柴田元幸とジェフリー・アングルスとの俳句の英訳についての談話に、芭蕉の「古池やかはず飛び込む水の音」を訳す際、stillnessとかpeacefulとか俳句が云わないことを訳していることがあると話していた。それを直接云うのは俳句の美学に反するが、そういうことばがないと詩にならないという翻訳家の考えかもしれないと云っていて、俳句には抽象的な表現や副詞・形容詞のようなものはふさわしくないという考えはあるんだなと思った。
帰りの電車の中で読む程度。「自分は本が好きである」と信じ込んでゐた時期が長いので、それでもつい本を買つてしまふことしばしば。
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