最近の感想・レビューはありません
作者はこの随想で語る「視点」の有りようについて文学に通じるものがあると意図的にそれを一旦横に置いている。体調崩したので晴れた休日だったのに久しぶりに定家について著作に目を通した次いでに読んでみたわけだが、この「視点」について一つの世界観をこの短い字数で構築しきっているあたり、実に爽快。愉しい時間だった。
無自覚なままでいることによって自分自身にかえりうちに合う話をカポーティの初期の作品で読んだことがあるが、村上春樹というのはそういう書き方を絶対にしない。登場人物はどこか離人症のようでもある。(それも一つの知性の現れのように思う。)だからドラマの「アイロンのある風景」で絵を描き続ける男が役者という肉をもって登場し、冷蔵庫にさいなまれている様子をみたとき、これは村上春樹ではないな…と少し思った。わかりやすくなってはいたけれど。
でも、ドラマ全体におもしろかったです。みみずくんのよさ…
神話的な小説の構想については、いつものメキシコがないつまり多層的な地理的な、いわばフォークナー的な表現はない。そういう今まで見られたこの作家の小説としての仕掛けは遺作『通り過ぎゆくもの』でも抽象化されている。どこからその悪が及ぶのかは明瞭ではない。が、実像がほぼ描かれていない(癌治療のためにえせ療法を求めて南米に渡った、という科学者でありながらそれを貫けなかったという点で揶揄されているくらいの)父親は、訳者の述べている通りキッドの鰭の責任の所在そのもののはず。
父親の知性や『ブラッドメリディアン』の男の爆薬についての知性、『悪の法則』のマフィアの悪行のシステマティックさ。『通り過ぎゆく者』では政府が「敵」になっていく。主人公たちはその悪の手中から逃れることは悉くできない。それは厳然たる事実ということになる。「戦争の神」についてのくだりを思い出す。私達は非力だし、世界は果てがない。
家族からの呪いに無力だった彼女の、恐ろしいほどの孤独の中で選び取った、新たな生き方。時に見せる力強さは、作者の与えた彼女の物言わぬその生き方の矜持の表れでもある。第二章は後戻りできない破滅への分岐点ともなるが、生命力を喪失しつつある芸術家の姉の夫による解放は、彼女の生命への贈与となる。作品として彼女の生命が芸術家によって抽象化され、決定付けられていく過程には引き込まれるものがあった。
風邪をひいたときに風邪薬を飲んで独特の感受性で読むのが趣味 時間を経て古層になったそれを書くこともある なんとなく残るものだけ あまり読まなくなった
この機能をご利用になるには会員登録(無料)のうえ、ログインする必要があります。
会員登録すると読んだ本の管理や、感想・レビューの投稿などが行なえます
作者はこの随想で語る「視点」の有りようについて文学に通じるものがあると意図的にそれを一旦横に置いている。体調崩したので晴れた休日だったのに久しぶりに定家について著作に目を通した次いでに読んでみたわけだが、この「視点」について一つの世界観をこの短い字数で構築しきっているあたり、実に爽快。愉しい時間だった。