川上未映子「わたしたちのドア」→文庫本のページ数で換算したら5ページほどの短い作品なのにすごく良かった。短編に限らず小説って読者に対して書かれていないことに想像力を使わせることで豊かな作品になると思うけど、パートの女性とそのよくわからない隣人の2人の人生について思いを馳せてしまった。
市川沙央「こんぺいとうを拾う」→短い作品だけど挑発的な部分が最初からあるのが微笑ましい。そんなふうに呑気な態度で消費してるんじゃないよと言われたら反論出来ないが。学生時代の別に仲が良くなかった同級生への寄せ書きの部分が好き。オルゴール屋さんで働く流れはいささかスムーズすぎないかと思うが彼氏と来た客がオルゴールを買うことについてのくだりが笑えるのでよし。
『闘って敗北することは、闘う意志を放棄した生き方よりもはるかに世界の真実を見る可能性を与えてくれるのではないだろうか。彼らは勝利を求めていたのではない。生き延びる道を手探りしていたのだ。』→かっこいい
ミンストレルショーは今では否定的に語られることが多いけど、黒人文化から生まれた音楽を白人を含む大衆に広めたというのは一つの事実だというのも面白い。というかミンストレルショーって南北戦争後は白人ではなく黒人がやるようになったということを知らなかった。黒人に対するステレオタイプな侮蔑を生活の糧を得るために黒人自ら演じるというのは結構グロテスクな話ではあるけど...。
憂国の撮影準備中にアリプロ(ALI PROJECTの略だよ懐かしい)が流れる場面が好き。どちらもオタク向けの描写だろと言われたら何も反論できないが...。というかいちいちヴァイニンガーの発言が面白すぎるんだよな。古書価格高いんで読む機会があるかはわからないけど...。逆にあんまりピンと来なかった部分として、バーで生成系AIを試す辺りはあまり他の部分と有機的に繋がってないかなと思った。それとヴァイニンガーのアカウントを作った話も尻すぼみの印象。最初の方でアイコン描く部分はかなり好きなのだが...。
旗原理沙子『私は無人島』市川沙央目当てで読んだ本だが書き出しがなかなか気になったので結局最後まで読了。主人公が不思議な出来事に巻き込まれて不思議な人物と出会う話、という意味では村上春樹的ではあると思う。その不思議な出来事の導入は春樹ほどスムーズではないと思うが、伝説の堕胎婆に会いに行くという話自体が面白い。途中で全く逆の話である2つの伝承が出てくる辺りも良いし、最後にタイトルを回収するところも全てわかったというつもりは毛頭ないが不思議な爽快感があった。謎を持った文学作品は胸に残る。そのうち凄い話書きそう。
歌は世につれ世は歌につれという言葉もあるし、太平洋戦争の記憶がまだ色濃く残っていて皆貧しくて、しかも核の恐怖がリアルだった時代と比べると今の時代の日本にとって戦争は海の向こうの話で、長引く不況で徐々に生活レベルは落ちていっても少なくとも生きてはいけるという状態だからこういう作品が生まれる方が自然なのかもと納得。社会や世界ではなく身の回りの悩みにフォーカスしてそこから深い表現には行きつかず終わる。推し、燃ゆについても同じ印象がある。あちらは推しという全く馴染めない世界の話でそういう意味では興味深く読んだが。
たぶんこの話をはてな匿名ダイアリーとかSNSの長文お気持ち表明で読んだらなるほどともっと素直に受け取れたと思うんだが、芥川賞受賞作と言われると違和感が出てしまう。別に自分は芥川賞の権威をあまり信じてないのに(本屋大賞よりは信頼してるが)。寝かせて再読したら時代の空気を上手く切り取ってたとか思えてくるんだろうか。
ヘソに乳首を入れる漫画、たぶんこれ以外に存在しないから読んだ方がいい。女性型ロボットが性別変更したら主人公に恋しちゃうところ、地味にSF度高くて最高。
全巻読み通して江戸時代の支配階級の人権意識の低さに苛々してしまった。面白いし絵力の凄みといい名作だとは思うけど小池一夫原作の良くないところも普通に散見される。調子の良い時は凄い良い話を書くけど一方でキャラの行動がブレがちなのと良くわからない論理で謎や登場人物の動機を解決しようとするところとか。あと基本的にマッチョ過ぎる世界観かつ家父長制を肯定しがちなのと女性の描き方がアレなので怒る人は怒ると思う。しかし間違いなく劇画という一つのジャンルを形作った偉人ではあると思うので功罪両方を論じた文章が読んでみたい。
小島剛夕が作画に参加してた正確な期間がいつなのかよくわからなけど、中盤で降板していると聞いたことがあるのでその頃には抜けてると思うが。というかカムイ伝の終盤と
1951年は終戦後6年目。安部公房は当時まだ27歳。作品が凄すぎて作者が化け物的にすら思えてくる。人は逆境でこそ生きる意味や世界について考えざるを得なくなると思うので戦時中の思索が結実したのだと思うけど、それにしたって凄い。村上春樹が安部公房は変ではなく奇妙、というようなことを言っていたが、なるほどと思った。変という言葉を自分はそれでも使いがちだけど、奇妙というのがより正しいと思う。
安部公房、とにかく現実を相対化する力が凄い。こんな風に世界を捉える術を持っていたら厭世観すら抱いてしまうのではと故人に対してメンタルの心配をしてしまった。昔ウィキペディアに載ってた写真で餃子作ってたしそれなりに所帯染みたところもあったのだろうし心配する必要なんて無いんだろうけど...。
私小説風というよりエッセイ風というのが自分としてはしっくりくる。小説として起承転結はあるにせよこんなことがあってこんなことを考えたというような内容なので。そのせいで、どれくらいフィクションでどれくらい実体験なのかはわからないけど、エッセイ的な軽さが出て小説としての良さを殺してる。
今回なんだか村上春樹っぽいなと思ったけど、『回転木馬のデッドヒート』や『一人称単数』(の表題作以外)が割と実体験を書いたような体の作品集でテイストが似てるからだと思う。でもあっちの方が断然面白い。比喩の巧みさや話のどこへ行くのかわからない感覚とか。本作はそういう文学的な現実の突き破り方が無い。ただし、現実に対する著者の見方やいろんな知識は面白いと思うけど。
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歌は世につれ世は歌につれという言葉もあるし、太平洋戦争の記憶がまだ色濃く残っていて皆貧しくて、しかも核の恐怖がリアルだった時代と比べると今の時代の日本にとって戦争は海の向こうの話で、長引く不況で徐々に生活レベルは落ちていっても少なくとも生きてはいけるという状態だからこういう作品が生まれる方が自然なのかもと納得。社会や世界ではなく身の回りの悩みにフォーカスしてそこから深い表現には行きつかず終わる。推し、燃ゆについても同じ印象がある。あちらは推しという全く馴染めない世界の話でそういう意味では興味深く読んだが。
たぶんこの話をはてな匿名ダイアリーとかSNSの長文お気持ち表明で読んだらなるほどともっと素直に受け取れたと思うんだが、芥川賞受賞作と言われると違和感が出てしまう。別に自分は芥川賞の権威をあまり信じてないのに(本屋大賞よりは信頼してるが)。寝かせて再読したら時代の空気を上手く切り取ってたとか思えてくるんだろうか。