
第6回須賀敦子翻訳賞授賞式 イタリア語作品の優れた翻訳に対して隔年で贈られる須賀敦子翻訳賞。第6回の受賞作品は、ダーチャ・マライーニの『わたしの人生』(新潮社)。翻訳者は、マライーニ作品の多くを訳している望月紀子さん。きょうは、その授賞式に参加。
特に〈SNSは、感情労働の最前線?〉の章はSNSやAIの登場とともに現代特有の感情労働を論じており、示唆に富み興味深い。感情は自分ひとりの中で完結するものではなく、他者とのつながりの中で生じるという点は押さえておきたい。
後年、著者はこの体験を振り返り、戦争の残酷さ、独裁国家の危険性、そして人間が極限状態で文化や理性を失っていく過程を問いかけている。マライーニの著書の翻訳を手がけている望月紀子は、本書で須賀敦子翻訳賞を受賞。
さらに、OECDのEducation2030プロジェクトで策定された「ラーニング・コンパス(学びの羅針盤)」も紹介され、日本の教育が目指すべき方向性をわかりやすく示している。
時間と生命の関係を多角的に照射する。とりわけ、デタッチメントとコミットメントの概念は、小川洋子『サイレントシンガー』にも通じるものだ。生命とは「輝きであり、美であり、驚きである」という著者の言葉が、深い印象を残す。
激務に追われる教員の姿は、子どもの憧れの対象にもなりにくい」という指摘は、現場の深刻さを象徴している。子どもたちを教育する教員が疲弊していては、この国の未来は危うい。医療の専門職にも同様の問題があることを考えると、構造的な課題であることに納得させられる。
「無言でいるもののためでなければ、歌うことができない」と語るリリカ。沈黙と歌、死と再生が交錯する世界に、透明な光を宿した小川洋子の筆致が際立つ。外界のざわめきから切り離された沈黙の聖域。生命と時間のあいだにある記憶。美しい小説だ。
生徒たちは、そんな校則からの解放を密かに願いながらも、日常を淡々と過ごしている。現代社会におけるジェンダーの揺らぎや、個人のアイデンティティの曖昧さを鋭く描き出す村田沙耶香の独創的な世界観と、現実と幻想の境界を巧みに行き来しながら強い印象を残す。
不正を許した組織の構造、共済金の請求システム、営業の歩合制とノルマ主義、そして日本のムラ社会の縮図が浮かび上がる。不正を重ね、行き詰まり、破綻していった男の末路。彼は何を求めていたのか。LA甲子園も、ドンペリのタワーを築くような虚飾の舞台に見えて、どこか気味が悪い。
画像を変更(2016.9.25)。実家からチャリで10分、安田侃の作品が点在する公園。夏、本を読むお気に入りの場所。
この機能をご利用になるには会員登録(無料)のうえ、ログインする必要があります。
会員登録すると読んだ本の管理や、感想・レビューの投稿などが行なえます
不正を許した組織の構造、共済金の請求システム、営業の歩合制とノルマ主義、そして日本のムラ社会の縮図が浮かび上がる。不正を重ね、行き詰まり、破綻していった男の末路。彼は何を求めていたのか。LA甲子園も、ドンペリのタワーを築くような虚飾の舞台に見えて、どこか気味が悪い。