神経質の治癒とは悟りであると氏の言葉であるが、確かに、この神経質は剥き出しの原罪のようであるから、消えたら、悟ることを意味する。この点で私は彼らを価値あるもの、と見がちだったのたが、それはもうどうでもいいことだ。彼らが悟ろうが悟りまいが、聖なるものかそうでないか、など、すべての言葉の定義付けの行われることにバカらしくなった。答えは定義ごとに無限にある。しかし私はもうこのような病者たちが嫌なのだ。私は医者ではないのだから、彼らの集う論理や発想等、嫌なので近づかないし反対に(つまりまっとうに)発展していこう。
数は少ないですが読書の整理に使っています。
細々ですが読んでます。あまり感想を書いてません。
もはや苦悩を重ね、目的本意への対立項の塔を作ろうとしてる
ニーチェやヴェイユは近いかも
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