
それにしても、ここしばらく警察・検察絡みの話はいろいろ出てきているけれど、えん罪事件の再審後のいろいろといい、ウイルス罪のようにきちんと法律に定義されていない罪での超拡大解釈の上での無茶な逮捕立件といい(いわゆるCoinhive事件などは象徴的)、はたまた今回の広島での河合不在の事件のようにあきらかに違法な司法取引といい、正直なところ「信頼されるに足りない」仕事の話はどんどん出ていているのには辟易している。完璧にコンプライアンス上クリーンな捜査が相当難しいというのは想像がつくけれど(1/N)
どんどん内部統制がキツくなり、箍がはまってやりにくくなる時代だということの認識が、検察も警察も薄いのかもしれない。だとすれば、きちんと外部のひとが監査する仕組みや組織がいるということなのかもしれないなとも思う。自助努力による自浄作用が働かないという状況に対して、申し開きができる状況ではなくなりつつあるだけに(2/2)。
個人的には、たとえば単純に「陽性率が高いほど見落としが多い」と決めてしまっていること、検査規模が大きくなったことで激増した感染者数を感染規模の増大と認識していたり「比較のために前提条件をそろえる」という感覚が希薄で数字の扱い方もあまり「統計的」ではない。「ファクトとして存在する数字をつかって自らの意見を提示するためにどれくらい恣意的に利用できるか」の実例集のような部分もある。本当に、こういうテーマのきちんとした分析をもっといろんなひとにやってほしいと願っています。
新潟県在住のコンピュータの技術屋です。絵本読みだったり、素人写真撮りだったりもします。すべての感想はちょうど255文字になるように書いているので、無茶な言い回しもありますが、ご容赦ください(笑)。
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