しかし、ネオ・ヒューマンたちは他星に移って、どうするのか。彼らは異星人と接触したときに備えた訓練をしていると言っているが、地球文明の「食べる・支配する・破壊する・咀嚼する」という、愛のようで愛でないものの呪縛から、本当に逃れられたのか?トムラの言葉からは無理そうな気配が漂う。移住先の他星文明がまったく未知のコミュニケーション手段を持っていた場合、彼らは間違いなく、そのコミュニケーション能力を「野蛮性」の証と見て、搾取し、破壊するのではないか。(つづく)
主人公は他者のままであり、隣人にはならずに、そのまま去る道を選んだから破壊と咀嚼から免れたのではなかろうか。この物語は、地球文明の実存と、その呪いの物語。生きることは誰か消費すること。人を呪わば穴二つ。呪いのペイ・フォワード。うるせえそれでも生きていかなきゃいけねえんだよ此畜生。
夜空は虚空だから恐ろしいのではなく、無限に「ある」から恐ろしく、「杞憂」の故事は多分、そんな「ある」ことの恐怖を「天が落ちる」という未熟な言葉で表現しようとしたのではなかろうか。この「ある」ということの最悪さ、現代の反出生主義やらなんやら、いろんな思想とも接続できそうだが、レヴィナスはそれでも、安易なペシミズムに流れることを拒み、「ある」ことからなんとか撤退して、そこに人間性を見出そうとする。(つづく)
そういえば不眠の状態、定位の状態……つまり横たわってただじっとしている状態の「非人称」に対する抵抗。この状態を人為的に作り出して、患者の回復を促すのがいわゆる「森田療法」だけど、レヴィナス哲学と精神医学、なにか接点のようなものはないのだろうか。
駆け出しの兼業作家。『ダイダロス』で第10回ハヤカワSFコンテスト特別賞いただきました。
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