様々に意匠を凝らし、批判する。そのための意匠として俳句、漢詩、古諺、英詩は利用される。『草枕』のなかでも主役と那美との間で小説の「筋」について語られているが、これは本書自体に「筋があまりない」からである。そして、画工である主役の藝術論は「言葉にできそうだができない段階に藝術の極地がある」といったものだ。「言語化と非言語化の際」なのである。この曖昧な、つまり依稀こそが『草枕』であったといえる。これは漱石の死後、谷崎潤一郎と芥川龍之介の間で始まることになる論争『文芸的な、余りに文芸的な』に引き継がれる。
しかし、vlogは多くの人々に受け入れられ、何万、何十万と再生されている。 著者はフィンランドの美学者・プオラッカによる日常生活の「ルーティーン」の5つの区分を引用する。そしてこの5つの区分は動画制作者と個人の視聴者との間で「ルーティーンの階層変化」を生ぜしめているというのだ。たとえば「生命維持のためのルーティーン」が人によっては「趣味に関わるルーティーン」にみえる可能性がある。またプオラッカはプラグマティスとのジョン・デューイの「美的経験におけるリズム」の考えを援用し、反復による生活リズムが人間にはあり
彼の「改良主義」と結びつき、リズムによる単純な反復だけではなく、成長するためのエネルギーを蓄え、生活を改良していくことにつながるという。わかりづらいが、日常のルーティーンの中に変化への胚胎があり、長期的な視野をもちながら、短期的な苦労(たとえば、子育てや仕事、環境の変化)などにおしつぶされることなく、リズムにのって生活の中に美的経験を育むようにしていこうという考えなのだろう。このように生活に美学を孕む要素をみとめることで、凡人でも世界を豊かなものにしていけるのではないかというのが本書の内容である。
福田の本を読みたい方は新潮文庫の『人間・この劇的なるもの』やちくま文庫の『私の幸福論』、『私の恋愛教室』をおすすめする。政治的な文章が好きであれば文春学藝ライブラリーから浜崎洋介編纂の文庫がある。これらを読めば有名どころは押さえられるだろう。
それにしても今回この評伝を読んで思ったのは、福田恆存の「弱者論」などはずいぶん自分がnoteで書いてきたスプラ界隈を批判したものと似ているので驚いた。知らないうちに摸倣していたのだろうか。
そして私ズンダはこれは「俳句的小説」ではなくて「俳文」といわれるジャンルに属すると再読しながら思っていた。今なら岩波文庫において松尾芭蕉の弟子であった各務支考の孫弟子の横井也有『鶉衣』が手に入るので『草枕』という近代文学ではない、前近代文学の系譜を感じたい人はこれを読んでみるといい。『草枕』に近いものを感じるだろう。このように捉えてみると小説というのは実に批評要素が強いものだとわかるはずだ。そこにあるのは物語だけではない。作者が把持している現実への激しい批判精神なのである。
様々に意匠を凝らし、批判する。そのための意匠として俳句、漢詩、古諺、英詩は利用される。『草枕』のなかでも主役と那美との間で小説の「筋」について語られているが、これは本書自体に「筋があまりない」からである。そして、画工である主役の藝術論は「言葉にできそうだができない段階に藝術の極地がある」といったものだ。「言語化と非言語化の際」なのである。この曖昧な、つまり依稀こそが『草枕』であったといえる。これは漱石の死後、谷崎潤一郎と芥川龍之介の間で始まることになる論争『文芸的な、余りに文芸的な』に引き継がれる。
トーマスと異なり諧謔を交えつつ淫猥な雰囲気を醸したこの作は生真面目で堅物、石部金吉といってよいウンラート(ドイツ語で汚物の意味)が学生達にその名前もあって小馬鹿にされている。そんな中、学生らがお目当ての女芸人フレーリヒと知り合い、彼女に心惹かれ、いつしか恋人、結婚へと至る。だが、学生と戯れていた女が塚を壊したことで訴えられ、それを弁護した廉で彼は職を解かれてしまう。その後、彼と彼女の住まう場所は私娼窟のような魔魅がゾンする場となり、小市民たちに刺激と興奮とを与える鄭声あふれる館となり、
街は風紀紊乱、淫祠邪教に染められ、アナーキーが横溢する魔境へと変貌してしまうのだった。これだけきくと、ライトノベルやエロゲーなどでありそうだが、兪り!といっていいだろう。その名前ゆえに貶められていたウンラート、道徳的かつ文学的な教養を持ち得ていた彼にとって大衆一般は侮蔑の対象である。どこかで復讐を望んでいた彼は社交的で官能的な女であるフレーリヒを出汁に数々の男を手玉にとらせ、勝負が付いているはずの輸贏を争い、彼等を屈服させ意地悪に嗤う。支配欲と裏腹である道徳の恐ろしさを剔出した小説なのだ。
ズンダと申します。Twitter、youtube、はてなブログ、noteをやってます。よかったら全部にきてみてください。
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そして私ズンダはこれは「俳句的小説」ではなくて「俳文」といわれるジャンルに属すると再読しながら思っていた。今なら岩波文庫において松尾芭蕉の弟子であった各務支考の孫弟子の横井也有『鶉衣』が手に入るので『草枕』という近代文学ではない、前近代文学の系譜を感じたい人はこれを読んでみるといい。『草枕』に近いものを感じるだろう。このように捉えてみると小説というのは実に批評要素が強いものだとわかるはずだ。そこにあるのは物語だけではない。作者が把持している現実への激しい批判精神なのである。