらの作品と本作を比較するのも楽しい。 映画では三郎による「風の歌」が2番まであるが、映画の歌詞と原作(1番しかない)では、一部が異なる。なお、「風の又三郎」の原案「風野又三郎」の歌詞は2番まであるが、この1番の歌詞が映画の歌詞の2番と同じ。
本作の「又三郎」と「風の又三郎」の主人公の三郎を比較すると、「又三郎」が自由で気ままな子供の妖怪のような存在であるのに対し、三郎は思いやりがあり逸脱した行動がなく、ミステリアスな部分は取り巻きの小学生が作り上げたものであり、両者の共通点は、土地の小学生と友人関係を結ぶということくらいであり、異なるキャラクターといえる。
本作では、「風の歌」が2番まで登場するが、「風の又三郎」のもの(1番しかない)とは、若干内容がことなる。ちなみに、1940年の映画「風の又三郎」の「風の歌」は2番まであり、この2番が、「風野又三郎」の1番と同じ。
一方、本作では、鉛筆をなくした主人公が、見知らぬ「おじさん」から、不思議な能力がある鉛筆をもらったことから起こる話だが、「ドラえもん」のエピソードのような楽しさと教訓がある。
自己肯定感とは、ありのままの自分を認め、自分の良いところも悪いところも含めて全てを受け入れて、前に進むことで得られるものp162 自分をちゃんと認めてあげることができれば、他者との比較はさしてきにならなくなる。自分の中からライバル心や嫉妬心が消えることはなくとも、色々な感情における序列が少しだけ下がった気がしたp205.
狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は広く、その道も広々として、そこから入る者が多い。しかし、命に通じる門はなんと狭く、その道も細いことか。それを見いだす者は少ないp210。
本作では第一次世界大戦に、アメリカが参戦した時に、主人公の所属する研究所が奉仕活動を陸軍省に提供し、全研究員が士官に任命され軍服を着て勤務するようになる逸話がある(27章、p114)。この時に、軍隊の位を辞退したのはゴットリープ博士を含む3人のみであり、さらにゴットリープは、敵国のドイツ出身であるために差別も受ける(ベートーヴェンの音楽すらも含むドイツに関するものに対する排除も記載p119)。
これは、現代にも通じる問題であり、アメリカでは、科学の軍事利用は公然と行われており、9/11時のイスラム系の人に対する差別、新型コロナの時の東洋人に対する差別など、アメリカにこうした恥ずべき傾向は強く残る(もっとも、それに反対する良識ある人も声をあげるのがアメリカの良さでもあるが)。
第18章では一人のチフスの保菌者の女性が百名のチフス患者を発生させる話p257があるが、これは1909年にニューヨークで有名になった「チフスのメアリー Typhoid Mary」の健康保菌者がチフス菌の感染源となった事件に由来する逸話と考えられる。また天然痘の発生と種痘(=ワクチン)の逸話p258もあるが、今や地上からワクチンで根絶された天然痘ウイルスが、当時はアメリカでは普通にあるウイルス感染症であったことがわかる。
上巻の段階では、主人公には尊敬すべき点があまりなく、いたって他人を評価する目はきわめて厳しい青年であるが、読んでいて飽きることはない。主人公がいつになったら、科学に身を捧げる魅力的な人物になるのだろうと読者は待つことになる。
解説は6ページで、アメリカの小説家であるE・L・ドクトロウによる。ドクトロウによれば、「主人公は、世間に苦労しながらも、最終的に真の自分自身に沿った生活をするに至った。」としており、「ルイスは、主人公はヒロイックではなく、常に尊敬はできないように書く必要があった。(彼の代表作の)Babbitの登場人物と、本作の主人公Arrowsmithを対照させて、現代のアメリカはArrowsmithはほとんどいないが、Babbitは沢山おり、ルイスは我々が耳にしたくないことを語る預言者である」としている。
なお、本作の後半の舞台は、野口英世が勤務していたロックフェラー研究所をモデルだが、当時、研究所で働いていた人物は2名しか実名で登場していない。野口はp418に以下のように言及されている。「yellow fever is on the verge of complete abolition through Noguchi’s work」.1925年に本書が出版された当時の野口への期待が感じられるが、残念ながら野口は、この2年後に黄熱ウイルスに感染してアフリカのアクラで死亡している。
「コラム1」はウイルスの種の概念について。「コラム2」では、野口が1世紀前に感染症のアウトブレイクがあると世界を飛び回り、新ワクチンの開発を現地でおこない、一部でその終息に成功し、それらの国では、現在にいたるまで野口の偉業となっているp50こと、稲を襲ったウイルス病の制圧について記載。また著者の名著「水稲を襲ったウイルス病(2010)」も参考資料として紹介されている。
「4章p16」「あとがきp55」「謝辞p57」では、私(近畿大学医学部微生物学講座教授、角田郁生)が本書の執筆にあたり協力させていただいた経緯が書かれており、恐縮する次第である。また、「追記p71」の中でも、黄熱ウイルスワクチンでノーベル賞を受賞したマックス・タイラーについて、私が提供させていただいた情報を丁寧に挿入していただいた。
荒野の狼さん こんばんは!🌃 レビューの英文は、ほぼ解せましたが、英語が自由に読めて、話せたならば、、、と熟と思いました!✨ 難しく価値のある、お仕事をされて、素晴らしいですね!🍀 此処数日はかなりの暑さ、お互いに体調に留意したいと思います!💫 何時も、有り難うございます!🙋 宵待草
宵待草さん。コメントありがとうございます。この本は、日本語の原文を英語に訳したもので、私は原文を読んでいたということもあって内容の理解はできました。また、私の専門領域なので、そちらの英文の理解はしやすいです。一方、文学作品などになりますと、英文理解は苦労しております。
宵待草さん。今回も書評に書きましたが、京都の寺は出し惜しみが多く、実際、足を運んでも見ることができない国宝が多いです。京都の国立博物館も所蔵しているだけ。こうした寺宝は、特別展のような全国巡回の展覧会でのみ見られるものが多いと思います。金閣寺にあっては石不動が特別開扉の日を狙って、若冲の作品は、相国寺の承天閣美術館で同作品が展示されている時を狙って、鑑賞ということになります。いずれ、現地に足を運ぶ時は、目的のものがあれば、それが本当に見られるのか、いつ見られるのかを確かめることが大切と考えます。
追伸 アドバイスを頂き、感謝です!🍀 此処2年8ヶ月余り、寺社を訪ねて{宵待草の仏像めぐり}をして来ました。 日程が限られた秘仏を初め、数多の仏像に邂逅し、更に仏像に魅せられて居ます。 前売りチケットを購入して居る、7月17日~の東博での『神護寺』を楽しみにして居ます。 おやすみなさい!🌠💤 宵待草
「招魂祭一景」は、「あとがき」によれば、川端康成の初期の1921年(大正10年)の作品で、東京帝国大の先輩である菊池寛らが認めてくれて川端が売文の手がかりを得た記念の作品で、ここに扱った曲馬娘は「伊豆の踊子」に通ずるとしている。100年前の靖国神社の祭りの一場面を描いた短編だが、ここで描かれた怪しげな祭りの出し物も、それに奴隷のように従事させられていた貧しい人物も、過去のものとなって見られなくなっ。それだけに、曲馬娘の悲哀感はあるものの生き生きとした一瞬を切り取って現代に残した作品と言える。
「青い海黒い海」は、「あとがき」によれば、発表時に横光利一がひどく褒めたp230他には、批評のない作品。自殺の前に書かれた二つの遺書という体裁であるが、主人公の自殺の意図も含めて理解不能な短編で、文章も意味をなさないものが多い。
なお、本書では、ゲバラの論文「ラテンアメリカ革命の戦術と戦略」をキューバ危機の総括p127としているが、「ゲバラ選集(青木書店)(1969年発行)」の第二巻には「ラテンアメリカ革命の戦略と戦術」の標題の論文が記載されている(「戦略と戦術」と順番が逆ではあるが)。
この論文でゲバラは「キューバは侵略の瀬戸際にある。キューバは世界最強の帝国主義勢力によって、だから原爆の死によって脅かされている(同書、p338)」とアメリカに対して闘争を呼び掛けている。ところが、これは「1962年十月危機のはじめころに執筆」され、「ベルデ・オリーボ」1968年10月6日、第40号所収p339と書かれており、本書の記載とは異なる。
Amazonのレビューは2009年くらいから投稿しております。本の長めの感想は、アマゾンの「荒野の狼」の上記URLをご参照ください。本職は医学部で微生物学・免疫学・神経難病などの教育・研究をしております。現在は大阪在住ですが、アメリカで21年間医学教育・研究をしておりました。職場のURLは以下です。
https://www.med.kindai.ac.jp/microbio/
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「招魂祭一景」は、「あとがき」によれば、川端康成の初期の1921年(大正10年)の作品で、東京帝国大の先輩である菊池寛らが認めてくれて川端が売文の手がかりを得た記念の作品で、ここに扱った曲馬娘は「伊豆の踊子」に通ずるとしている。100年前の靖国神社の祭りの一場面を描いた短編だが、ここで描かれた怪しげな祭りの出し物も、それに奴隷のように従事させられていた貧しい人物も、過去のものとなって見られなくなっ。それだけに、曲馬娘の悲哀感はあるものの生き生きとした一瞬を切り取って現代に残した作品と言える。
「青い海黒い海」は、「あとがき」によれば、発表時に横光利一がひどく褒めたp230他には、批評のない作品。自殺の前に書かれた二つの遺書という体裁であるが、主人公の自殺の意図も含めて理解不能な短編で、文章も意味をなさないものが多い。