読書メーター KADOKAWA Group

2024年5月の読書メーターまとめ

ひつまぶし
読んだ本
18
読んだページ
4857ページ
感想・レビュー
18
ナイス
75ナイス

2024年5月に読んだ本
18

2024年5月のお気に入り登録
2

  • あしぶえ
  • ジュリ(村上)

2024年5月のお気に入られ登録
2

  • あしぶえ
  • ジュリ(村上)

2024年5月にナイスが最も多かった感想・レビュー

ひつまぶし
「このままだとうつ病になってしまうのではないか」と思うことはある。とてつもなくしんどいことがあっても、耐えるしかできない、耐えられてしまうが、ある日ダメになるのではないかと。自分が落ち込むパターンみたいなものがあるのではと考えてみることはあるが、なかなかしっくり来ない。田中圭一はパターン化するのが上手い。しかし、パターン化できるのは、すでに散々苦しんだ後だったり、真正面から語るには情報量が多すぎる場合で、見ないようにしている部分があるのだと思う。この作品はパターン化のテクニックがいい方に出ているのかも。
が「ナイス!」と言っています。

2024年5月の感想・レビュー一覧
18

ひつまぶし
こんなドラマチックな内容だとは思っていなかった。中沢の叔父である網野善彦の追悼として書かれた文章が元になっているとのこと。中沢家三代にわたって残っていたわだかまりが網野とのかかわりを通して解きほぐされていく。網野の成してきた仕事の意義を丁寧にたどる文章は、決して読みやすくはないが知的な刺激に満ちている。ところどころに挟まれるエピソードがもはや歴史的な記録になっている。いつかこの本を下敷きにして網野善彦の人生の軌跡をたどるドラマが作られないだろうか。これは日本社会に生きる人たちの多くに知って欲しい内容だ。
が「ナイス!」と言っています。
ひつまぶし
当事者研究は「治療の論理」でも「運動の論理」でもなく、自己理解とその実践を支え、多様性を承認するコミュニティを形成する「研究の論理」によって行なわれる。枠組みの部分はもう少し洗練できるのではないかという気がするが、そこも含めて当事者たちで作って行くプロセスを必須と位置付けているのだろう。あとがきでふれられているように、マイノリティだけのものではなく、マジョリティとされる人々にも有効なアプローチだと思う。〈科学の知〉に対する〈臨床の知〉でもあろうし、社会との向き合い方や運動のあり方のヒントでもあるだろう。
が「ナイス!」と言っています。
ひつまぶし
相変わらずセクシュアリティについて考えている。痴漢は性依存症であり、性欲が抑えきれずやってしまうものではなく、本人にとってはストレスへの対処法なのだ。しかし、性欲と無関係でもない。服薬で性欲が落ちると痴漢のスイッチは入りにくくなるらしい。また、AVの影響が指摘されているように性癖には学習される部分がある。そういう意味では性欲や性癖は痴漢行為と無関係ではない。とはいえ、治療の対象となるのは認知の歪みの部分であり、トリガーを引かせないための工夫だ。これらが社会のあり方と無関係ではないこともうまく論じている。
が「ナイス!」と言っています。
ひつまぶし
ハラスメントについての感覚を自己点検する意味で読んでみた。恋愛・合意の付き合いだと思っていたのにセクハラと訴えられるケースを「妄想系」と「リアル系」に分けて踏み込んでうまく書き分けたところが妙なのだろう。中年男性の魅力とは社会的な地位と権力によるものであるとの指摘も巧いと思った。それは所属する組織によって付与された経験的な価値であり、言ってみれば部下に対してはタイムラグのようなもの。それを振りかざせばパワハラになるのも同じ理屈だろう。このタイムラグは見えづらく、悪用しやすいことに気づかないといけない。
が「ナイス!」と言っています。
ひつまぶし
なぜこんなタイトルの本を書いているのか不思議で読んでみた。のちに発達障害を自覚する違和感を抱えながらの生い立ち、結婚に見ていた希望、アルコール依存症のDV夫と離婚するまでの過程を振り返る。母が子に語る形式は、そうでもしなければ語りえないことを語らしめるためなのだろう。発達障害とDV、同時に理解する必要があったことも分かるが、どうやって発達障害と切り分けた記述が可能になったのか。症状としての障害と関係や社会の問題は別だということだろうし、障害と関係なく自己理解があってこそ関係や社会が理解できるのだろう。
が「ナイス!」と言っています。
ひつまぶし
序章に言われる通り、大阪の都市構造に関する都市社会学・地域社会学の蓄積が少ないのだとすれば、今後の発展の礎となるべき一冊なのだろう。世界都市論を念頭に東京一極集中状態での大阪の位置付けを、ある程度歴史的経緯も踏まえつつ、「都心回帰」という視点から近年の変容と合わせて明らかにしている。マクロな構造面を扱った第Ⅰ部、地域自治組織に注目した第Ⅱ部には資料的な価値がありそうだ。第一都市をめざす第二都市ではなく、世界に発信する精神文化性を有する世界都市(world city)を意識すべきとの終章のまとめも良い。
が「ナイス!」と言っています。
ひつまぶし
「このままだとうつ病になってしまうのではないか」と思うことはある。とてつもなくしんどいことがあっても、耐えるしかできない、耐えられてしまうが、ある日ダメになるのではないかと。自分が落ち込むパターンみたいなものがあるのではと考えてみることはあるが、なかなかしっくり来ない。田中圭一はパターン化するのが上手い。しかし、パターン化できるのは、すでに散々苦しんだ後だったり、真正面から語るには情報量が多すぎる場合で、見ないようにしている部分があるのだと思う。この作品はパターン化のテクニックがいい方に出ているのかも。
が「ナイス!」と言っています。
ひつまぶし
熊谷の『当事者研究』を当事者研究の当事者側から位置付けた内容。障害者運動と自助グループ、二つの源流の中に当事者研究を位置付ける整理は同じ。自身についての「当事者研究」の成果のまとめがあり、方法論的検討でしめるという構成。まずはこのような分野を確立したことに意義があるか。しかし、自己理解を深める際の他者理解はあまり示されていない気がする。自助グループ寄りの立ち位置。究極的には社会適応が優先されがちなのかもしれないが、社会モデルによる障害の解消ではなく、他者への違和感や批判を展開する余地があるのではないか。
が「ナイス!」と言っています。
ひつまぶし
当事者研究というものの概略をつかむためにざっと読んでみた。基本的には当事者運動と自助グループのような問題の当事者による問題解決のアプローチの発展形ないしバリエーションっぽい。著者の場合、自身が医師であり、当事者と共同研究して、医療体制を変えようとしているようだ。そうなると最終的にはやはり〈科学の知〉に奉仕するものとしての〈臨床の知〉になってしまう気がする。研究が社会運動であり、集団的な自力救済であり、真理の探究でもあるためには何が必要なのか。ショウガイではなく、障害の部分を医学以外にも応用していくことか。
が「ナイス!」と言っています。
ひつまぶし
セクシュアリティについて知りたくて、まずは教科書的な本を読んでみた。性別というのがいくつあるのか分からないが、どんなに気をつけても性別を想定してはじめる時点で常に後で気づくことになる気がする。突き詰めていくと根本的な人間観が問われるのではないか。一人一人が幸福を追求するためにはセクシュアリティは多様であるべきだが、問題は他人のセクシュアリティを貶めようとする者がいることだろう。ローティの言うように「残酷さ」の回避を目指すリベラル・アイロニストという立場が結局そのような人間感、生き方であるように思える。
が「ナイス!」と言っています。
ひつまぶし
これも長く持ってたけど読めてなかった。時々世界史の知識が脳裏をよぎって、「なんでこんなことしってるんだっけ」と考えると『サピエンス全史』を読んだからだった。萱野が水野の歴史的な視点を評価しているように、経済を考えるのに経済だけを見ていては分からないのだと思う。いろいろ分からないこともたくさん出てきたが、おいおい勉強していきたい。こういう問題はきれいな答えがあるわけではなく、理解が広がることで問題の構成自体が変わっていくようなところがあるのだと思う。それなら分からないなりに理解を進めていくのが早道だろう。
が「ナイス!」と言っています。
ひつまぶし
数年前から気になっていたのに読めなかった。資本主義がどうとかいうことを考える気になって読んでみた。転換点になったのは「不条理を受け入れた上で生きる」ことの意味をようやく飲み込めたからだと思う。資本主義の矛盾を批判し、乗り越えようと思えば、資本主義のことだけを考えていては不可能だ。10年、20年のスパンで考えていてもいけない。そういう意味では進化論というのはちょうどいいスケールだったし、プラグマティズムは指針を与えてくれる。生きることの意味を確かめてからではなければ構造を論ずる気になれなかったのだろう。
が「ナイス!」と言っています。
ひつまぶし
めちゃくちゃいい本だった。本当はデューイに関してこういう本を探したのだが見つからず、ローティでもいいのかもと思って見つけた一冊。要はプラグマティストが哲学者として社会活動を行うとして、それはどのような関わりになるのかを地続きで見たかった。幼少期の伝記的な解説からはじまり、ローティの哲学的な位置付け、政治的立場をうまく説明してくれている。自分が物語論や進化論にこだわって考えてきたのも的外れではなかったのだなと思えた。プラグマティズムに対する批判についても著者なりに一定の回答を用意してくれているのも親切。
が「ナイス!」と言っています。
ひつまぶし
15年ぶりくらいに再読。あの頃、阿部謹也を手当たり次第に読んでいたのを思い出す。必死で探り当てようとしたものの端っこを当時すでにつかんでいたし、今ようやく確かなものにしようとしている。二つのコスモロジーが重なり合い、分裂するところに差別が生まれ、排除が起こる。何も歴史の中だけのことではない。現代社会もそのように読み解けるし、読み解いていかなければならない。しかし、そうした試みはもちろん、そこに足を踏み入れる者をも呪うだろう。それでもその道を進むのは、そうしなければならないわけを探ってもいるのだろう。
が「ナイス!」と言っています。
ひつまぶし
デューイを中心とした第二部以外は流し読み。しかし、パース、ジェイムズ、デューイで言っていることがバラバラだし、相互の評価もかみあったりかみあわなかったり。結局プラグマティズムをプラグマティズムと呼ばしめているものはなんなのか。とりあえず、プラグマティズムという思想を用いて行ったことがそれぞれ異なる。それらを行うためにプラグマティズムがあったはずだが、その成果は完成度の高いプラグマティズムの成果と言えるのか。プラグマティズムとは立場なのだとすれば、その洗練の方向はさまざまだし、常に不十分なものになりそうだ。
が「ナイス!」と言っています。
ひつまぶし
デューイという人の全体像がよく分からないので読んでみた。教育者ないし社会活動家としての伝記的な活躍はよく分かったのだが、その名声と哲学者としての評価がどう関連しているのかはまったく分からなかった。哲学者として優秀だったからそれなりの社会的地位を得たのだろうが、社会活動において注目されたのはその地位ゆえなのか、思想の裏付けがあったがゆえなのか、その思想はプラグマティズムの実践として地続きに評価できるのか。そういった評価の側面は見えてこない。実践される時には融通無碍に薄められているようでは思想に悖るだろう。
が「ナイス!」と言っています。
ひつまぶし
ソシュールについて概略を知れる本を適当に選んで読んだ。親父ギャグがうっとうしかったが、読みやすいし、その後の思想への影響関係も整理されていてよかった。バルトに影響を与えているのは不思議ではないが、レヴィ=ストロースの構造主義やラカンの精神分析理論、メルロ=ポンティの知覚の現象学の発展にもソシュールの言語学が必要だったというのは面白かった。なるほど言語論的転回と言われただけのことはあるのだなと思った。しかし、あまり言語学や記号論には深入りせず、まずは自分なりの見取り図を作るところから始めようと思う。
が「ナイス!」と言っています。
ひつまぶし
『理不尽な進化』からガダマーを知って、いきなり『真理と方法』は無理だと思って読んでみた。進化論にあるような理解の型は他にも見出せるようだし、その広がりを把握したい。ガダマーが「語っていること」、ハーバーマスが「語っていないこと」、デリダが「語りえないこと」の解釈学を打ち出しているとの整理はなるほどと思った。一つの思想の中ですべてを解決できると考えるのは無理があるし、完成形を求めること自体がこの立場からすれば自己矛盾に陥ってしまう。それに哲学者はどこまで行っても型を語ってしまうからまちがえられないのだろう。
が「ナイス!」と言っています。

ユーザーデータ

読書データ

プロフィール

登録日
2021/05/27(1129日経過)
記録初日
2021/05/23(1133日経過)
読んだ本
343冊(1日平均0.30冊)
読んだページ
91434ページ(1日平均80ページ)
感想・レビュー
343件(投稿率100.0%)
本棚
7棚
自己紹介

 感想は、その本が自分にとってどんな意味を持つのかをまとめるために書いているので、客観的な批評でもなければ、内容を紹介するものでもありません。
 255文字の感想を書くことを決めておくと、面白くない本は面白くないなりに、理解しきれない本は理解しきれないなりに、自分なりの視点を見出せるところが面白いですね。

読書メーターの
読書管理アプリ
日々の読書量を簡単に記録・管理できるアプリ版読書メーターです。
新たな本との出会いや読書仲間とのつながりが、読書をもっと楽しくします。
App StoreからダウンロードGogle Playで手に入れよう